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【ギネス世界記録】40年間で69人の子を出産したロシア妻 バレンティナ・ワシリエフ

 

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16組の双子・7組の三つ子・4組の四つ子で合計69人を出産

1765年、ロシアのイヴァノヴォ州シューヤで、バレンティナ・ワシリエフという58歳の女性が69人目の子どもを出産した。

バレンティナは、農夫フョードル・ワシリエフとのあいだに、1725年から1765年までの40年間で、なんと16組の双子(計32人)、7組の三つ子(計21人)、4組の四つ子(計16人)、合計69人の子どもたちを出産していたのである。

この驚くべき偉業は、「歴史上もっとも多産な母親」「四つ子、双子の最多出産回数の記録保持者」として、『ギネス世界記録』に公式登録されている。

画像 : バレンティナが69人出産したロシア、イヴァノヴォ州シューヤ cc Stasyan117

58歳で69人目の出産後、謎の死を遂げたバレンティナ

バレンティナは、1707年ロシアのシューヤで生まれ、幼少期は当時のロシアの農村社会で一般的な生活を送っていたと考えられている。

彼女は18歳の時、農夫で同じ年齢のフョードル・ワシリエフと結婚。その後すぐに最初の子どもを出産した。
しかも双子で、これが彼女の多胎人生の始まりであった。

バレンティナは実に40年間にわたって妊娠し、合計27回の出産を経験。

妊娠していた時期を総計すると、実に18年間にも及んだのである。

誕生した69人の子どものうち2人が乳幼児期に死亡したが、67人は無事に成人したという。

1765年に69人目の子どもを出産したバレンティナは、その後ほどなくして亡くなったが、原因は不明である。

ロシア女帝から表彰を受けた夫フョードル

画像 : 女帝エカテリーナ2世 public domain

それから17年後の1782年2月27日、ウラジーミル大司教がワシリエフ夫妻と69人の子どもたちの存在を知り、その事実を当時のロシア女帝・エカテリーナ2世に報告する。

聖ニコルスク修道院には、子どもたち全ての出生記録が残されていたという。

バレンティナの夫フョードルは、エカテリーナ2世と謁見する機会を与えられ、「ロシア帝国の人口増加に貢献した」として賞を受け取っている。

ワシリエフ夫妻と69人の子どもたちはマスコミのあいだでまたたく間に有名になり、1783年、彼らはイギリスの雑誌『ジェントルマンズ・マガジン』に掲載され、その後も多くのメディアや文献で取り上げられた。

そして、現代でも『ギネスワールドレコーズ』に公式認定されているのだが、ここでもさらに驚くべき事実を知ることができる。

2人目の妻アンナとの間に18人の子をもうける

『ギネスワールドレコーズ』には、彼らについて以下のように記録されている。

「現在、私の手元にある、サンクトペテルブルク発、1782年8月13日付の手紙原文によると、

モスクワ政府に所属し、現在も健在で健康状態も良好と言われている75歳の農民 フョードル・ワシリエフは、次のようなことを経験した。

最初の妻による出産

4回 x 四つ子 = 16人
7回 x 三つ子 = 21人
16回 x 双子 = 32人

27 回の出産と69人の子ども

二番目の妻による出産

6回 x 双子 = 12人
2回 x 三つ子 = 6人

8回の出産と18人の子ども

合計35回の出産と87人の子どものうち、84人が存命で、3人だけが埋葬されている。

上記の話は驚くべき話ではあるが、サンクトペテルブルクのイギリス商人から、イギリスの親族に直接伝えられたもので、その親族は農民を女帝に紹介する予定であると付け加えたため、信頼できるものである。」

つまり、夫のフョードル・ワシリエフは、妻バレンティナが58歳で亡くなった後、二人目の妻アンナと再婚。

なんとアンナも8回の多胎妊娠により、18人の子どもたちを出産していたのだ。

結果的にフョードルは、2人の妻とのあいだに合計87人の子どもたちをもうけていたのである。

日本では、女好きのオットセイ将軍の異名を持つ徳川家斉が、53人の子どもをもうけたことで有名だが、彼の子どもたちの母親は一人の正室だけでなく、16人もの側室であった。

画像 : 徳川家斉 public domain

バレンティナとのあいだに69人、アンナとのあいだに18人の子どもをもうけたフョードルは、女性にとって「一途な夫」としてその誠実さに好感が持てる。
しかしその一方で、妻や母としては生涯にわたる妊娠と出産による心身への負担と疲労は、計り知れないものがあったのではないだろうか。

アンナとフョードルは一部の子どもたちを、子どものいない夫婦に養子に出した。

子どもたちの中には、国からの援助を受けてモスクワに移り住んだ者もいたとされている。

18世紀の奇跡的な出生数と生存率に専門家は疑問視

現代の遺伝学者などの専門家たちは、夫フョードルは「多産の遺伝子」を持っていたのではないかと推察している。

また、バレンティナとアンナも一度の月経周期で複数の卵子が排卵される「過剰排卵」の傾向があり、フョードルとの遺伝的な相性によって驚異的な確率で多胎が起こったともされている。

しかし、その一方で、環境面と栄養面において3人に1人が幼児期に死亡し、妊娠と出産のたびに母親の生命に大きなリスクがあった18世紀のロシアにおいて、彼らの奇跡的な出生数と生存率に対して、専門家たちのあいだでは疑問視され、大きな議論を巻き起こしている。

1878年、科学研究機関「フランス科学アカデミー」がフョードルの子どもたちについて検証しようと試み、科学研究機関「サンクトペテルブルク帝国アカデミー」に助言を求めたが、彼らは

「調査や研究は中止すべきだ。

家族の一員がまだモスクワに住んでおり、政府から恩恵を受けているため、調査は不要だと考える。」

と返答している。

これは、当時生存していた子どもや孫、その家族たちのプライバシーに配慮したためと考えられている。

おわりに

バレンティナ・ワシリエフの40年間で69人の子どもを出産した記録は、現在もギネス世界記録に登録されている。

この驚異的な多産記録は、18世紀のロシアという背景を考えると非常に稀有なものである。しかし、その真実性については多くの専門家が疑問を呈しており、具体的な証拠が不足している。

同様に、二人目の妻アンナ・ワシリエフが18人の子どもを産んだという記録も、信憑性については議論が続いている。

ワシリエフ家族の多産物語の真相は、今も闇の中である。

参考 :
Most prolific mother ever | ギネスワールドレコーズ公式サイト

 

藤城奈々 (編集者)

藤城奈々 (編集者)

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ライター・構成作家・編集者
心理、人間関係のメカニズム、スピリチュアル、宇宙
日本脚本家連盟会員

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