国際情勢

『中国の悲願』タイの「クラ運河」計画とは? 東洋のパナマ運河への野望

画像:タイのラノーン県ラーウン郡の高台から望むクラ地峡一帯 Bang Kaeo CC BY-SA 3.0

クラ運河は、タイのクラ地峡を横断し、インド洋と南シナ海を結ぶ人工水路の構想である。

全長約102キロメートル、幅400メートル、深さ25メートルの巨大プロジェクトとして計画され、マラッカ海峡の代替航路として注目される。

中国が「一帯一路」構想の一環として推進を後押しするこの運河は、経済的・軍事的な戦略的意義を持ち、タイ経済の活性化も期待される。

しかし、環境問題や地政学的摩擦により、実現には課題が山積している。本記事では、クラ運河の背景、狙い、影響を解説する。

クラ運河の歴史と構想

画像 : クラ運河を含む運河計画(青線)public domain

クラ運河の起源は、17世紀に遡る。

1677年、タイのアユタヤ王朝時代にフランス人技術者が提案したが、技術的制約で実現しなかった。

19世紀、英国はマラッカ海峡の支配を背景に、この構想を警戒。

20世紀には、1972年に米企業TAMSが詳細計画を提示し、現代では中国が主導的役割を担う。
運河はアンダマン海とタイランド湾を結び、航路を約1,200キロメートル短縮。

2025年現在、タイ政府は陸橋案も検討するが、中国は運河を海上シルクロードの中核と位置づけ、投資を加速している。

総工費は推定280億ドルで、工期は10年とされる。

マラッカ海峡の戦略的課題

画像 : マラッカ海峡・スンダ海峡付近の地勢と主要航路 public domain

マラッカ海峡は、世界貿易の要衝である。

年間約9万4千隻の船舶が通過し、中国の石油輸入の80%が依存する。
しかし、最狭部2.5キロメートル、深さ25メートルのこの海峡は、混雑、海賊、事故リスクが高い。

2025年の予測では船舶数が14万隻を超え、遅延が常態化。
地政学的に、米豪印のクアッド連携やインドのアンダマン・ニコバル諸島からの封鎖リスクが、中国の懸念材料だ。

クラ運河はこれを回避し、航行時間を2日短縮、燃料費や物流コストを大幅に削減する。

中国にとって「マラッカのジレンマ」解消の切り札となる。

中国の経済・軍事戦略

画像 : 習近平国家首席 public domain

中国のクラ運河への関心は、経済と軍事の両面で明確である。

経済的には、運河により年間数億ドルの輸送コスト削減が可能。石油やLNGの安定供給を確保し、サプライチェーンの強靭化を図る。

軍事的には、南シナ海からインド洋への迅速な展開が可能となり、従来の700マイル迂回が不要になる。

中国海軍のインド洋進出が加速し、ベトナムやフィリピンとの領有権争いで優位性を確保。インドや米国の影響力を牽制する狙いもある。

運河の支配権を握れば、中国の海洋覇権が一歩前進する。

環境と地域への影響

画像 : タイ南部ラノーン県ムアンラノーン郡の港町パクナム地区 CC BY-SA 3.0

一方で、クラ運河の建設には多くの課題が残されている。

工事による環境破壊は深刻で、マングローブ林やサンゴ礁など、繊細な生態系が失われる恐れがある。
また、地元漁業への影響も大きく、約10万人が生計を脅かされるとの試算もある。

タイ国内でも意見は分かれており、南部住民のあいだでは分離主義の懸念が高まっている。
さらに、中国による過度な影響力の拡大を警戒する声も根強い。

国際的にも、アメリカやインドがこの運河の戦略的影響を注視している。
もしマラッカ海峡の経済的価値が低下すれば、シンガポールやマレーシアへの影響も避けられない。

こうした状況のなか、タイ政府は慎重な姿勢を崩さず、代替案として「陸橋構想(ランドブリッジ計画)」を模索している。

クラ運河は、中国の海洋戦略を象徴する要のひとつであり、もし実現すればアジアの地政学的構図を大きく変えることとなる。

だがその実現には、環境・経済・政治の三つの課題が重くのしかかる。

タイと中国の交渉の行方、そして国際社会の反応が、今後の命運を左右することになるだろう。

文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部

アバター画像

エックスレバン

投稿者の記事一覧

国際社会の現在や歴史について研究し、現地に赴くなどして政治や経済、文化などを調査する。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【テロ組織】イスラム国(IS)が復活する恐れはあるのか?脅威が再…
  2. 『20世紀前半』なぜ日本は軍国主義に走ってしまったのか?
  3. 近年の中国・オーストラリア関係を振り返る 〜悪化した中豪関係
  4. 『北欧で進む徴兵制』ウクライナ侵攻がもたらした北欧諸国の軍備強化…
  5. 「中国空母が太平洋で同時展開 」台湾有事を見据えた米軍牽制の戦略…
  6. トランプ大統領こそが世界最大の地政学リスク? 〜高関税 中国34…
  7. 『イスラエルとイランの軍事衝突』日本が真っ先に備えるべき事態とは…
  8. 2022年 北京冬季五輪における「外交ボイコット論」を振り返る …

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

江戸時代の侍がニューヨークでアイドルになっていた 【万延元年遣米使節団】 ③ ~アメリカ10代女子からモテモテ

幕末、長年鎖国を続けていた江戸幕府は外国からの圧力の影響で、不平等条約として有名な日米修好通商条約を…

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では割愛?石橋山の合戦に散った豪傑・佐奈田義忠の武勇伝

時は治承4年(1180年)8月23日、平治の乱より20年の雌伏を経て挙兵した源頼朝(みなもとの より…

台湾の社会問題とは 「高齢者社会と飢餓問題」

世界はどこへ向かうのか第3次世界大戦の脅威が現実味を帯びる中、世界の状況は悪化しているよ…

なぜ皇室典範に「譲位の規定」がないのか?天皇の一世一元は薩長藩閥の独裁確立のためだった?

現上皇陛下の生前退位で浮き彫りになった譲位問題2016年(平成28年)7月13日、第12…

『石田三成の最後』 東軍武将たちは処刑前にどんな言葉をかけたのか?

石田三成は、豊臣秀吉の死後、徳川家康と対立し、関ヶ原の戦いで西軍を率いたが敗北を喫した。…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP