教えを広めながらインダス川流域を旅した仏陀。
しかし、彼も老いに抗うことは出来ず、80歳にしてクシナガラの地で倒れた。
「私はもはや成すべきことを成し終えた。再びこの世に戻ることはないだろう」
と言い残し、仏陀は自らの死によって、死は迷いのない境地への旅立ちであることを示したのだった。
仏陀の死は「入滅(にゅうめつ)」といい、入滅とは煩悩が消え、解放されたことを意味する。
ヒンドゥー教における仏陀
仏陀の死の直後、弟子たちは仏陀が修行したラージギルの洞窟で仏陀の言葉を確認しあった。
そうして、お経ができ、仏教は大きく飛躍する。仏教は、インドで隆盛を極めた後、1,000年後にはヒンドゥー教に吸収され始め、徐々に衰えていった。
仏陀の時代から2,500年後の今、インドでは仏教徒は人口の0.7%しかいない。そのため、インド屈指の大都市コルカタ(カルカッタ)でも葬儀は仏教で行い、焼き場はヒンドゥー教のものを利用するしかないという矛盾が生じている。しかし、現在のインドにおける仏陀は、ヒンドゥー教の神々のなかに数えられているのだ。
人や動物の姿で人々を苦しみから救うヒンドゥー教の神「ヴィシュヌ」。その化身の一人に「ラーマーヤナ」の主人公であるラーマ王子がいる。
インドではヴィシュヌを祀る寺院において、ラーマ王子と並び、9番目の化身として仏陀が描かれていた。
ヒンドゥー教における仏陀は「人間として誕生し、修行の果てに仏陀神となった」とされているのだ。インドでは、ヒンドゥー教が仏教も内包したものだとして教えられている。
ベンガル人仏教徒
インド世界の東の端に、今も伝統的な仏教を信じる人々がいた。現在のバングラディシュの東にあるチッタゴンである。
ここにベンガル人仏教徒と呼ばれる人々がいる。バングラディシュでは人口の85%がイスラム教徒であり、街にはモスクが目立つなか、およそ30万人のベンガル人仏教徒がいた。
郊外の村にある寺院でひっそりと生活しているが、ここでは仏陀の時代の仏教に最も近いとされる「南伝仏教(なんでんぶっきょう)」が信じられている。南伝仏教とは、「上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)」とも呼ばれ、インドからスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなどに広まった仏教のことだ。
雨季の修行を終えた僧侶たちが姿を現すと、村人たちは一斉に祈る。仏陀の時代、ジェータヴァーナ寺院(祇園精舎)で見られた光景と同じだという。このように、僧侶たちは仏陀が行ったのと同じ厳しい修行をし、村人たちがそれをお布施によって支える。
ここでは、僧侶と村人は同じ食卓を囲むほど近しい関係にあった。
生活に根付いた仏教
一人の僧侶が病人のいる家に向かう。病人が生きているうちにお経を唱えるのはその村では珍しくないことだ。
僧侶は、横たわる老婆を前に仏陀が入滅の際に語った言葉を唱え始めた。「人はこの世に生まれたら必ず死ぬ。死の手から逃れられる場所はどこにもない」繰り返し語られるのは、「人は必ず死ぬ。善行をしなさい」という仏陀の教えである。生きている者に対して語りかけるのは、あの世で幸福になるのではなく、この世で苦しみから解放されるという仏陀の教えの名残りだった。
ベンガル人仏教徒たちは、昔、インドから移り住んだ仏教徒たちの末裔であるといわれている。多数のイスラム教徒の中で、今も旧い仏教が守られているのだ。
仏教の旅は続く
村で葬儀があると僧侶たちは遺体を挟み、居並ぶ村人たちに対してお経を読む。
ここでも、生きている人々に仏陀の教えを説いていた。遺族たちは、遺体の近くの皿に水を注ぎいれる。これは遺族の功徳が死者に届くように願って行う。
やがて、近親者のなかには悲しみを抑えきれずに嗚咽を漏らすものもいるが、近くのものがその口をふさぐ。これは「世界は移りゆくものであり、死者に執着してはいけない」という仏陀の教えを確認する瞬間であった。そうした光景は南伝仏教ではよく見られるものだ。
ヒマラヤの麓で始まった仏陀の旅は、ガンジス川流域を抜け、インド洋にたどり着いた。その後、仏陀が教えを広めた2,500年前から、仏教はアジア各地に広まり、それぞれの旅を続けている。
南伝仏教
インドで興った仏教は、隣国のスリランカや、陸伝いに東南アジアへと広まっていった。
この「南伝仏教(なんでんぶっきょう)」は、これはベンガル人仏教と同じように、仏陀の時代に近い仏教の特徴を残している。自身の修行により救いを見出すことを目標としている。そのため、厳しい戒律を守る出家信者が多い。この世の苦しみの原因は迷いから生まれる執着であり、これを修行によって断ち切るという考えだ。
一方、ヒマラヤを越えてチベット、中国、朝鮮、そして日本へと広まった「北伝仏教」は、サンスクリット語で「大きい乗り物」を意味する「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」とも呼ばれ、対する南伝仏教は「小乗仏教」とも呼ばれるが、これは北伝仏教から見た場合の呼び方である。北伝仏教では、修行によって現世で苦しむ人々を助けることを目標にしていて、その徳により自分も救われるという考え方になった。
さらに、仏陀も別の世界で阿弥陀仏や阿弥陀如来というように複数存在すると考えられるところや、中国でインド神話の神々と融合して、仏陀に従う神々(四天王など)が存在するなど、その変化は初期の仏教よりも大きいものとなっている。
最後に
このようにして、仏陀の死後に仏教はアジアの東へと広まっていった。
「解脱」「悟り」など、一般的にはわかりにくい概念が中心にあり、キリスト教やイスラム教のように神が存在するわけでもない。
それでも、仏陀の旅路の果てに多くの人々が帰依したのは、その教えに共感しうるものがあったからである。
そして、それは現代でも変わらない。
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