日本には約8万社の神社が存在すると言われています。
その中でも、特に格式の高い神社は、長い歴史と深い信仰によってひときわ存在感を放っています。
その格式や地位は、どのように確立されてきたのでしょうか。
今回は、神社の格式に関するちょっと意外な歴史について紹介していきます。
朝廷からお墨付きを与えられた格式高い3社
平安時代、五穀豊穣を祈る祈年祭や雨ごいの際に、16の神社に御幣(ごへい)が捧げられました。
御幣とは、雷光を模した形に和紙を切り折りした紙垂(しで)を、木製や竹製の棒に挟んだ祓い具です。
神社でご祈祷などを受ける際、神主さんや巫女さんが降っているギザギザの紙を挟んだお祓い棒といえば分かりやすいかもしれません。
平安時代、朝廷は以下の16社を代表格と考えていました。
伊勢、岩清水、加茂、松尾、平野、稲荷、春日、大原野(おおはらの)、大神(おおみわ)、石上(いそのかみ)、大和(おおやまと)、廣瀬、龍田、住吉、丹生(にう)、貴船
中でも伊勢、岩清水、加茂の3社は、最も上位とされていました。
3社のうち、伊勢は皇祖神(神様のご先祖)である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っていて、不動の1位です。
江戸時代にはお伊勢参りが大流行し、現在でも年間600万人を超える参拝者が訪れる殿堂入りの神社です。
岩清水は、天照大神に次ぐNO.2の座に位置する八幡神を祀っています。武家からの信頼が非常に厚い神社でした。
しかし3位は鎌倉時代あたりから顔ぶれが変わり、加茂の代わりに春日が入るようになってきます。
藤原氏と加茂氏の力関係が、そのまま社格として現れた
とはいえ、春日の神様が何か歴史を動かすようなご宣託を下したとか、霊験あらたかなことを行ったというわけではありません。
伊勢は天皇、岩清水は武家が信仰する神社だとすると、もうひとつ欠かせない勢力があります。
それは公家です。
春日大社は公家の藤原氏が祀る神様です。
そして加茂の上賀茂・下鴨両社も公家の加茂氏が祀る神社です。
しかし、藤原氏は歴史の教科書にも良く出てきますが、一方で加茂氏はあまり出てきません。
天皇家の外戚で摂政関白の位を独占し続けた藤原氏に、残念ながら加茂氏は太刀打ちできませんでした。
そんな権力関係が、そのまま神社の順位に反映されたのです。
つまり加茂は春日に権力闘争で敗れ、追い落とされてしまったというわけです。
このように神様の世界にも、世俗の権力争いが現れていたのです。
神様の意思とは無関係に決まってしまった社格
伊勢、岩清水、春日が不動のものとなり、神社の世界においても天皇、武家、公家がお互いに手を取り合って支配する構造になりました。
加茂両社は皇城鎮護の神社として信仰されていますし、「源氏物語」には葵祭の様子が華やかに描かれていますが、強い権力の前には勝てなかったのです。
おわりに
神社の格式も政治的な影響を受けていました。
しかし、それぞれの神社が持つ独自の価値と魅力は大切にしたいもの。
これからも日本の歴史や伝統、そして人々の心に刻まれた大切な存在として未来へ繋がっていくでしょう。
参考 :
「御幣」が捧げ物として持つ本当の意味 そこには、その時代の最先端があった | 國學院大學
下鴨神社について | 下鴨神社
この記事へのコメントはありません。