江戸時代

【厄年は単なる語呂合わせ?】 江戸時代まで遡って厄年の起源を調べてみた

江戸時代まで遡って厄年の起源を調べてみた

画像 : 厄年一覧(日本国内の一般例) wiki c

年始に神社や寺へ行くと、厄年の早見表を掲示しているのをよく見かけますね。

今年が厄年に当たる人は「何かしら悪いことが起こるかもしれない…」と不安に感じて厄払いに行く人も多いでしょう。
しかし、この「厄年」という概念は、実は少し意外なところが起源になっています。

今回は、厄年の起源や背景に迫りながら、その歴史と背後にある意味を探っていきたいと思います。

厄年の起源は平安時代の陰陽道

厄払いを神社や寺でやってくれるので「厄年は宗教的なもの」と思いがちですが、実は宗教とは関係がありません。

仏教の教えや神道の考えに「厄年」という概念は無いのです。

江戸時代まで遡って厄年の起源を調べてみた

画像 : 陰陽五行の考え方 public domain

厄年の起源は平安時代の陰陽道と考えられています。
陰陽道とは日本古来の自然観に中国の儒教や道教、といった思想が混じって発展した呪術や占術の技術体系のことです。

そこには「暦を読む」という考えがあり、そこから「この年齢は気を付けよう」「その年には厄が降りかかるかもしれない」と警戒しなければいけない年が出来たのです。

ただしこの時代は現在とは違い、自分の干支の年が災難が降りかかる警戒すべき年、とされていました。
12年ごとに巡ってくる自分の干支の年に厄払いをしていたのです。

『源氏物語』には、紫の上が37歳の厄年で加持祈祷を受け、物忌みをするくだりが書かれています。
厄年の思想が貴族の間で一般的に浸透していたことが分かります。

厄年は江戸時代にできた語呂合わせだった

ではなぜ今、みんなが横並びで同じ年齢で厄年になるかというと、これは単なる語呂合わせ。
男性の大厄は42歳。つまり「死に」から来ているのです。
そして女性の大厄は33歳。「散々」から来ています。

江戸時代に入り「厄を払う」ことが庶民の間で大ブームになりました。
これは戦乱の世が終わり、社会が安定してきたことが影響しています。

今は落ち着いて生活ができているけど、いつか災難が起こるかもしれない

と考えて、あらかじめそれを防ごうとしたのです。

実際、男性の42歳は働き盛りです。
女性の33歳も多くの人は出産を終え、子育て真っ只中の主婦として家庭の中心人物になる年齢です。

こういった立場や役割が変わりやすい年齢は人生のターニングポイントになることが多いので、「事前に厄を祓っておこう」となるわけです。

とはいえ毎年厄払いにいくのは面倒だし、毎年のように厄が降ってくるとも思えない。
そこで33歳や42歳という仕事や体調などに不安を感じられる時期に、語呂合わせとして厄年を用意したというわけです。

何の宗教的意味もない語呂合わせで成立した厄年ですが、昔の人々が自らの体験を通して理由を後付けし、現在に至るまで語り継がれてきたのです。

ちなみに年末年始に厄払いを行う風習は歴史が浅く、戦後から始まったとされています。

江戸時代まで遡って厄年の起源を調べてみた

画像 : 惣宗寺(佐野厄除け大師) public domain

1965年頃、栃木の惣宗官寺が「佐野厄よけ大師」と新たに命名され、厄除け・厄払いを全面的にプロモーションしました。

その後、埼玉から栃木まで高速道路が開通し、東京近郊在住者が参拝しやすくなくなりました。
加えてテレビCMが関東地方を中心に放送されたことで、「年末年始に厄年をする」という行事は全国的に普及することになりました。

おわりに

日本に古くから伝わる伝統や信仰の中には、数多くの教えや意味が隠されています。
厄年もその一つで、ユニークな背景と歴史を持つ魅力的なテーマと言えますね。

日常の中で感じる不安や迷いも、このような背景知識を知ることで、少し和らげられるのかもしれません。

参考 : 厄年|日本文化いろは事典 他

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【現代に必要なリーダー】 上杉鷹山の成功に学ぶ、財政破綻からの改…
  2. 【死罪のほうがマシ?】江戸時代の過酷すぎる牢暮らしとは ~脱獄や…
  3. 松尾芭蕉は隠密、忍者だったのか? 「奥の細道、不可解な行動」
  4. 江戸の闇を駆けた大泥棒「田舎小僧」~多くの大名・御三卿すらも被害…
  5. 徳川家綱 【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換
  6. 柳生十兵衛の逸話や伝説はなぜ生まれたのか?
  7. 【母親の愛が幽霊となって残る】夜な夜な飴を買い続けた「子育て幽霊…
  8. 大奥の仕組みについて解説【お給料、階級、城での場所】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

劉備&劉禅で最後じゃない!『三国志』時代以降も受け継がれた漢王朝の後継国家を紹介

漢(かん)王朝と言えば高祖・劉邦(りゅう ほう)が興し、一度は断絶するもののやがて復活。その後、魏(…

かつての禁忌の地『五条楽園』は消えたのか?京都の“禁断地帯”の今を歩く

世界的観光地・京都にあって、タブーなエリアの一つであった五条楽園。2010年の取り締まりで色…

本願寺顕如について調べてみた【信長の最大のライバル】

織田信長の最大のライバル 本願寺顕如いきなりですが織田信長の最大のライバルとして思いつく…

【天才詩人同士の苛烈な愛憎劇】ランボーとヴェルレーヌの禁断の関係

19世紀後半のフランスにおいて、象徴派詩運動の先駆けとなった詩人、ポール・ヴェルレーヌ。…

【どうする家康】 ドラマでは絶対に描かれない築山殿の正体とは 「実は夫婦仲が悪く、家康に捨てられていた?」

平和のために奔走する築山殿現在放送されている「どうする家康」は、築山殿事件に突入しています。…

アーカイブ

PAGE TOP