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戦国から江戸の町家500棟が残る!奈良・橿原「今井町」を歩く ~なぜ知名度が低い?

奈良県橿原市の今井町(いまいちょう)は、戦国時代に称念寺を中心とした寺内町として発展し、江戸時代には「大和の金は今井に七分」と謳われた商人の町です。

碁盤目状の町割りと500棟もの町家が残り、江戸情緒を色濃く感じられる場所ですが、全国的な知名度はまだ高くありません。

今回は実際に今井町を訪れ、その歴史を調べながら、なぜこの街が観光地として広く知られていないのかを探ってみました。

重要伝統的建造物群保存地区・今井町の概要

画像:今井町の街並み例 筆者撮影

奈良県橿原市の今井町は、近鉄橿原線「八木西口駅」から徒歩約10分という好立地にあります。

この一帯は1993年(平成5年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、約17.4ヘクタールの広大なエリアに、戦国時代から江戸時代にかけての町並みが、ほぼ完全な形で残されています。

今井町は、1533年(天文2年)に称念寺を中心とした寺内町として形成され、1575年(天正3年)、織田信長との和睦によって自治権を認められました。
その後は「陸の今井」と称され、堺と並ぶ商業都市として繁栄し、「大和の金は今井に七分」といわれるほど豪商たちが活躍しました。

現在でも、約1,500棟弱ある建物のうち約500棟が伝統的建造物に指定されており、東西約600メートル・南北約300メートルという広大な範囲で、江戸時代の町家や商家が軒を連ねています。

全国には宿場町や古い町並みが残る地域は数多くありますが、これほど大規模に歴史的建造物が集中する例はきわめて稀で、全国屈指の重要伝統的建造物群保存地区といえます。

また、称念寺本堂をはじめ、今西家住宅・豊田家住宅など10棟の町家を含む、計9件12棟が国の重要文化財に指定されています。

近年では景観保全にも力を入れており、一部エリアでは無電柱化も進められ、修理・改装の際にも江戸情緒を損なわないよう配慮が徹底されています。

今井町の見どころ

今井町は碁盤目状に整備された通りに多くの商家や町家が立ち並び、江戸情緒あふれる景観を楽しめる地区です。

ここでは代表的なスポットをいくつか紹介します。

画像:蘇武橋の榎 筆者撮影

1.蘇武橋の榎

近鉄橿原線の「八木西口駅」から今井町に入る時に、飛鳥川を渡ります。

その飛鳥川に掛かる蘇武橋のたもとに巨大な榎があり「蘇武橋の榎」と呼ばれ、今井町の目印となっています。

榎でこれほどの大木は珍しく、一見の価値があります。

この付近には聖徳太子が馬を休めたと伝わる「蘇武井」も残り、今井町の玄関口として親しまれています。

画像:称念寺の門と太鼓楼 筆者撮影

2.称念寺

今井町発祥の地である「称念寺」は、天文2年(1533年)に本願寺系の一向宗道場として建立された寺院です。
この寺院を中心に寺内町として町が発展し、現在の今井町の町割りの原型がつくられました。

現在は浄土真宗本願寺派に属しており、今井町の歴史を象徴する存在となっています。

重要文化財に指定された本堂をはじめ、特徴的な太鼓楼や対面所、庫裏・客殿なども見どころで、今井町が寺内町として形成された歴史を物語る中心的スポットです。

画像:今井まちなみ交流センター 筆者撮影

3.今井まちなみ交流センター「華甍」

明治36年(1903年)に高市郡教育博物館として建てられた建物で、県指定有形文化財です。

現在は今井町の歴史や町並み保存運動を紹介する資料館として一般公開されており、模型や映像展示で町の成り立ちを詳しく学ぶことができます(入館無料)。

4.今井まちや館

今井まちや館は、18世紀初期に建てられた大型の町家で、今井町を代表する町家建築の一つです。

当時の町家の構造を可能な限り忠実に復元しており、内部を自由に見学できる施設として公開されています。

建物内部では、江戸時代の暮らしを再現した座敷や台所、土間などを間近で見ることができ、町人の生活や商家の営みを実感することができます。

今井町の町家文化を知る上で、最も分かりやすいスポットのひとつといえます。

画像:重要文化財旧米谷家住宅 筆者撮影

5.今井町エリア内にある重要文化財の商家・町家

今井町には、国の重要文化財に指定された町家や寺院などが、9件12棟あります。

町割りは碁盤目状に整備されており、散策しながら建物の外観をゆっくりと見学するのがおすすめです。

代表的な町家は「今西家住宅・豊田家住宅・中橋家住宅・上田家住宅・音村家住宅・旧米谷家住宅・河合家住宅・高木家住宅・旧上田家住宅・山尾家住宅」などで、いずれも江戸時代から続く豪商や町年寄の屋敷です。

特に今西家住宅は、今井町を代表する建物です。

1575年、織田信長との和睦により今井町が自治権を認められて以降、今西家は町政を担う惣年寄の筆頭を務め、今井町の政治・経済の中心的役割を果たしました。

建物は1650年(慶安3年)に再建されたとされ、特徴的な「八つ棟造り」と呼ばれる複雑な屋根構造をもつ大規模町家です。
民家建築史上でも極めて貴重な存在で、「民家の法隆寺」とも称されています。

今西家住宅の北側から西側にかけては環濠跡が残っており、今井町がかつて環濠で守られた自治都市であった名残を今に伝えています。

町家内部を公開している施設もあるため、今井町の町人文化や商業都市としての繁栄をより深く体感できます。

今井町を訪れる人が少ない理由の考察

画像 : 今井町の町並 wiki©ignis

日本全国に点在する重要伝統的建造物群保存地区には、江戸時代の宿場町や商家町など、さまざまな町並みが含まれます。

一般的には旧街道沿いに形成された小規模な宿場町が多く、数十棟程度の伝統的建造物が残る地区が多い中で、今井町は500棟もの町家が現存しており、その規模は全国屈指です。

これほど貴重な景観を残しながら、意外にも全国的な知名度はまだ高くありません。
その理由として、主に次の3点が考えられます。

第一に、立地の問題です。

今井町は近鉄奈良駅から電車で30分ほど離れた橿原市にあり、奈良公園周辺を訪れる観光客が足を延ばすケースは多くありません。

第二に、周辺観光との関係です。

橿原市には橿原神宮や藤原宮跡といった史跡がありますが、目的地として訪れる観光客はそれほど多くなく、さらに近接する明日香村の史跡巡りを優先すると、時間的に今井町まで足を運ぶのが難しい傾向にあります。

第三に、観光情報発信の課題です。

奈良県には東大寺や法隆寺など3つの世界遺産があり、それらに注目が集まりやすい一方で、今井町は十分にPRされているとはいえません。

もっとも、観光客が少ないことで、今井町は今も静かで落ち着いた町歩きを楽しめる貴重な場所となっています。

今後、奈良県が進めている明日香村や藤原宮跡を含めた地域を世界遺産に推す計画が実現すれば、今井町の知名度も大きく高まるかもしれません。

落ち着いた雰囲気の中で歴史を体感できる街として、一度足を運び、今井町ならではの魅力を味わってみてはいかがでしょうか。

参考 : 橿原市公式ホームページ「今井町」他
文:撮影 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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