城,神社寺巡り

『黄金のイチョウ』この秋ぜひ訪れたい鎌倉「安国論寺」〜日蓮ゆかりの聖地

日蓮がはじめて鎌倉に住した草庵が寺のはじまり

画像:安国論寺 境内を黄金色に染めるイチヨウ(写真:安国論寺)

安国論寺」は、日蓮上人が鎌倉で最初に草庵を結んだ場所と伝わる日蓮宗の寺院で、正式には「妙法華経山 安国論寺(みょうほうけきょうざん あんこくろんじ)」と称する。

日蓮は郷里である安房国の清澄寺で修行を重ね、のちに延暦寺を含む比叡山地域などでも学んだと伝わる。

法華経こそが至上の教えと確信し、他宗を退ける布教を進めた。

しかし、地元の地頭と対立を深めたため、鎌倉の名越氏(名越一族)を頼り、草庵を構えたとされる。

その後、日蓮はこの草庵を中心に、小町夷堂付近で辻説法を行い信者を広めていった。

また、1258年(正嘉2年)には駿河国・実相寺での思索を終え、再びこの草庵に戻っている。

『立正安国論』を著した御法窟ほか日蓮ゆかりの堂宇が建つ

画像:安国論寺本堂(撮影:高野晃彰)

1260年(文応元年)、日蓮は鎌倉松葉ヶ谷の草庵において、『立正安国論』を著した。

その内容は、「法華経を正しく信じ奉じなければ、必ず国に災難が訪れる」というもので、前執権・北条時頼に献じたと伝えられる。

日蓮の予言は、その約10年後の1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)に、元と高麗の連合軍が九州に来襲する元寇という形で現実となった。

画像:日蓮 波木井の御影(身延山久遠寺蔵)public domain

日蓮の教えは、「南無妙法蓮華経」と唱える題目によって救済に至るという点に特色がある。

さらに、法華経こそが釈迦の真実の教えであり、その他の経典は未完成あるいは誤りに基づくものと断じた。

こうした主張は、当時広く信仰を集めていた浄土宗をはじめ、諸宗への痛烈な批判となったため、やがて激しい迫害を招くことになる。

ついには、草庵焼き討ちの法難(松葉ヶ谷法難)によって日蓮は捕らえられ、1261年(弘長元年)に伊豆へ流罪となった。

この草庵の跡地が、のちに安国論寺として整備されたと伝わる。寺の起源は建長5年(1253年)にさかのぼる。

秋から初冬にかけて境内は「黄金色のイチョウ」で彩られる

画像:安国論寺 日蓮が立正安国論を書いた御法窟(撮影:高野晃彰)

境内には、祖師堂・御小庵・日朗荼毘所・山門などが立ち並ぶほか、日蓮が『立正安国論』を執筆したと伝わる御法窟、題目を唱えたとされる高台の富士見台がある。

晴れた日には、富士見台から由比ヶ浜越しに富士山を望むことができる。

また、草庵が襲撃を受けた際、日蓮が逃れたと伝わる南面窟も現存する。

境内奥に位置するこの南面窟は、草庵焼き討ちの法難の折、山王大権現の化身である白猿に導かれて日蓮が難を逃れたという言い伝えを残している。

寺域には、行財政改革で知られ「メザシの土光さん」と親しまれた元経団連会長・土光敏夫氏の墓所もある。

画像:安国論寺の秋(写真:安国論寺)

境内のヤマザクラは「市原虎の尾」と称される名桜で、日蓮が安房から持ち帰った枝が根付いたものと伝わる。

本堂前に咲くカイドウやサザンカとともに、市の天然記念物に指定されている。
他にもゲンベイモモやヤマアジサイなど、四季折々の花が境内を彩る。

なかでも、秋から初冬にかけて、境内を黄金色に染め上げる「イチョウ」の美しさは格別である。

ぜひ、この季節に訪れてほしい寺院の一つである。

妙法華経山 安国論寺
住所:鎌倉市大町4-4-18
電話:0467-22-4825
拝観:9:00~16:30(月曜閉門)
拝観料:100円

※参考文献
鎌倉仏像さんぽ編集室著 『鎌倉仏像さんぽ』メイツユニバーサルコンテンツ刊
文:撮影 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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