虎に翼

『虎に翼』 ボーナス8億円? 昭和初期サラリーマンの年収とは 「寅子は富裕層だった」

虎に翼』には、華族のお嬢様から身売りされそうになった農村出身の娘まで、さまざまなタイプの女性が登場します。

ヒロイン・寅子の家は、銀行員の父親を持つサラリーマン家庭。劇中で寅子は裕福な家の子女として描かれていますが、当時のサラリーマンの年収は、いかほどだったのでしょうか?

今回は、昭和初期のサラリーマンの年収について調べてみました。

腰弁からサラリーマンへ

昭和初期サラリーマンの年収とは

画像.丸の内界隈(1930). public domain

サラリーマンの元祖は、明治時代に国策によって作られた銀行や企業で働く「エリート会社員」です。

当時は「俸給生活者」や「勤め人」、「腰弁」などという呼び名でしたが、大正時代になると「サラリーマン」と和製英語で呼ばれるようになります。

この頃のサラリーマンとはホワイトカラーを指し、昭和5年の職業別人口によると、サラリーマン層が全体に占める割合はわずか7%。当時はまだ自営業と家族従事者が主流の社会でした。

しかし、給料の良さと安定性から、サラリーマンはとても人気があり、大正バブル崩壊後の就職戦線では、20名から30名の採用に対して、常に500名から600名を超える応募があったそうです。

戦前のサラリーマンの平均月収

昭和初期サラリーマンの年収とは

画像.100円券. public domain

昭和ひとケタ時代のサラリーマンの平均月収は、100円前後でした。2000倍すると現在の貨幣額に換算できるので、20万円に相当します。

夫婦二人なら50円(現在のおよそ10万円)で十分生活できるといわれ、月給100円以上のサラリーマンは、不景気の時でもそれほど苦しくはないとされていました。

戦前の税制は間接税中心で、課税最低限が年収1200円。戦前を通じて、月収100円もしくは年収1200円が、収入のひとつの基準とされました。実際には家族一人につき扶養控除も100円あったので、実質年収1500円までは非課税となっています。

では、いったいどのくらいの人が納税していたのかというと、昭和11年の所得税納税世帯は全体のわずか5%です。全世帯平均所得900円に対し、納税世帯の所得平均は3394円。所得税を払っていたのは一部の高額所得者だけであり、そのため納税は「階級」を意味しました。

所得税もかからず、年金や保険といった社会保障費の負担もないため、月収100円は、そのまま手取りとなります。うらやましい気もしますが、税金が安い分、何もしてくれないのが戦前の社会でした。

戦前のサラリーマンの昇給と昇進

昭和ひとケタ時代のサラリーマンの初任給は大卒で60円から90円。現在の貨幣額で、だいたい12万円から18万円くらいです。

当時は学歴によるあからさまな給与差別があり、同じ大卒でも帝大卒は80円~90円、私大卒では60円~70円と、帝大は別格でした。
しかも若いうちは毎年10%ずつ給与が上がるのが相場だったので、この差はどんどん開いていき、さらに大きな格差となりました。

一方、昇進はどうかというと、一流企業の高学歴ホワイトカラーの場合、入社10年で主任となり、月給は150円から160円、ボーナスは半期7、8カ月で、年収はざっと4000円前後になります。
「中流階級の標準」は3000円といわれていた時代ですので、エリートサラリーマンは、主任クラスで中流階級の仲間入りです。

さらに課長クラスになるには入社20年から30年かかり、月給が250円、ボーナスが半期12、3ヶ月相当、年間で24ヶ月。年収は9000円です。
『虎に翼』の寅子の父親は、帝都銀行経理部第一課長ですので、このクラスになると思われます。

不景気だった昭和4年でこの金額ですので、好況期にはボーナスだけで1、2万円もあったそうです。

ただし、当時の課長は現在の課長とは意味合いが異なり、財閥本社では課長級は全社で10人ほどしかおらず、役員の一歩手前くらいの立場でした。

昭和初期サラリーマンの年収とは

画像.団琢磨. public domain

さらに上の重役クラスともなると桁が違います。三井の理事を務めた団琢磨は、ボーナス40万円。現在の貨幣額にしてなんと8億円です。

しかもボーナスは無税でした。

おわりに

これまで一流企業の高学歴エリートサラリーマンを例に見てきました。

先述したように、大正10年に当時の経済学者が考えた中流ラインは年収3000円でした。しかし、実際には年収3000~5000円の世帯はたったの0.3%で、98%が2000円以下でした。そのうち600円から2000円の「下流の上」が約9パーセントで、9割が年収650円以下だったのです。

公務員は、キャリア組である奏任官の平均年収が2375円でやっと中流。下から2番目のノンキャリア組である判任官の平均年収は、744円で「貧民の上」といわれていました。

戦前の大企業の課長クラスが、いかに飛び抜けた好待遇だったかが分かります。

戦前は、学歴・職歴差別に起因する大きな格差が存在する社会でした。都市と農村、富裕層と貧困層と、広がり続ける格差社会の息苦しさから脱するため、「戦争」を待望する声が生まれてきたのでした。

参考文献:岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン 戦前日本の「平和」な生活』.講談社

 

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