西洋史

イギリスの歴史名所「ウィンザー城とロンドン塔」25体の幽霊伝承

画像:ロンドン塔のアン(19世紀画) public domain

イギリスでは、幽霊が出るとされる部屋や屋敷が人気を集め、時にはそうした物件に高い価値がつくこともあります。

実際、イギリスには幽霊の名所を巡るツアーが存在し、歴史的な建造物の中には、幽霊の目撃談が多く残る場所も少なくありません。

日本では、人が亡くなった後に幽霊や不可思議な現象が報告されると、「曰くつきの物件」として忌避され、お祓いや鎮魂の儀式が行われることが一般的です。

一方、イギリスではこうした伝承を観光資源として活用する傾向があり、日本とは大きく事情が異なっています。

今回は、不気味ながらも多くの人を惹きつけるイギリスの幽霊城と、それにまつわる歴史上の人物たちの関係について詳しく見ていきます。

幽霊城の極み「ウインザー城」

画像:グレート・パークから見たウィンザー城 wiki c Diliff

首都ロンドンから西へ約35㎞、テムズ川の南岸に位置するウインザー城は、イギリス国王が週末を過ごすことでも知られるヨーロッパ最大級の古城です。

その起源は11世紀に遡り、征服王ウィリアム1世の治世に築かれました。

当初は、盛り土による「モット」と呼ばれる丘の上に城塔(ドンジョン)を建て、周囲を堀と土塁(ベイリー)で囲んだ城塞でした。
その後、歴代の王たちによる拡張と改築を経て、現在の壮大な姿へと発展しました。

近年では、故エリザベス2世がこの城の聖ジョージ礼拝堂に埋葬されたことも記憶に新しいところです。

しかしウィンザー城は、イギリスで最も由緒ある城のひとつであると同時に、最も幽霊の目撃が多い場所でもあるのです。

その数は報告されているだけで25体以上にのぼり、その多くが歴史上の著名な人物です。

城は王の居城や外交の場としてだけでなく、時には幽閉の場としても利用されてきました。
また、城内の礼拝堂は王家の墓所でもあり、エリザベス2世を含む10人以上の王や王妃がここに埋葬されているのです。

死してなお城を彷徨う王

画像:ヘンリー8世(1537年頃 ハンス・ホルバイン画) public domain

ウィンザー城で目撃される数々の幽霊の中でも、特に有名なのはヘンリー8世とその妻たちです。

16世紀前半に在位したテューダー朝第2代イングランド王ヘンリー8世は、絶対王政の強化を進め、ローマ教皇庁から分離してイングランド国教会を設立しました。

また、王位継承のために男児を求め、半ば強引に6人の妃を次々と娶った上、妃らの殆どが無事に生き延びられなかったという、ある意味悪名高き人物としても知られています。

身長182cmの堂々とした体格に恵まれていたものの、晩年には極度の肥満と足の潰瘍に苦しみました。

ウィンザー城では、足を引きずりながら歩き回る彼の足音を聞いたという証言が数多く残されており、中にはうめき声を聞いたという人もいるそうです。

哀し気な王妃、凛とした女王の幽霊

画像:テューダー・ローズの紋様とオコジョの毛皮で飾った即位衣を纏うエリザベス1世 public domain

ヘンリー8世によって最初に処刑された王妃アン・ブーリンの姿も、ウィンザー城で目撃されています。

ホールやバルコニーに現れる彼女は、どこか悲しげな佇まいを見せるといいます。

アン・ブーリンは、男児を流産したことでヘンリー8世の不興を買い、王妃の地位を剥奪された上に、流産からわずか四か月後に斬首されました。その無念さが、今も城に彼女の姿をとどめているのかもしれません。

また、ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘であるエリザベス1世も、この城で目撃されている幽霊のひとりです。

1558年に25歳で即位した彼女は、歴代の君主の中でも特に輝かしい足跡を残した人物といっても過言ではありません。
善政を敷き、国内の宗教問題を解決し、イギリス海軍を改革してスペインの無敵艦隊を打ち破るという快挙を成し遂げました。また、産業の発展を促し、ウィリアム・シェイクスピアをはじめとする芸術・文化の黄金期をもたらした名君でもあります。

このような偉業を成し遂げたエリザベス1世ですが、その姿がウィンザー城のライブラリーで目撃されています。
城の警備員によると、黒のガウンに黒のショールを身にまとい、絨毯の敷かれていない床に靴音を響かせながら、隣の部屋へと移動していったそうです。

そして興味深いことに、エリザベス2世と妹のマーガレット王女も、エリザベス1世の幽霊を目撃したというのですから、信憑性もなかなかのものではないでしょうか。

もう一つの幽霊名所「ロンドン塔」

画像:ロンドン塔 wiki c pikous

イギリスの観光名所として広く知られるロンドン塔は、その歴史の古さでも際立っています。

その起源は古く、この地には古代ローマ時代から囲壁が存在していました。その東南隅に城郭を築いたのが、前述した征服王ウィリアム1世です。

その後、ロンドン塔は増改築が繰り返され、王の居城としてだけでなく、幽閉や収監、さらには処刑場としても使われるようになりました。

そのため、ロンドン塔はロンドンのランドマークであると同時に、その血塗られた歴史から「幽霊の名所」としても知られています。

そして、ここで目撃される幽霊の中でも特に興味深いのが、アン・ブーリンです。王妃として暮らしたウィンザー城での目撃談が多い彼女ですが、このロンドン塔でも目撃が絶えません。

というのも、アン・ブーリンが流産の後、言いがかり同然に姦通罪を問われ、処刑されたのがこのロンドン塔だからです。

彼女の幽霊は塔内のさまざまな場所で目撃されていますが、特に多いのが斬首された王室礼拝堂前の芝生です。中には、首のない姿で徘徊しているという証言もあります。

また、先に述べたウィンザー城で目撃されるエリザベス1世の幽霊は、女王が少女時代を過ごしたロンドン郊外の館ハットフィールド・ハウスでも目撃されているそうです。しかも、その姿は女王に即位する前の少女の姿だったといわれています。

ことの真偽はともかく、こうした目撃談を通じて、かつて生きた人々が幽霊という形で現在の記憶に留められていることは、歴史上の人物への一種の鎮魂の形なのかもしれません。

参考文献:『英国の幽霊城ミステリー』/織守きょうや(著),山田佳世子(イラスト)
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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