地域の守護神「氏神」は、氏族の祖神を祀った神社だった

画像:春日大社本殿 草の実堂撮影
2025年も、残すところあと1ヵ月あまりとなりました。
今年は、昨年(2024年)のような大災害(能登半島地震や能登地方での記録的大雨など)こそ起きなかったものの、埼玉県八潮市の道路陥没事故、大船渡市の山林火災、四日市市地下駐車場冠水事故など、各地でさまざまな事故や災害が発生しました。
また、世界に目を向ければ、イランとイスラエルの戦争、ロシアによるウクライナ侵攻など、2024年から続く国際紛争は依然として解決の兆しが見られず、混迷の度合いを深めています。
このような状況下で日本も、さまざまな課題を抱えたまま2026年を迎えることになるでしょう。
だからこそ、初詣で神社仏閣に足を運び、新年の無病息災や平安無事を祈りたいものです。
初詣というと、手軽さから自宅近くの神社へ参拝する人が多いようです。
こうした神社には、その土地に古くから祀られてきた神様(地主神)、あるいは地域の守り神(守護神)としての役割を担う神様が祀られており、一般に「氏神」と呼ばれています。
そのため、氏神様への初詣には、地域を守ってくださる神様へ新年の感謝と祈りを捧げ、家内安全や地域の繁栄を願うという意味が込められているのです。
もっとも、現代の「氏神」の定義はこの理解で問題ありませんが、古代においては、有力豪族を含む日本各地の氏族それぞれが、自らの祖神・守護神を祀る神や神社を「氏神」と称していました。
そして、その「氏神」が祀られた場所は、多くの場合、その氏族の本拠地やゆかりの地であったのです。
古代氏族がその本貫地に祖神を祀る「氏神」を創建する

画像:石上神宮 wiki.c
では、豪族たちは「氏神」としてどのような神社を設けていたのか、代表的な例を紹介しましょう。
古代氏族として著名なのは、物部氏・蘇我氏・大伴氏などです。
いずれも、ヤマト国家の成立期から大王を支える大臣・大連として重きをなした有力氏族でした。
歴史上、日本古来の神を篤く崇拝した氏族といえば、やはり物部氏が挙げられます。
欽明大王の時代(6世紀中頃)、百済から仏教が伝わると、崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋が対立したことは、『日本書紀』や『上宮聖徳法王帝説』に記されています。
新たな信仰である仏教を排斥して、古来の神々を守ろうとした物部氏の氏神としては、奈良県天理市にある「石上神宮(いそのかみじんぐう)」が有名です。
祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)で、古代から軍事・祭祀を司った物部氏との関わりが深い神社です。
また、大阪府東大阪市の「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」には、物部氏の祖神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)と、その子・可美真手命(うましまでのみこと)の二柱が祀られています。
神社の鎮座する生駒山西麓は、物部氏が古くから居住した本貫地とされています。
一方、物部氏と対立したとされる蘇我氏は、馬子が日本最初の本格的寺院である法興寺(飛鳥寺)を氏寺として建立したことから、一般に仏教と縁の深い氏族という印象が強いですが、奈良県橿原市には「宗我都比古神社(そがつひこじんじゃ)」を創建しており、神社祭祀とも関わりを持っていました。
同社の創建は飛鳥寺を建立した蘇我馬子によるものと伝えられ、始祖である蘇我石川宿禰夫妻(曾我都比古神・曾我都比売神)の二柱を、蘇我氏発祥の地の一つとされるこの地に祀ったとされています。

画像:住吉大伴神社 public domain
そして、大王家に部門として仕えた大伴氏の「氏神」を祀る神社として知られるのが、京都市右京区に鎮座する「住吉大伴神社」です。
平安京への遷都に際し、大伴氏が大和国から都へ移った際に、祖神である天忍日命(あまのおしひのみこと)と道臣命(みちのおみのみこと)を祀ったのが始まりとされています。
また、大阪府藤井寺市の「伴林氏神社(ともばやしじんじゃ)」も大伴氏と深いゆかりをもつ神社であり、ここでは天忍日命・道臣命の祖にあたる高御産巣日神(たかみむすひのかみ)を祀っています。
同神は、天照大神を祀る前に天皇家が祭祀した本来の皇祖神との説もあり、大伴氏が自らの祖神を天皇家と同一の神と位置づけていたことがうかがえ、きわめて興味深いといえるでしょう。
この他、日本史上最も栄えたといえる氏族・藤原氏は、奈良県奈良市の「春日大社」を氏神として、守護神・武甕槌命(たけみかづち)、経津主命(ふつぬしのかみ)、そして藤原氏の祖神・天児屋根命(あめのこやねのみこと) などを祀ります。
さらに、紀氏は奈良県平群町に「平群坐紀氏神社(へぐりにますきしじんじゃ)」、佐伯氏は富山県立山町に「雄山神社(おやまじんじゃ)」、安曇氏は長野県安曇野市に「穂高神社」、阿蘇氏は熊本県阿蘇市に「阿蘇神社」をそれぞれ「氏神」として創建しました。
来る新年の初詣は、祖神を祀る氏神様へ参拝

画像:松尾大社 public domain
このように各支族は、祖神や祖先を「氏神」として祀るのが一般的でしたが、必ずしもそれだけに限られていたわけではありません。
例えば、渡来人として名高い秦氏は、祖先を秦の始皇帝と伝えていますが、彼らが創建した京都市西京区の「松尾大社(まつのおたいしゃ)」では、古くから当地で祀られてきたとされる大山咋神(おおやまぐいのかみ)を主祭神とし、秦氏の総氏神としています。
また、近江地方で栄えた息長(おきなが)氏は、滋賀県米原市の「山津照神社(やまつてるじんじゃ)」を氏神としており、同社の境内には祖先(神功皇后の父・息長宿禰王)を葬ったと考えられる古墳が残されています。
これは、先祖の墳墓が神聖視されることによって氏神へと変容した例であるともいえます。
このように氏神には、その土地に古くから祀られてきた神様としての側面や、地域の守り神としての役割に加え、各氏族が祖神や祖先を祀った神であるという性格も備わっています。
もしご自身の家系を遡って先祖が分かる方、あるいは歴史上好きな氏族がある方は、来年(新年)の初詣には、そうした「氏神」を訪れて参拝してみてはいかがでしょうか。
※参考文献
新谷尚紀著『氏神さまと鎮守さま 神社の民俗史』講談社選書刊メチエ
文:高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部























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