世界史

「一人の騎士が国の支配者へ」英雄エル・シッドはいかにしてのし上がったか

画像 : イベリア半島の諸勢力分布(1031年頃)CC BY-SA 3.0

11世紀のイベリア半島、すなわち現在のスペインとポルトガルにあたる地域では、キリスト教諸国とイスラム教諸国が入り混じり、王位をめぐる内紛や領土争いが絶えなかった。

そんな激動の時代に、独自の勢力を築き上げた1人の騎士がいた。

その名は、ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール

後世に英雄エル・シッドとして神話化される彼は、実際には物語に描かれるような清廉潔白な聖者ではなかった。

1人の騎士が、いかにして一国の支配者へとのし上がったのか。そのしたたかで複雑な歩みをたどっていく。

主君の暗殺と宿敵の即位

画像:ブルゴスにあるエル・シッドの騎馬像 ElCaminodeSantiago09 CC BY-SA 3.0

1043年頃、カスティリャ王国の中心地ブルゴス近郊のビバールで生まれたロドリーゴは、カスティリャの下級貴族の家に育った。

やがて王フェルナンド1世の長男サンチョ2世に仕え、その軍才を認められて王の旗手(アルフェレス)に取り立てられる。

1065年、フェルナンド1世が死去すると、王国はサンチョ2世、アルフォンソ6世、ガルシアの3兄弟に分割された。

だがこの分割は安定をもたらさず、兄弟同士の戦いがすぐに始まる。
ロドリーゴは主君サンチョ2世の側に立ち、1068年のランタダの戦いや1072年のゴルペヘラの戦いで、弟アルフォンソ6世の軍を打ち破った。

しかし1072年、サンチョ2世が包囲中のサモラで暗殺されると、状況は一変する。

王位に就いたのは、かつて敵として戦ったアルフォンソ6世だった。

画像:アルフォンソ6世 public domain

ロドリーゴは新王に臣従したものの、宮廷での立場は安定しなかった。

11世紀末に編纂された史料『ロドリーゴの事績』によれば、彼は王の不信を受け、貴族たちからも敵視されていたという。
とくに1079年、セビリアからの貢納金徴収の任務中に、有力貴族ガルシア・オルドニェスと武力衝突を起こした事件は、王との関係を決定的に悪化させた。

そして1081年、アルフォンソ6世はこれを越権行為と断じ、ロドリーゴを国外追放とした。

サラゴサにおけるムスリム君主への臣従

画像:サラゴサのタイファにあるアルハフェリア宮殿の様子 wiki c ecelan

カスティリャを追放されたロドリーゴが身を寄せたのは、イスラム系の小国が割拠していたサラゴサのタイファ政権であった。

キリスト教国の騎士がイスラム教の君主に仕えるのは意外にも見えるが、11世紀のイベリア半島では、報酬や生き残りのために宗派を越えて主君を替えることは珍しいことではなかった。

ロドリーゴはサラゴサで、その君主一族に仕えながら軍人としての力を発揮していく。
1082年のアルメナールの戦いではサラゴサ側の将として敵を破り、バルセロナ伯ベレンゲール・ラモン2世を捕虜にするという大きな戦果を挙げた。

この時期、ロドリーゴはイスラム教徒の兵士たちから、アラビア語で「主君」を意味する敬称にちなむ呼び名で呼ばれるようになった。

これが後に「エル・シッド」として定着していく。

彼はまた、戦場で勝つだけでなく政治交渉や統治の技術にも触れ、1人の武人から、より大きな力を動かす存在へと変わっていった。

サラゴサ時代に彼が手にした富と名声は、もはや一国の家臣という枠に収まらない、自立した軍事勢力の基盤を形作ることになった。

かつての亡命者は、異郷の地で誰にも無視できない実力者へと成長していたのである。

バレンシア包囲戦と軍閥の自立

画像:エル・シッドの物語の表紙に描かれたロドリーゴ(16世紀)public domain

しかし、サラゴサで名声を高めたあとも、ロドリーゴの立場は安定しなかった。

1086年、北アフリカのムラービト朝がイベリア半島に侵攻すると、アルフォンソ6世は大きな危機に直面した。この危機に対処するため、王はかつて追放したロドリーゴを呼び戻したのである。

だが両者の和解は長く続かなかった。1089年、軍事行動をめぐる対立から、ロドリーゴは再びアルフォンソ6世のもとを離れることになる。

この2度目の離反が、ロドリーゴの運命を大きく変えた。
ここから彼は、特定の君主に仕えるのをやめ、自らの軍事力をもとに動く独立した勢力の長として振る舞い始めたのである。

彼が新たな拠点として狙いを定めたのは、地中海沿岸の重要都市バレンシアだった。
当時のバレンシアは、内部の対立と外部からの圧力にさらされ、不安定な状態にあった。

1092年、ロドリーゴの影響下にあった君主カディルが反乱の中で殺されると、彼はこの混乱に乗じて本格的な包囲戦に踏み切る。
力任せに攻め込むのではなく、周囲の補給路を断って都市を孤立させ、兵糧攻めによって追い詰めていったのである。

歴史家イブン・イザーリーの『アル・バヤン・アル・マグリブ』にも、当時の悲惨な状況が記されている。
厳しい封鎖の中で、バレンシアの住民は深刻な飢餓に苦しめられた。

1094年6月、長い包囲の末にバレンシアはついに開城した。

ここでロドリーゴは、歴史にその名を刻む大胆な行動に出る。彼はバレンシアを名目上はアルフォンソ6世の権威の下に置きながら、実際には自らの軍事力と統治によって支配する独自の政権を築いたのである。

それは、主君に翻弄され続けた1人の騎士が、ついに自らの力で一国の支配者へとのし上がった瞬間であった。

ムラービト朝との死闘と最期

画像:1094年にバレンシアを征服した後、 エル・シッドことロドリーゴがムラービト朝の同盟者の処刑を命じる場面 public domain

こうしてバレンシアの支配者となったロドリーゴだったが、彼を待ち受けていたのは、北アフリカから勢力を伸ばしてきた厳格なイスラム勢力、ムラービト朝との激しい死闘だった。

1094年10月、バレンシアの奪還を目指して押し寄せる大軍に対し、ロドリーゴはクアルテの戦いにおいて、電撃的な騎兵突撃を軸とした鮮やかな戦術を披露し、これを見事に退けた。
この勝利は、それまで破竹の勢いだったムラービト朝にとって、イベリア半島で受けた最初の重大な敗北の1つとなり、指揮官としての彼の評価を不動のものにした。

一方、統治者としてのロドリーゴは、ただ武力に頼るだけではなかった。

モスクを教会へと改める一方で、現地のムスリム住民にも一定の財産権を認め、異なる信仰を持つ人々を抱え込むかたちで都市を治めている。

だが、戦乱は彼の私生活にも影を落とした。1097年、一人息子ディエゴ・ロドリゲスが戦死したのである。後継者を失う痛手を抱えながらも、ロドリーゴは1099年に死去するまでバレンシア支配を維持した。

ロドリーゴの死後、バレンシアは妻ヒメナによって1102年まで保たれたが、最終的には放棄され、都市は再びイスラム勢力の手に渡った。

その後、ロドリーゴの遺体はゆかりの修道院への埋葬を経て、現在はブルゴス大聖堂に置かれている。

後世の人々は彼を「エル・シッド」として英雄化した。

ロドリーゴの生涯を支えていたのは、忠義でも裏切りでもない現実主義であった。その生き方は、11世紀イベリア半島の複雑さをよく物語っていると言えるだろう。

参考文献
『エル・シッド 中世スペインの英雄』(叢書・ウニベルシタス558)/リチャード・フレッチャー(著),林邦夫(訳)
『エル・シッド・カンペアドル』/ラモン・メネンデス ピダル (著),安達 丈夫(訳)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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