国民食と言われて久しい牛丼ですが、今年は特にプレミアムな夏となっています。
牛丼界の雄、吉野家が8月14日から発売した「すき焼き重」が話題となっているからです。
これは米国産牛のサーロインを使用、吉野家にはめずらしいお重の上の堂々120gが鎮座しています。発売当日は各店舗で早々に売り切れ、翌15日からは「11時からの数量限定販売」になったほどの人気をよびました。860円(税込み)と吉野家としては高い価格設定でも、そのグレードのから言って1000円以下はありえないということも一因ではないでしょうか。
そしてもうひとつのプレミアムは東京を代表するホテル「ザ・キャピトルホテル東急」のレストラン「ORIGAMI」が「キャピトル牛丼」を6月16日から売り出したことです。
黒毛和牛のリブロースをごはんとほぼ同量の150g使用し、兵庫県産の玉ねぎもその都度調理するという手間のかけよう。ちなみにお値段も¥5464(税込み)とプレミアム!(笑)
上記の吉野家の「サーロインすき焼き重」もそれを意識していての発売という見方をする人もいます。
そして、創業120周年の「吉野家」について調べてみました。
吉野家の歴史
1899年に誕生した吉野家。これまでにさまざまな危機を乗り越えた牛丼の100年にわたる歴史とは。
当時、日本橋にあった魚河岸で、いそがしく働く職人たちのため、料亭で働いていた創業者・松田栄吉が、「牛めし」に目をつけのが吉野家の創業でした。
その後、関東大震災により魚河岸は壊滅、吉野家も築地への移転を余儀なくされました、しかし、そこでも吉野家の評判は広がり、はやくも多くの人の支持を得ました。
1950年代
東京大空襲により、店舗を焼失した吉野家は、戦後市場の復興のため、食材もそろわない中、すぐに屋台で商売を再開しました。
その後1958年に松田は株式会社吉野家を設立。牛丼のみにメニューを限定。牛肉と玉ねぎだけのシンプルな「牛丼」の提供をはじめました。また、煮ながら盛りつける調理のかたちもこの時、確立したのでした。
1960年代
「はやい、うまい、やすい」をキーワードに多店舗化に向けて歩み始めた吉野家。
その後年商1億円を突破したのち2号店となる新橋店を開店しました。
また多店舗化には食材の安定的な調達が不可欠です。国産牛だけでは限界があり、ある時、米国産牛肉を使ってみたところ牛丼の味に合うことを発見したのもこの頃でした。
1970年代
しかし、1970年の石油ショックので、日本政府は一時的に牛肉の輸入を禁止しました。
日本に牛肉を輸入できなくなった吉野家は、米国・デンバーに吉野家海外一号店をオープン。牛丼を「Beef Bowl(ビーフボウル)」の販売を開始しました。
1980年代
牛肉輸入完全自由化前で確保できる輸入牛肉の量では、全店舗の牛肉をまかなえなくなってきました。そこで、これまでの牛肉に、自由に輸入できるフリーズドライの牛肉をブレンドすることを決定するも“焼け石に水”味の不評もかってしまいました。
また急速な店舗展開により資金繰りが悪化。1980年7月、会社更生法を申請することになってしまいました。ただこの倒産の逆境にもかかわらず、従業員たちは本来の「吉野家の味」を取り戻すため、フリーズドライ牛肉をやめ、原点の「吉野家の牛丼」の味を復活させました。
1990年代
ついに牛肉の輸入が自由化され、吉野家の出店が加速していきます。
しかし1993年には記録的な冷夏により、米不足が全国的に発生、牛丼の米の確保に追われてしまいます。これを機に、米不足が解消された後は、独自の米のブレンドによる「吉野家規格」を開発しました。
2000年代
米国でBSEに感染した牛が発見され、米国産牛肉の調達が停止してしまいました。他国から輸入するなど奔走しましたが、結局は吉野家の品質を守れる牛肉の確保は難しく、2003年末に、断腸の思いで牛丼販売の休止することになりました。
2004年2月11日、日本の吉野家から牛丼が消えました。
休止から1年後の2005年2月11日。なんとか米国産牛肉をかき集め、1日限定で牛丼が復活。この日は多くのお客様が列を作り、1日限りの牛丼の復活を喜んびました。
2006年になりついに米国産牛肉の輸入が再開し、牛丼の販売再開を決定。全国の店長を集めて行われた決起集会では、社長から店長にむけて「一杯残らず、誇りを持ってうまい牛丼を提供してください」とのメッセージがおくられました。
2010年代
おいしい牛丼の研究に終わりはありません、牛肉を長く熟成することにより、うまみ成分であるアミノ酸が増加、肉本来の香りや味わいが高まります。
たれも、ワインや生姜などの素材と配合を常に見直しています。さらに熟成した牛肉とたれにあわせて、ちょうどよい甘さを実現するために、玉ねぎの最適量の研究など、吉野家は時代の変化に応じて常に進化を続けています。
吉野家の牛丼(並)を調べる
吉野家の主力メニューは牛丼・牛皿 ・軽盛(そば処吉野家のみ)・並・アタマの大盛・大盛・特盛などで、ほかにも豚丼、鶏つくね丼、ベジ丼、などや季節限定でうな丼、カレーなどもあり、今や、和風のファミレス状態です。とは言え、なんといってもここまでの企業を育てたのは、創業以来の牛丼それも(並)です。そこでその(並)について調べてみました。
吉野家の不動の人気メニュー「牛丼」の並盛りは、”アタマ”が肉の量約80gと玉ねぎを合わせて約90g、ごはんはおよそ250g。US産穀物肥育の業務用ショートプレートの濃厚な味わいを活かすレシピは、長年積み上げられた安定の味わい。みそ汁、卵、漬物などは別注文となりますが、価格380円はやはり圧倒的なコスパです。
そして、注文時の“じゅもん”(笑)の存在!。築地場内の本店時代の伝統から発生した他の牛丼チェーンにはない特徴です。店の従業員は市場で働く“常連さん”のわがままな注文を何も言わなくても出せるように、暗記することから始めます。
・つゆだく 汁が多め。丼を少し傾けただけで汁が見えるくらい。10gつゆが多いそう。
・つゆぬき 具の汁を玉を上下に振って汁を切ります。
・黄身だけ トッピングの卵の黄身を君だけにしてもらう。
・頭の大盛 これはもうメリューになってますね。ご飯の量は並で具の量が大盛です。
その他にも、かるいの(ご飯すくなく)、しろつめ(ごはん冷たいの)、トロだく(脂身多くして)など。現存しているかまだ未確認なのですが 汗
メニューがとんでもなく増えた今はさらに増加しているみたいです。アルバイトさん大変ですね。
動画で見る「吉野家」
築地 アタマ大盛トロだく 吉野家
移転で今はありません一号店です。BSE騒動も際も国産使用で意地でも営業を続けたことでも有名ですね。市場の“常連客”のお好みの牛丼をすべて暗記し提供しました。
恵比寿 新業態 yoshinoya ebisu
場所がらか、いままでの店舗とはまったくちがう方向性をうちだしました。おしゃれな空間で女性客にもゆっくりと牛丼を味わってもらえるような工夫が随所にみられます。
目黒 ハムエッグ定食
いそがしい都会の現代人。朝食も「はやい うまい やすい」
恵比寿 半丼 プレミアムフライデー限定
今はもう“死語”ですかね。半ドンにひっかけた牛丼と豚丼の合わせわざ。なかなか好評でした。
中目黒 ”吉呑み” 牛すい
昨今のちょい飲みブームのさきがけも吉野家でした。このお店は2フロアで夕方から2階が専用スペースになってました。メニューも豊富でとくに“牛すい”は人気でした。
目黒 復活 豚丼
BSE問題のとき吉野家をささえた豚丼、もう忘れてしまいましたが、その後なんらかの事情で休止していたのでしょうか?今は普通にありますよね。
吉野家牛丼の家庭での作り方
吉野家の牛丼をご家庭で気軽に楽しむには、レトルトを使用するのが手っ取り早いのでおすすめです。アマゾンでもなんでも売ってますし、まとめて買えばお買い得です。テイクアウトでもよいのですが、やっぱりお店で食べるのとちがいますから。。
ただ今回は自分で作ってみるレシピを紹介します。私も過去にかなり研究しました。 汗
きめては、白ワイン、りんごジュース。お肉、ただ吉野家で使用している“ショートリブ”なんて売ってないので、できるだけ薄切りで脂身の多い、米国産の安い切り落としとかコマで十分です。また“黄金だし”なんて言ってますが、普通のほんだしでOKです。
あとここにはないのですが、韓国の調味料で“ダシダー”という牛肉の粉末スープがあります(今ではスーパーでふつうに売ってます)。これを加えましょう。ひとつお試しを(笑)。
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