チョコレートの起源
カカオはメソアメリカ(紀元前2000年以降栄えた文明。メキシコ高原からパナマ地峡にわたって興亡し、スペイン人が来往する以前まで栄えた文明の総称。オルメカ文明、ティワカン文明、マヤ文明など)で紀元前2000年ごろから栽培されていました。
古代のメキシコでは「テオブローマ」と呼ばれ、神の食べ物として大変貴重とされていました。
カカオはカカオポッドと言われる大きな実に、30~50粒ほどのカカオ豆がカカオパルプに包まれて入っています。
カカオが初めて食べられた当初は、この豆を包んでいた周りの果肉や繊維の部分を食べていました。
ところが山火事により焙られたカカオ豆の香りがとても良いことが偶然に知られて、豆の部分が食べられるようになりました。
その後、カカオ豆は粉にしてトウモロコシの粉や唐辛子、バニラなどの香辛料を混ぜられ「エクソコアルト」と呼ばれ不老長寿の薬として飲用され、アステカの皇帝モンティマは1日に50杯も飲んでいたそうです。
カカオは貴重なものとされ、15世紀まで貨幣として流通していました。
カカオを最初に見たヨーロッパ人はコロンブスとされています。1502年のコロンブス最後の航海の時とされますが、コロンブスは興味を示さず飲んだという記録はありません。
チョコレートの歴史(ヨーロッパ編)
スペイン
メキシコに遠征したスペインの将軍、フェルナンド・コルテスがその効能(疲労回復、歯痛、のどの炎症、胃潰瘍、食欲不振、解熱、消毒)に目をつけて、スペイン国王カルロス一世に1528年に献上しました。
フランス
長らく高価だったためにスペインから外へ出ることがなかったチョコレートですが、スペイン王フィリップ2世の娘アンヌがフランス国王ルイ13世へ、またルイ14世へ嫁いだスペイン王フェリペ4世の娘マリーテレーズが、チョコレートを作る道具一式やチョコレートの料理人と共に輿入れをした際、フランスに伝わりました。
イギリス、オランダ、スイス
17世紀後半に伝わります。1657年にロンドンに英国初のチョコレートハウスがオープンします。
当初はカカオ豆の価格が法外だったため、金持ちや貴族たちが集まるサロンのようなものでしたが、効果なチョコレートは貴族のための飲み物でした。
1689年に当時イギリス領であったジャマイカで、医師のハンス・スローンがミルクチョコレートドリンクを開発します。
これによりチョコレートは甘い飲み物と変わっていきます。
イギリスでは産業革命により、技術は飛躍的に進歩します。固形のチョコレートの元になるカカオバターを抽出するミルも開発、そして機械も水力から蒸気式へと変貌し生産性が上がっていきます。
1693年にカカオの取引やチョコレートの販売が自由化され、輸入関税が下がったためにチョコレートの価格が下がり、至るところにチョコレートハウスができ、市民層まで広がりました。
19世紀に入るとカカオのプランテーションとして利用されていた南米の動乱により生産が激減します。まがいものも出回り、品質が低下し始めました。
これと時期を同じくしてオランダでは、ヴァンホーテンの創始者によってココアパウダーとココアバターの分離が成功し特許を取得します。
これにより、今までは水と一緒でなければとても飲めなかったチョコレートドリンクの口当たりがよくなります。さらにバンホーテンはアルカリを加えることにより苦みや酸味を除くシステムも開発しました。
1847年、イギリスのジョセフ・フライが、分離したココアパウダーに砂糖とカカオバターを加えることで、初めて固形チョコレートを作ることに成功します。
いまだ苦みが強いチョコレートの味をまろやかにするために、スイスのダニエル・ペーターは1867年より牛乳を入れることに試行錯誤していましたが、分離してぼそぼそになっていたものを、ベビーフードの生産業者だったネスレの創業者アンリ・ネスレと共に共同研究を行い、粉ミルク加え苦みを軽減することに成功します。
ミルクチョコレートは1875年より販売されました。
同じころスイスの裕福な家庭に育ったロドルフ・リンツは仕事を投げ出し、金曜の夜に機械の電源を入れたまま帰宅します。週末の間中撹拌され続けたチョコレートは偶然にも粒子が均一に細かくなり滑らかな食感を生み出しました。リンツはコンチングという技法を編み出したのです。
アメリカ大陸の発見により新世界で発見されたサトウキビやカカオを大量生産するために、植民地化したカリブ海の諸島でプランテーション化が盛んに行われます。
生産されたサトウキビとカカオを積んだ船はヨーロッパに寄港すると、武器や繊維を積んでアフリカ大陸に向かい奴隷と交換して、新世界への労働力として連れ帰るというアフリカ・ヨーロッパ・新世界植民地の大西洋三角貿易が長い間行われていました。
チョコレートの歴史(日本編)
日本でチョコレートを初めて食べたのは、1617年メキシコに渡った戦国武将の支倉常長です。薬用として飲んだとのことです。
お菓子としてのチョコレートを初めて食べたのは、岩倉使節団が1873年にフランスのチョコレート工場を見学した時でした。
日本国内で初めてチョコレートを食したと記録されているのは、18世紀に長崎の遊女がオランダ人に貰ったもので「長崎寄合町議事書上控帳」に「しょこらあと」と記述されています。
日本初の国産チョコレートの販売をしたのは、1878年の両国若松風月堂で、当時の広告には「貯古齢糖」と書かれていました。
カカオ豆から製造したのは1918年の森永です。当時はチョコボールや棒チョコの形状でした。
第2次世界大戦の影響でカカオ豆の輸入が止まると、大豆や椰子油、百合球根、チューリップ球根、脱脂大豆粉、脱脂落花生などを原料に、代用チョコレートが考案されました。
戦後、米兵に向けて子供たちが「ギブ・ミー・チョコレート」と声をかけたのが当時の世相を表しています。
戦後、芥川製菓などもグルコースを使用して、代用チョコレートを販売します。
1960年にカカオ豆が、次いで1971年にチョコレート製品の輸入が自由化され、色々なチョコレート製品が流通するようになりました。
チョコレートの基本的な作られ方
収穫
カカオは赤道の南北緯度20度以内の年間平均気温27度以上の高温多湿の熱帯で生育します。産地は西アフリカ、東南アジア、中南米です。
収穫したカカオポッドを割り、中身のカカオ豆を取り出します。
発酵
バナナの葉に包んだり、木箱に入れて発酵させます。カカオ豆の周りの白いパルプは微生物によって液化して自然に消滅します。この発酵の過程を経ることでチョコレートの色や香りが生まれます。
乾燥
天日や機械によって7~8%の水分量に乾燥させます。
出荷
チョコレートは高温多湿を好まないため、ヨーロッパなどの生産工場のある地へと出荷されます。
選別
生産国から輸入されたカカオ豆は、良い豆のみ選別されます。
焙煎
100~140℃で焙煎することにより香ばしい香りと風味を引き出します。
分離・磨砕
焙煎されたカカオ豆を荒く砕き種皮を取り除いてカカオニブ(胚珠)を取り出します。
取り出されたカカオニブは細かくすりつぶされてカカオマスになります。カカオバターがほどよく練り混ざったカカオマスとカカオバターだけを抽出したものを作ります。
混合
カカオマスに砂糖、ココアバター、ミルクなどを混合してメーカー独自のチョコレートの元を作ります。
微細化
複数のローラーで構成されたレファイナーという装置で、チョコレートを20ミクロン以下の粒子まで微細化します。
精錬(コンチング)
コンチェという機械を使い、チョコレートを長時間練り上げます。
調温(テンパリング)
コンチングで滑らかになったチョコレートをさらに撹拌しながら冷却します。所定の温度になったら再加熱します。
ここで再加熱されることによりチョコレートの中のココアバターが結晶化して美しい艶が生まれます。このテンパリングは微妙な湿度と温度設定を必要とするために、生産国である熱帯地方では行うことができません。
充填
テンパリングが終了したチョコレートは、空気を抜きながら型に流し込まれます。
冷却
第一段階でチョコレートはゆっくりと冷やし、第二段階ではさらに低い温度で一気に冷却します。最終段階で若干温度を上昇させてココアバターや砂糖の結晶化を防ぎます。
検査・梱包・出荷
型から抜かれたチョコレートは検査を経て梱包され、店頭へと出荷されます。
商品によっては熟成期間を必要とするものもあります。
チョコレートの効能と栄養効果
チョコレートに含まれるカカオポリフェノールには、以下の効果が期待されます。
血圧の低下、動脈硬化予防、活性酸素の退治で肌荒れ予防、脳細胞を活性化させるBDNFを増やしてくれる
美味しくて健康効果があるのならば、たくさん食べたいところですが、チョコレートは糖質や脂質を多く含む食品です。
肥満と食べ過ぎで急激に上がった血糖値を下げるために逆に低血糖になる場合もあります。しかもチョコレートには依存性があります。脳からエンドルフィンと呼ばれる快感ホルモンが分泌されます。
体に負担をかけることなく適度に摂取してチョコレートで美味しい健康ライフを送りましょう。
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