エンタメ

ジーン・ケリー【ミュージカル映画の大スター】「雨に唄えば」のタップダンス

ジーン・ケリーとは

ジーン・ケリーとは

※その甘いマスクと最高級のダンスの腕前で、今もなお世界中で愛されるジーン・ケリー

ジーン・ケリー(Gene Kelly:1912~1996)は、アメリカ合衆国のダンサー、俳優、歌手で、同時代に活躍したフレッド・アステアとともに、『ミュージカル映画の大スター』として世界的に有名な人物である。

彼の出演したミュージカル映画『雨に唄えば』や『オン・ザ・タウン(踊る大紐育)』、『パリのアメリカ人』などは、現在でも世界中で舞台化し、ブロードウェイのみならず世界各国で上演が行われている。

今回は、そんなミュージカル映画の金字塔であるジーン・ケリーについて、彼の出演作品に触れながら紹介していきたい。

ジーン・ケリーの代表作『雨に唄えば』

ジーン・ケリーは1912年、アイルランド系の両親のもと、アメリカのピッツバーグに生まれた。

ダンスを始めたのは8歳の頃からで、この頃は兄と一緒にダンススクールへ通っていたという。

1938年からはブロードウェイでダンサーの仕事をしキャリアを積む一方で、1942年からは映画デビューを果たす。

順調に映画界でのキャリアを積んだジーン・ケリーは、1952年、自身の代表作である『雨に唄えば』に出演することになる。

この映画は、無声映画の時代からトーキー映画(俳優が実際にセリフを話す映画。無声映画の時には活動弁士と呼ばれる人々が、さまざまな声色を使って映画の“語り”をしていた)へと移り変わる時代を描いた作品で、タイトルになっているナンバー『雨に唄えば(Singing ㏌ The Rain)』の他、ドナルド・オコナーの歌う『メイク・エム・ラフ』など、大ヒットナンバーが盛りだくさんの作品である。

しばしば、『ミュージカル史上最高の作品である』と称され、現在でもミュージカルとして繰り返し上演されている演目である。

(『雨に唄えば』を歌い踊るジーン・ケリー)

雨に唄えば』はあまりにも有名な曲なので、どこかで耳にした方も多いのではないだろうか。

雨の中、ずぶ濡れになりながらタップダンスを踊るジーン・ケリーの姿は、何度見てもため息が出るくらい素晴らしいものである。

だが、このシーンの撮影は数日間に及び、長時間の間大雨に打たれていたジーン・ケリーは、過酷な撮影のため、高熱を出してしまったこともあったのだとか。

愉快な海兵たちの1日を描いた『オン・ザ・タウン(踊る大紐育)』

次に紹介したいジーン・ケリーの代表作は、1949年に公開された『オン・ザ・タウン』。邦題には、踊る大紐育(ニューヨーク)というタイトルがつけられている。

共演は、フランク・シナトラジュールス・マンシン

3人の海兵が、ニューヨークで24時間の上陸許可を与えられ、その24時間のあいだにそれぞれにガールフレンドを作り、ニューヨークでの冒険を楽しむという、一見平和でお気楽なストーリーだ。

しかし、24時間の滞在を楽しんだあと、海兵たちは戦争のため、海へ出かけてゆく…。という、戦争と平和に対してのメッセージも込められた作品なのである。

どの楽曲も素晴らしいが、特に冒頭の『ニューヨーク、ニューヨーク』は、この作品全体のメインテーマともなっており、一度聴いたら耳から離れないようなキャッチ―な1曲である。

(L・バーンスタイン作曲『ニューヨーク・ニューヨーク』)

1人の女性をめぐる恋模様『巴里のアメリカ人』

ジーン・ケリーの人気は留まることはなく、1951年にはヴィンセント・ミネリ監督の『巴里のアメリカ人 』というミュージカル映画に主演している。

この『巴里のアメリカ人』は、映画にも関わらず、なんとラストに18分間ものダンスシーンがあるということで、大変な話題を呼んだ。

ジーン演じる、画家としてパリで生計を立てていこうとするアメリカ人が、ひょんなことから出会った娘に恋をするが、そのリズという娘に想いを寄せる男が何人もいて…という複雑な恋模様を巡った作品である。

この作品はブロードウェイで何度も舞台化され、今日もなお絶大な人気を誇っており、2019年では日劇団四季が『パリのアメリカ人』を上演した。

(『アイ・ガット・リズム』を歌うジーン・ケリー。)

ダンスに魂を捧げたその生涯

※ジーン・ケリー(1986年)wiki(c)Allan warren 

ジーン・ケリーは生涯を通して、哲学者プラトンの『踊りこそ魂に触れる芸術である』という言葉をとても大切にしていた。

アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した他、1988年には全米俳優映画組合賞の“生涯功労賞”を受賞している。

まさに、生涯をかけてミュージカル映画の発展に貢献した、彼にこそふさわしい賞であると言えるだろう。

ジーン・ケリーのダンスは大胆で、アクロバティックでありながらも緻密に計算されており、たとえどのような危険なアクションがあっても、決してスタントマンを雇わず、自分自身でシーンの撮影をやり遂げたのだと言う。

さらに俳優として出演するだけではなく、自ら脚本を担当し、メガホンを取り、振り付けも考案するなど、マルチな才能に溢れていた。

同じくミュージカル映画界のスターであったフレッド・アステアとは、共演作は少ないものの、互いに尊敬し合い、良い関係を築いていたようだ。

2人が1976年に共演したミュージカル映画『ジーグフェルド・フォーリーズ』では、パフォーマンスのタイプが違うのにピッタリと息の合った、素晴らしいタップダンスの競演を見ることができる。

当時、ジーン・ケリーは64歳、アステアはなんと77歳だったというのだから、驚きである。

いくつになっても衰えることのない2人のパフォーマンスを、ぜひとも楽しんでいただきたい。

 

アバター

アオノハナ

投稿者の記事一覧

歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ…
  2. 飯テロドラマ「テレビ東京・BSテレ東の深夜」をひもとく
  3. 天皇賞(春)の歴史を調べてみた
  4. あなたは“ナートゥ”をご存知か? インド映画「RRR」で有名なN…
  5. 【沖縄アクターズスクール創業者】マキノ正幸氏が逝去 「安室奈美恵…
  6. 【弱者のルサンチマン】 ニーチェが教える芸能人スキャンダルの本質…
  7. 「別班」の存在が知られるきっかけとなった金大中事件とは 【韓国大…
  8. 大阪弁小説の神髄、田辺聖子の生涯

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

豊臣秀吉の異常な人間観察力とは 「五大老の刀を全て言い当てる」

刀を見れば人が分かる戦国大名の武将にとって「刀」は自分の命運を左右する重要な物の一つであ…

【教皇vs皇帝】 皇帝が教皇に屈辱的な謝罪をした「カノッサの屈辱」

前回の記事「【カール大帝と西ヨーロッパの成立】 権威と権力の違いとは?」では、フランク王国による西ヨ…

マヤ文明の最新調査について調べてみた 【 セイバル遺跡 】

エジプトの荒涼とした砂漠にそびえるピラミッドに対し、ジャングルに覆われた石造のピラミッドはマヤ文明の…

【古代史】蝦夷討伐に活躍した坂上田村麻呂のルーツは後漢の霊帝?その子孫たちも徹底紹介!

坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)と言えば、征夷大将軍として蝦夷(えみし。東北地方の抵抗勢力)…

蘆名義広【角館城下町を築いた浮き沈みの激しい人生を生きた武将】

佐竹氏の出自蘆名義広(あしなよしひろ)は、常陸の戦国大名・佐竹義重の次男ですが白河氏の養…

アーカイブ

PAGE TOP