歴史ある風景や建造物が映画のロケ地に選ばれることは珍しくありません。近年も各地でロケ地巡りが注目されていますが、大阪・南河内エリアにも、映画をきっかけに再評価された場所があります。
それが、石川に架かる「玉手橋」です。
昨年公開の映画『国宝』では、序盤の若いときの主人公たちが歩いていたり、稽古をするなどの印象的なシーンに登場し、ロケ地として一気に知られる存在となりました。
筆者も映画を見たのですが、その前から玉手橋を知っていたためか映像の中で見覚えのある風景に「おおっ」と思わず声が出かかりました。
特に地域に住んでいる人は同じような感覚で気づいた方も多いのではないでしょうか。
映画だけではない、玉手橋の意外な登場歴

画像:大阪芸術大学 ※筆者撮影=
実は玉手橋は「国宝」のような商業映画だけではありません。大阪芸術大学の映画作品にも登場しています。
学園祭などで上映された作品の中でも、その独特な景観が活かされていました。要するに映像映えする橋として以前から知られていました。
こうした背景を知ると、「ロケ地」という視点だけでなく、映像表現に選ばれる理由にも興味が湧いてきます。
1928年誕生、遊園地と鉄道が生んだ橋

画像:玉手橋の上から ※筆者撮影
玉手橋が架けられたのは1928(昭和3)年。当時の大阪鉄道(現在の近鉄長野線)が、道明寺駅から対岸の玉手山遊園地へアクセスするために整備したものです。
もともとこの遊園地は1908(明治41)年に河南鉄道によって開園しましたが、駅から直接アクセスできず、一度下流の橋まで迂回する必要がありました。その不便さを解消するために誕生したのが玉手橋です。
いわば、鉄道会社主導の観光開発の一環として造られた橋という点も、近代史の視点では興味深いポイントです。
日本最多の径間を持つ“珍構造”のつり橋

画像:下から見上げた玉手橋 ※筆者撮影
玉手橋の最大の特徴は、その構造にあります。
全長約151メートル、幅3.2メートルの歩行者・自転車専用橋ですが、「5径間つり橋」という形式が採用されています。径間とは主塔と主塔の間の区間のことで、玉手橋はこれが5つ連続しています。
この構造は日本国内でも例が少なく、同形式では最多の径間数を持つ非常に珍しい橋とされています。
橋を支える主塔は鉄筋コンクリート製ですが、表面はレンガで装飾されており、昭和初期らしい意匠が色濃く残っています。
単なるインフラではなく、デザイン性も意識された点が当時の時代背景を感じさせます。
実際に歩くとわかる“つり橋らしさ”

画像:玉手橋のつり橋 ※筆者撮影
橋面はコンクリートですが、構造はつり橋のため、歩くとわずかな揺れを感じます。
この「少し揺れる感覚」は写真や映像では伝わりにくく、実際に渡ることで初めて体感できる要素です。
日常の移動手段として使われていた橋に、こうした体験的価値があるのも面白いところです。
遊園地の閉園と橋のその後

画像:玉手橋の橋桁 ※筆者撮影
かつて玉手橋は、玉手山遊園地へ向かう来園者でにぎわい、昭和30年代には多くの人が行き交いました。
しかし時代の変化とともに大型テーマパークへ人気が移り、遊園地は1998(平成10)年に閉園。現在は柏原市立玉手山公園として整備されています。
橋自体は1953年に柏原市へ移管され、その後も補修を重ねながら生活道路として活用されています。
そして2001年には、地域の歴史を伝える近代建築として評価され、登録有形文化財に登録されました。なお、つり橋としては全国初の登録という点も見逃せないポイントです。
ロケ地以上の価値を持つ橋

画像:玉手橋全景 ※筆者撮影
玉手橋は映画のロケ地として注目を集めましたが、その背景をたどると、鉄道と観光開発、そして近代土木技術が交差する貴重な存在であることがわかります。
単に「映像に出た場所」として訪れるだけでなく、構造や歴史に目を向けることで、より深く楽しめるスポットといえるでしょう。
実際に渡ることで感じる揺れや、昭和初期の意匠が残る主塔など、現地ならではの発見もあります。
近くを訪れる機会があれば、少し足を延ばして体感してみるのもおすすめです。
玉手橋のある場所

画像:玉手橋の袂にある橋名前 ※筆者撮影
住所:大阪府藤井寺市道明寺3丁目(柏原市石川町8-9)
アクセス:近鉄道明寺駅から徒歩約4分
参考文献:
柏原市/全国近代化遺産活用連絡協議会
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部

























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