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ヴィクトリアマイルの歴史を調べてみた

ヴィクトリアマイル

※第4回ヴィクトリアマイル(東京競馬場)wiki(c)Goki (talk)

ヴィクトリアマイル (4歳以上オープン 国際・指定 牝 定量 1600m芝・左)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で毎年5月半ばに施行する重賞競走(GⅠ)である。

2006年(平成18年)に新設されGⅠレースとしては比較的新しい。

このヴィクトリアマイルについて創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。

ヴィクトリアマイルの誕生

牝馬には3歳のクラシック(桜花賞・優駿牝馬・秋華賞)シーズンを終えて4歳を迎えると、目標になる大きなレースがなかった。

1996年(平成8年)エリザベス女王杯(GⅠ)が古馬(4歳以上の馬)牝馬が出走できるレースに変更されたが、開催は11月である。

それより前の時期に出走できるレースは3月の中山牝馬ステークス(GIII)と6月のマーメイドステークス(GIII)しかなかった。これら2つのレースは負担重量がハンデキャップ(その馬の実績に応じて負担重量が違う)なので、実績のある馬は重い斤量を背負わなければならなかった。

また牝馬は早く引退させて繁殖に上がらせるという生産者の考えも根強く、古馬牝馬の重賞競走の整備は見送られてきた。

しかし古馬GⅠ路線で牡馬と互角に戦える能力を持つ牝馬が増えたことや、GⅠレースに優勝した繁殖牝馬も優良な産駒を送り出すことができると認識されるようになり、春にも目標となるGⅠレースが設定されることになった。

第1回優勝馬 ダンスインザムード

ヴィクトリアマイル

Dance in the mood(Tokyo Racecourse) wiki(c)Goki 

当初、6月に同じ競馬場の同じ距離で行なわれる安田記念(GⅠ)が控えているためメンバーが揃わないのではないかと危惧されていた。しかし蓋を開けてみると、第1回ヴィクトリアマイルは出走全18頭中11頭が重賞の勝ち馬、4頭もオープンで勝利しているというハイレベルなメンバーが集まった。

初代女王はダンスインザムード(5歳)。父はサンデーサイレンス、全兄姉(父と母が同じきょうだい)ともにGⅠ優勝馬、自身も桜花賞(GⅠ)に勝ったものの人の言うことを聞かないじゃじゃ馬で空回りが続いていたが、5歳になってやっと新設GⅠで約2年ぶりに勝利することができた。

恋唄 コイウタ

2007年(平成19年)第2回ヴィクトリアマイルの優勝馬は歌手の前川清が所有するコイウタ(4歳)である。芸能人馬主の馬がGⅠに勝ったのは、1952年(昭和27年)の女優の高峰三枝子のスウヰイスー(桜花賞・オークス)以来55年ぶりになる。

このレースの1番人気はオークス・秋華賞二冠馬のカワカミプリンセス(4歳)、2番人気はGⅠ3勝(秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯)のスイープトウショウ(6歳)だったが、彼女らを退け松岡正海騎手の好騎乗のおかげでなんと馬・騎手・調教師(奥平雅士)・馬主全員がGⅠ初勝利となった。

コイウタは12番人気、2着のアサヒライジング(4歳)は9番人気、3着のデアリングハート(5歳)は8番人気だったので、3連単が228万3,960円という当時GⅠ史上3番目の高配当(2020年4月現在10位)だった。

GⅠ史上最高の高配当 2015年(平成27年)第10回

高配当といえば2015年(平成27年)第10回ヴィクトリアマイルでの3連単払戻金2,070万5,810円がGⅠ史上最高、JRA払戻金ランキング(3連単)で5位をキープしている(2020年4月現在)。

ヴィクトリアマイル

2015/10/4 スプリンターズS ストレイトガール wiki(c)Nadaraikon

優勝馬のストレイトガール(6歳)は5番人気、2着のケイアイエレガント(6歳)は12番人気、3着のミナレット(5歳)は18番人気だった。
3着のミナレットは2012年(平成24年)のデビュー戦の勝利において、3連単払戻金2,983万2,950円を飛び出させたJRAタイトルホルダーでもある(2020年4月現在)。

ストレイトガール自身は前年の高松宮記念(GⅠ)3着、スプリンターズステークス(GⅠ)2着、香港スプリント(GⅠ 香港・シャティン競馬場)3着と1600mのレースで着実に好成績を上げてきたマイラーであり、決して珍事ではない。

次の2016年(平成28年)第11回では引退宣言を撤回して出走し、ヴィクトリアマイル2頭めの連覇を達成している。

執念の勝利 ヴィルシーナ

ヴィクトリアマイル

ヴィルシーナ wiki(c)Cake6 (talk) 

ヴィクトリアマイルを初めて連覇したのは、2013年(平成25年)第8回・2014年(平成26年)第9回のヴィルシーナだ。
ヴィルシーナは元プロ野球選手の佐々木主浩が馬主である。

2012年(平成24年)はジェンティルドンナが三冠牝馬となったが、ヴィルシーナはこの三冠レースの全てで2着に終わり、日本初の「準三冠牝馬」となった。

4歳になった緒戦の大阪杯(GII)では牡馬と戦って6着に終わったが、次のヴィクトリアマイルでやっとGⅠタイトルを手に入れた。馬主の佐々木主浩もこれが初めてのGⅠ勝利になった。

これでほっとしたのか安田記念(GⅠ)、ジャパンカップ(GⅠ)、牝馬との戦いのエリザベス女王杯(GⅠ)と阪神牝馬ステークス(GII)にも負けてしまう。彼女の次の勝利がヴィクトリアマイル連覇だった。

究極の普通 ノームコア

ノームコア(第43回エリザベス女王杯本馬場入場 wiki(c)Ogiyoshisan

2019年(令和元年)第14回はノームコア(4歳)が、東京競馬場芝1600mのコースレコードを0秒8更新したうえ、1分30秒5のJRAレコードで優勝した。

ノームコアは2歳のデビュー戦と2戦目に連勝したのち、骨折で休養。

3歳時はクラシックレースとは無縁で、紫苑ステークス(GIII)をレースレコードで勝ち秋華賞の優先出走権を手にしたが、疲れが出て回避になってしまった。

4歳になってヴィクトリアマイル快勝後、反動があったのか左第1指骨剥離骨折が判明して休養に入る。復帰戦の富士ステークス(GIII)でレッドチリペッパー(3歳)以来20年ぶりの牝馬の勝利を決めた。

紅一点でのぞんだ12月の香港マイル(GⅠ 香港・シャティン競馬場)では、4着に健闘している。

 

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