中国史

「10日ごとに試験?」古代中国の学校は想像以上にハードだった

「現代中国の学校制度」

画像 : 学校 イメージ

現代の中国では、子どもたちの学業負担が重いと指摘されることが多い。

朝早く登校し、大量の宿題に追われ、夜遅くまで机に向かう。睡眠不足のまま翌朝を迎えることも珍しくない。子どもたちは早い段階から激しい競争環境に置かれている。

こうした状況を受け、政府は2021年にいわゆる「双減政策」を打ち出し、宿題や塾通いの負担軽減を国家方針とした。

制度としての中国の義務教育は9年制で、小学校6年と初級中学3年から成る。中学段階は一般に「初一」「初二」「初三」と呼ばれ、日本の中学1年から3年に相当する。

2019年の政府統計によれば、小学校年齢児童の純入学率は99.94%、9年義務教育の修了率は94.8%であった。制度としての普及は全国的に進んでいると言える。

今回は、このように制度化された現代教育をふまえて、古代中国における学生生活がどのようなものだったのかを、一次史料を踏まえてみていきたい。

農業閑散期に入学

画像 : 農耕イメージ

古代中国は農耕を基盤とする社会であった。政治・祭祀・家族儀礼に至るまで、生活のあらゆる営みは農事暦と深く結び付いていた。

農繁期には人手が最優先され、子どももまた重要な労働力であった。

したがって学習の開始時期は、農事が落ち着く時期に合わせられる傾向があった。

この点を具体的に伝える史料として、後漢時代、2世紀頃の豪族・崔寔(さいしょく)が著した『四民月令』という書物がある。これは1月から12月までの農事や家庭行事、健康管理などを記した年中行事記である。

同書には次のように記される。

农事未起,命成童㠯上入大学,学五经。

意訳 : 農事がまだ始まらない時期に、成童以上の者を大学に入れ、五経を学ばせる。

「成童」とは、おおよそ15歳以上20歳以下の青年層を指す。

当時の子どもたちは、春の農事開始前に大学へ入り、《詩経》《尚書》《礼記》《周易》《春秋》といった五経を学んだ。

そして秋の農事終了後、生活が安定した段階で、再度学問に従事させるのである。

つまり古代の教育は、学期制というより農事の節目に合わせて柔軟に運用されていたのである。

教育は重要であったが、あくまで農業が最優先だったのだ。

テストの多さ

画像 : テスト イメージ

中国において現代におけるテストのような制度は、きわめて早い時期から存在していた。

すでに周代には、学校教育と結び付いた「考課」という一定期間ごとに学習成果を確認する制度があったと伝えられる。

漢代になると、中央官学である太学において定期試験が行われるようになる。
西漢では年1回の試験が行われ、東漢では2年に1度の考試に改められた。ここでは単なる知識量だけでなく、経書理解の水準が問われた。

試験制度がより整備され、重視されるようになったのは唐代である。

隋代に始まった官僚登用試験、いわゆる「科挙」が、唐代に入って国家制度として本格的に確立した。

画像 : 科挙試験を視察する皇帝 public domain

官僚を試験で選抜する体制が整うとともに、学校内部の試験制度もまた多層的に整備されていった。

史料によれば、唐代の太学生には以下のような試験体系があったとされる。

・旬試(10日ごと)
・月試(毎月)
・季試(季節ごと)
・歳試(年1回)
・卒業試験

このように、短期から長期におよんで段階的にテストが行われていたのである。

とりわけ年に一度の歳試は重要で、これに連続して合格できない場合、在学資格を失うこともあった。

さらに北宋期になると、学業成績だけでなく日常の操行や品行も評価対象に加えられるようになる。
単なる試験の成否だけではなく、人格的評価も卒業や進路に影響を及ぼす点は、現代の内申制度にも通じる部分がある。

学業は常に評価と結び付いており、その緊張感は決して小さなものではなかっただろう。

学校の休日

学校が始まれば、次に気になるのは休暇である。古代中国にも、もちろん休日は存在した。

ただしその形は、現代の週休制度とは大きく異なっていた。

画像 : 北京国子監辟雍殿 public domain

唐代における「国子監(隋代以降、近代以前の最高学府)」をはじめとする高等教育機関では、学生に対していくつかの定期休暇が設けられていた。

まず「旬假(じゅんか)」である。

これは一旬、すなわち10日ごとに1日の休みを与える制度であり、月に3日の休暇があった。
上旬・中旬・下旬にそれぞれ1日ずつ休む形である。現代の週休2日制と比較すれば少ないが、一定の周期での休息は制度化されていた。

次に「田假(でんか)」である。

これは毎年5月に1か月間与えられた休暇で、農繁期に実家へ戻り、家業を手伝うことを想定していた。

さらに「授衣假(じゅいか)」と呼ばれる休暇もあった。

毎年9月、気候が冷え始める頃に1か月の休暇が与えられ、学生は冬衣を受け取るため帰郷した。

国子監には全国各地から学生が集まっていたため、帰郷には相応の時間を要した。長安から200里以上離れた地域の学生には、移動日数を考慮する措置もあったという。

このように古代の学校は、入学の時期、試験の頻度、休暇など、いずれも農事を前提として設計され、学問と生活は切り離せない関係にあった。

農閑に学び、農繁に働き、定期的に試験で評価され、季節ごとに休暇を取る。

そこには、自然の循環とともに営まれる教育の姿があったのである。

参考 : 崔寔『四民月令』范曄『後漢書』中華人民共和国教育部『2019年全国教育事业发展统计公报』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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