西洋史

イタリアの悪女・ルクレツィア・ボルジア【天女と呼ばれた魔性の女】

ルクレツィア・ボルジア

画家のピントゥリッキオによってヴァチカン宮殿ボルジアの間に描かれた、ルクレツィア・ボルジア。アレクサンドリアのカタリナという聖女に扮している

ルクレツィア・ボルジア (Lucrezia Borgia 1480~1519)とは、イタリアの貴族階級の女性で、世界的にも有名な“悪女”の中のひとりである。

彼女の父であるローマ教皇アレクサンデル6世は、ルネサンス期のローマ教皇の典型型だといわれている。

それは、政治腐敗と不品行に堕落した点であり、現にルクレツィアは、父とその愛人ヴァノッツア・デイ・カタネイの娘として生まれたのである。

この記事では、“ファムファタール(魔性の女)“として波乱の運命を辿った悪女、ルクレツィア・ボルジアについてわかりやすく追っていく。

ルクレツィアと最初の夫

バルトロメオ・ヴェネトによって描かれた、1510年頃(30歳頃?)のルクレツィア。

ルクレツィアは、膝まで届く豊かな金髪に、角度によって色が変わるハシバミ色の瞳、そして美しく盛り上がった胸を持った女性で「天女」と呼ばれていたという。

その歯は白く輝き、ほっそりとした首は魅力的…と、まるでおとぎ話の中に出てくる王女様のような風貌の彼女だが、彼女が11歳になった頃、早くも最初の結婚の取り決めがなされている。

だがこの婚約は解消され、翌1493年、ルクレツィアが13歳の時、カティニョーラ伯であるジョバンニ・スフォルツァ(1466~1510)と結婚した。

この最初の夫については詳しい情報が残っていないが、ルクレツィアよりもひとまわり以上年上で、結婚の頃には20代後半になっていたようだ。

しかしその後、ボルジア家とスフォルツァ家の仲が悪くなり、ルクレツィアの父アレクサンデル6世は、ひそかにジョバンニを暗殺する計画を立てていた。

この時、父の目論見を兄から聞き出したルクレツィアは、夫にそのことを警告し、ジョバンニをローマから逃げ出させたとされている。

その後、2人はアレクサンデル6世の命により離婚をさせられることになるが、ジョバンニがこれを断固拒否し、「ルクレツィアが父や兄と近親相姦をしている」と訴えを起こすなど、相当な泥沼状態に陥った。

だが結局、ジョバンニは敗訴し、立会人たちの前で「自分は性的不能者であり、このことからルクレツィアとの結婚は無効である」と、いささか屈辱的な署名をさせられ、離婚の運びとなった。

父の侍従と関係を持った?

ルクレツィア・ボルジア

家族といるルクレツィアの描かれた、珍しい作品。ラファエロ前派の画家ジョン・コリアが描いた『チェザーレ・ボルジアと一杯のワイン』。左から、チェザーレ、ルクレツィア、アレクサンデル6世。どことなく皆、腹に何かを抱えた悪人のような雰囲気がある。

ジョバンニと離婚・婚姻無効を果たしたルクレツィアだったが、実はこの騒動の間に、父の侍従(君主の側に仕える者)であるペドロ・カルデロンと肉体関係を持っていたのではないか、と言われている。

この頃ルクレツィアは、カルデロンとの子供を妊娠したとして、離婚調停中の夫・ジョバンニから訴えを起こされているが、結局この説に関しては立証ができないまま、調停は終了してしまっている。(だが同時期にルクレツィアが修道院に身を隠していたことや、カルデロンの遺体と思われる胴体が川で発見されるなど、不審な出来事が続いていた。)

その後ルクレツィアは、ナポリ王アルフォンソ2世の庶子であるアルフォンソ・ダラゴーナ(?~1500)と結婚をした。

しかし、アルフォンソは1500年、ローマにて何者かに暗殺されてしまう。
ルクレツィアとの結婚生活はわずか2年という短い期間だった。

この暗殺の背景には、ルクレツィアの兄・チェーザレが関係していたのではないか、と言われている。

チェーザレはひそかに、ナポリと対立しているフランスと同盟関係を結んでおり、ナポリの要人であるアルフォンソを、フランスの命により暗殺した可能性がある。

また、当時ローマを離れていたアルフォンソに対し、ルクレツィアが「戻ってきてほしい」と懇願したことで、彼はローマに戻り、暗殺されている。

暗殺の影にルクレツィアの存在が関係しているのでは…というのは考え過ぎだろうか?

最後の結婚

ルクレツィア・ボルジア

ルクレツィアの最後の夫となったアルフォンソ1世・デステの肖像画

ルクレツィアの3度目の結婚相手は、名門エステ家の嫡子アルフォンソ1世・デステ(1476~1534)である。

この夫との間には多くの子宝に恵まれて、ルクレツィアはルネサンス期を代表する公爵夫人として、高い地位と尊敬を得ていた。

しかしながら、ルクレツィアは当時、義兄(夫の姉の夫)であるフランチェスコ2世・ゴンザーガ(1466~1519)と不倫関係に陥っている。

しかも両者は、「この不倫関係は感情的なものではなく、官能的・肉体的なものである」といった内容の書簡を残していることが判明しており、完全に割り切った関係であることがわかっている。

ルクレツィアは生涯に7人~8人の子を産み、そのうちの6人を最後の夫・デステとの間に設けているのにも関わらず、義兄というあまりにも近い存在と不倫関係にあったのである。

彼女はものすごく恋愛体質であり、現在でいうところの肉食女子だったのだろうか。

その後、ルクレツィアは出産の際の産褥で身体を壊し、39歳の生涯を閉じた。

キャラクターとしてのルクレツィア

バルトロメオ・ヴェネトが描いた『フローラ』は、長年ルクレツィアの肖像画だと考えられていた。蠱惑的な視線やセクシーな身体のラインは、キャラクターとしてのルクレツィアを表現しているとも言える。

歴史上、彼女の結婚遍歴については判明しているものの、ルクレツィア自身の生涯やキャラクターについては、多くの謎が残されている。

しかしルクレツィアに関する根強い噂はいくつか残っていて、そのどれもがルクレツィアの“ファムファタール(魔性の女)”な側面を強調している。

《ルクレツィアのキャラクターを裏付ける噂》

・ルクレツィアは贅沢な宴会が大好きで、毎回多くの散財をした浪費家だった。
・ルクレツィアは普段から、毒を仕込んだ指輪を所持しており、その毒を相手の飲み物に混ぜ、頻繁に毒殺を行っていた。
・ルクレツィアは父親や兄と近親相姦の関係にあった。
・ルクレツィアは父であるローマ教皇の代理として権勢をふるっていた。

また後年の創作作品でも、ルクレツィアのキャラクターは非常にインパクトのあるものとして演出されている。

ルクレツィアが登場する多くの文学作品、演劇作品では、欲深く、堕落していて、目的のためならば手段を選ばない恐ろしい女性として描かれていることがほとんどである。

謎の多いルクレツィアの生涯であるが、3度の結婚の中に1度として、自ら望んだ結婚というものはなかったことを書き残しておきたい。

自分の思うまま、猛威をふるっていたといわれるルクレツィアだが、父や兄の政治の道具に利用され続けたその人生は、果たして幸せだったのだろうか。

 

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アオノハナ

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歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

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