武田信玄(たけだしんげん)と言えば甲斐の虎と恐れられ、ライバルとされる越後の龍・上杉謙信との川中島の戦いで知られる武将だ。
戦国最強の騎馬軍団を率いて徳川家康を「三方ヶ原の戦い」で滅亡寸前に追い込み、あの織田信長が最も恐れた戦国大名である。
戦に強かったというイメージがある信玄だが、実はイメージ戦略(宣伝)もうまかった武将なのである。
武田信玄の生い立ち
武田晴信(信玄)は大永元年(1521年)甲斐国守護・武田信虎の嫡長子として生まれた。※以下信玄として記す
信玄は信長よりも一回り上の世代で、当時は地域の庄屋が武将(部将)となり、百姓が足軽を務めるという時代であった。
そのため部隊は村単位が基本で、田植えや稲刈りなどの繁忙期は戦を避けていた。
相手が攻めて来たら小競り合いをして、メンツが立ったら終わりにすることも多かった。
死闘になってしまうと農業生産者が減ってしまい生産物が減少して生活が困窮するからだ。
甲斐国の守護であった父・信虎は有力な国衆が台頭する中、力ずくで甲斐の統一を進めた。
しかし、信虎は合戦で得た利益を独占したため国衆たちに嫌われていた。
信虎は文弱に見えた信玄を嫌って、武勇で知られた弟・信繫に家督を継がそうとするなど信玄を疎んでおり、信玄の初陣は20歳を超えていたとも言われている。
しかし天文10年(1541年)国衆たちに担がれた信玄によって、信虎は追放されてしまう。
これは信玄が言い出したものではなく、いわゆる「下剋上」であり、周りの国衆たちが「信虎に仕えていても良いことはない」と考え、とりあえず血統上信玄を担いだのである。
諜報戦に力を入れた
守護になった信玄であったが、当時の信玄は守護としての実力をあまり認められておらず力がなかった。
そこで信玄は国衆の一員となり、諜報戦に力を入れるようになる。
自分を訪ねて来るお坊さんや剣術家、巫女さんなど、ありとあらゆる階層の人に会って他国の話を聞いて自分なりに分析をした。
次に力を入れたのはスパイ戦である。間者を多く送り込み、嘘の情報を流して敵国を混乱させるなど諜報活動を徹底的に行ったのである。
こうして他国がガタガタになったところで戦を仕掛ける。これが信玄の必勝法であった。
風林火山と武田の赤備え
武田軍と言えば「風林火山」の軍旗と、赤備えの最強騎馬軍団が有名である。
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し」
聞いただけでも強そうなこのスローガンは、孫子の言葉から取って信玄が作ったという。
武田家の赤備えは、家臣団の中で次男・三男など家を継げない者の中から体力強健な者たちが選ばれた。
後ろには下がれず、もし下がれば味方から突き殺されるという切迫した環境で鍛え抜かれた赤備え軍団は、とにかく強いと全国で評判になった。
「武田の赤備えが来た」と聞くだけで逃げていく敵軍もあったという。
実際に赤備えは戦国最強の強さを誇っていたが、戦わずして勝つことこそ孫氏の兵法の極意であり、信玄は一番兵を損なわない武将と言われた。
甲斐国は海がなく特産物もほとんどなかった。
資源に乏しい信玄はイメージ戦略で弱点を補い、信長を始めとする近隣の武将らに「信玄は強い」というイメージを植え付けることに見事成功したと言える。
信玄の失敗
後に謀反の疑いで廃嫡されてしまった長男の義信は、武田家の実情やそれまでの信玄の苦労やイメージ戦略をよく理解していた。
しかし後継者となった四男・勝頼は、カリスマで天下無敵の信玄しか知らなかった。勝頼は義信より8才も年下であり、育った環境も武田家の内情も大きく変化していただろうから仕方ないとも言える。
勝頼は戦が強く、信玄も落とせなかった高天神城を落とし武田家最大版図を築き上げるなど武将としての資質は十分にあったが、やはり騎馬軍団にどこか慢心があったのか「長篠の合戦」で信長・家康連合軍の鉄砲隊に大敗。優秀な家臣を数多く失ってしまった。
また、信長のように有能な新参者を幹部などに抜擢・登用することも出来なかった。
力を弱めた武田軍は、信長・家康連合軍、北条氏直からも攻められ、天目山の戦いで勝頼は自害し武田家は滅亡した。
おわりに
武田軍団の強みはイメージ戦略のうまさにあり、諜報活動や調略などを駆使して戦う前に勝負をつけていた工夫にあった。
敵方が戦う前から逃げ出すほど信玄のイメージ戦略は成功したが、いつの間にか家臣団や後継者の勝頼までそのイメージ戦略に惑わされてしまったことが武田家の敗因なのかもしれない。
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