戦国時代

武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績

巷説での不行跡の数々

武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績

※武田信虎像 武田信廉筆

武田信虎(たけだのぶとら)は戦国期において最強の名を欲しいまにした甲斐の虎・武田信玄の実父です。

甲斐の統一を成し遂げ、武田氏を有力な戦国大名とする礎を築いた人物でした。

近年の歴史研究においては、この信虎の業績の再評価がなされているようですが、武田信玄の存在があまりに巨大な事もあり、その家督相続の正当性を示す故か、信虎は無類の暴君であったという巷説が語り継がれ
ています。

曰く、信玄の弟の信繁を偏愛し武田氏の家督を継がせようとし、諫言をする家臣を斬殺した。挙句は妊婦の腹を裂いて赤子を取出したなど、その異常性と不行跡を伝える逸話が数多く伝えられています。

甲斐武田氏の家督を相続

信虎の生年は、明応3年(1494年)又は明応7年(1498年)とされており定かではありません。甲斐武田氏の第17代当主であった武田信縄の長男として戦国時代初期に生を受けています。

父・信縄が永正4年(1507年)に病没したことから、信虎は14歳若しくは18歳で甲斐武田氏の家督を相続することになりました。
この家督相続に際し、叔父にあたる身内との争いを制して信虎は当主の座を守ったと言われています。

信虎は、永正7年(1510年)頃に対立していた小山田氏と縁戚関係を結んでの和睦を図り、永正14年(1517年)頃には今川氏と結んでいた大井氏を従属させて、武田氏の勢力圏拡大を推し進めました。

今川の侵攻を撃退

信虎は永正16年(1519年)に居城を川田館(笛吹市石和町)から甲府の躑躅ヶ崎館へと変更しました。ここに今に続く甲府の城下町としての発展が始まりました。

大永元年(1521年)には今川勢の侵攻を受け、配下の大井氏の居城・富田城が陥落させられ、甲府へと兵を進められてしまいます。
何とか今川勢を撃退した信虎は最大の窮地を脱し、同年には後の信玄となる嫡男が誕生しました。

続く合戦で今川勢の大将であった福島正成を討ち取った信虎は、余勢を駆って翌大永2年(1522年)には富田城を奪還することに成功し、今川勢を領国から駆逐しました。

甲駿同盟の締結

大永4年(1524年)に小田原の後北条氏が台頭し始め武蔵地域への侵攻を開始すると、信虎は同盟を結んでいた扇谷上杉氏の側に立って兵を出し、北条勢との合戦を繰り広げました。

この頃、信虎は甲斐の南に位置している今川氏と和睦を進め、信濃方面への領土拡大を目指す戦略を取りました。
信虎は天文元年(1532年)には離反していた今井氏を再び従属させて甲斐の統一を成し遂げました。

その後も北条、今川との対立は続きましたが、天文6年(1537年)に信虎は自らの娘を今川氏と当主・義元に嫁すことで甲駿同盟を成立させて後顧の憂いを断つと信濃方面への攻略に専念しました。

信玄の死後も生存

武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績

※甲府駅北口にある「武田信虎公之銅像」wikiより

信虎は天文11年(1542年)に駿河の今川義元を訪ねた後、帰国しようと領国甲斐の国境まで進んだものの信玄によって締め出され、当主の座と家督を簒奪されることになりました。

この追放劇の原因が、信虎の圧政や暴君ぶりに耐えかねた重臣と図った信玄一派のやむを得ぬ行いと喧伝されたことで、今に至る信虎の悪評に繋がることになったようです。

甲斐に戻れなくなった信虎は、追放したとはいえ信玄から十分な額の支給を受け、駿河や京を行き来する何ら不自由のない生活を送ったとされています。

上洛を目指して西上の軍を挙げながらも志半ばで倒れ、その陣中で信玄が没した後も生きていた信虎は、晩年は三男である信廉の高遠城に暮らしたとも伝えられています。

そのまま天正2年(1574年)に高遠城において享年81で息を引き取りました。

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社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
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コメント

  1. アバター
    • 2019年 9月 30日

    『信玄の異母弟の信繁を偏愛し武田氏の家督を継がせようと』
    信繁は信玄の同母弟ですよ

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