政治,経済

【世界の三大バブル】 南海泡沫事件について調べてみた 「バブルの語源となった事件」

世界の三大バブルとして有名なのが「チューリップバブル」「ミシシッピバブル」「南海泡沫事件」です。

今回は「バブル」という語源のもとになった事件「南海泡沫事件:なんかいほうまつじけん」について調べてみました。

南海泡沫事件とは

南海泡沫事件

『南海泡沫事件』イングランド人画家エドワード・マシュー・ウォードによる作品

南海泡沫事件とは、1720年にグレートブリテン王国(イギリス)で起こった投機ブームによる株価の急騰と暴落、およびそれに続く混乱を指します。

現在では誰でも知っているバブルの語源となった事件です。

南海泡沫事件の登場人物

ジョン・ブラント:今回の事件の発端となった南海会社の社長。

オックスフォード伯爵:イギリスのあまりに多い借金をどうにかしようと考え、南海会社の設立を発案した貴族。

ジョン・ロー:フランスの金融改革を行い硬貨と紙幣に換金させ自らは王立銀行の代表になり、銀行券を発券しフランスの財政難を建て直す。フランスで同時期に起きたバブルのミシシッピ計画の立案者。

南海泡沫事件の時代背景

1700年代前半のイギリスでは、領土拡大のために他国と戦争を何度も行っていました。
戦争には多額のお金が必要であり、イギリスは財政難に陥っていました。

そんな中、1711年にオックスフォード伯爵が「イギリスの借金全てを肩代わりする」という名目で南海会社を設立し、ジョン・ブラントを会社社長に任命しました。

南海会社

南海泡沫事件

南海会社

スペイン領西インド諸島との奴隷貿易を行うというのが、南海会社の主な事業です。

南海会社は国の借金を肩代わりすることで

・政府から引き受けた借金の5〜6%を毎年受け取る権利
・当時ヨーロッパで大流行であった「南米との独占貿易権」

を政府から付与されていました。

しかし、南海会社は独占貿易の権利こそ持っていましたがまともに貿易をすることなどできず、会社の運営で精いっぱいの状態であり、とても国の借金を返すことはできませんでした。

1718年には四国同盟戦争が始まりスペインとの貿易が途絶。いよいよ南海会社に経営危機が訪れます。

宝くじで大儲け

1718年、追い込まれた南海会社社長のジョン・ブラントは、起死回生の一手を打つために「宝くじ」を販売。

これが国民に大うけし、多大なる利益が南海会社に入ってきました。

ジョン・ブラントの更なる計画

宝くじで大儲けした南海会社でありましたが、この時ライバルの隣国フランスはジョン・ローによる「ミシシッピバブル」の絶頂にありました。

南海泡沫事件

ジョン・ロー

ミシシッピバブルとは、簡単に説明すると

実体のないミシシッピ会社の株を国民の持っている国債と交換 → 国民がこぞってミシシッピ会社の株を買いたがる → 株価が上がる → 国債と交換

のサイクルで、フランスの借金を返済していく過程で起こったバブルです。

ジョン・ブラントはこれを参考にして、イギリスでも同じようなことを行いました。

1720年1月、ジョン・ブラントはイギリス政府の3097万1712ポンドにのぼる借金を、南海会社にそっくり引き受けてもらうという「南海会社側の提案」を議会で審議させることに成功します。

18世紀イギリスのGDPは約6300万ポンド。当時職人の年収が約40ポンド。1ポンド5万円と仮定。

・南海会社が政府の借金をさらに引き受けることで政府の借金は実質ゼロになる。政府は南海会社に引き受けてもらった借金は返す必要はない。
・その代わりに政府から新たに肩代わりした借金の5%を毎年政府から金利としてもらう。
・同時に現在国にお金を貸している国債保有者に対して、国債と南海株の交換を持ちかける。

という、フランスのジョン・ローのミシシッピ計画と同じく「国債と株を交換して国の借金の帳消し」をしようとしました。

国債額面100ポンド=南海株額面100ポンド

というふうに、国債→南海株に交換するレートを固定しようという意見もありましたが、ジョン・ブラントは株と国債の交換は時価で行うことを主張。

つまり

南海株の市場価格が上がれば上がるほど、株1枚で交換できる国債の量も増え、その利益を元にさらに株を発行

という、大儲けの仕組みを生み出しました。

一部の議員が、ブラントの考えた南海法が危険だということを見抜き反対していたにも関わらず、政府は南海会社に自由に国債と株の交換レートを決定させる権利を与えてしまいました。

というのもブラントは、大蔵大臣をはじめ、イギリス王であるジョージ1世、国王の愛人、政府や議会の要人たちに、賄賂としてストックオプション(安価で株を購入できる権利)を渡していたのです。

バブルの絶頂

こうしてブラント社長は、南海会社の株価が上がれば上がるほど、自分たちと政府の偉い人が得する仕組みを作ることに成功します。

さらに

南米との貿易で金銀がたっぷり入ってくる・・・

メキシコ人がイギリスの綿織物(めんおりもの)をたっぷり買い付けに来ており、南海会社にすさまじい利益をもたらしている・・・

という噂も飛び交うようになり、130ポンドだった南海会社の株価は300ポンドまで一気に上昇しました。

そして議会審議の結果、なんと南海会社は額面で3150万ポンド分の株を発行&販売する許可を得ることができました。(一株額面100ポンドなので、合計で31万5000株まで発行可能)

更にジョン・ブラントは南海株のローン購入や、株を担保にした融資を始め、現在でいうところのインサイダー取引まで行い、5月末には550ポンド、6月の頭に890ポンドまで株価は上昇。
ただ、この直後に640ポンドに急落。(ブラントは焦って部下に南海株の買い支えを命令した)

6月15日に3回目の現金募集を実施。発行価格は1000ポンドで総額5000万ポンドが売り切れ。

8月22日の4回目の株売り出しには、1億ポンド分の株の発行して即売り切れ。

南海会社の株価はたったの半年で10倍に跳ね上がり、国中でお祭り状態でした。

バブルの語源

南海会社の成功を受けて、似たような実体のない会社が多数登場し、それらは「泡沫会社」と呼ばれました。
この「泡沫」会社の株も瞬く間に上昇し、(異常なほどに加熱した投資ブームの状態)このことを現在では「バブル」と呼んでいます。

この泡沫会社は、1720年の1年間に190社が設立&株式募集がされましたが、生き残ったのはたったの4社です。

泡沫会社の業務内容は「利益が上がるが何をしているか誰も知らない会社」「永久機関を動かす会社」「髪の取引をする会社」「水銀を純金属へ変換する会社」「丸や四角の砲弾や砲丸を発射させ、戦争に大きな革命を起こそうという会社」

など、詐欺まがいな会社がほとんどでした。

国民の中ではこのことを風刺して「泡沫トランプ」というカードまで発売されたほどです。

バブルの終焉

ジョン・ブラントは、泡沫会社の乱立で南海会社に投資してくれる人が減ることを恐れ、イギリス議会に

・会社の設立の議会による認可の義務付け
・既存の会社の本業以外の事業多角化の禁止

などの「泡沫会社法」を作ることを迫りました。

同時に、ブラントは南海株のその年の配当を10%→30%に引き上げ、来年以降は配当を年50%に保証すると発表しました。

しかし、これをきっかけにバブルは崩壊していきます。

6月に1050ポンド(高値)
8月に850ポンド
9月中旬に400ポンド(ブラント社長が株を売り抜けたとの噂が飛び交う)
9月下旬に200ポンド(南海株を担保にした融資の担保評価として600ポンドを基準にしていた銀行が多かったので、株を担保に融資をしていた銀行が破綻)

まで暴落し、南海株を担保にしていた泡沫会社も次々に下落、倒産していきました。

南海泡沫事件

南海会社の株価推移

この南海株の暴落で損失や借金苦で自殺する人も多く、破産者が大量発生。
イギリス中の人がどん底に落ちてしまいました。

そんな中、南海会社の経営陣は4回目の公募の際にひっそり売り抜けており、損失を回避していました。

南海泡沫バブルの被害者

以下は南海バブルの著名な被害者です。

・イングランド銀行取締役 ジェスタス
214万7000ポンドの負債を抱え破産(約1073.5億円)

・シャンドス侯爵
70万ボンドの含み益を失う(約350億円)

・アイザック・ニュートン
2万ポンドの損失(約10億円)

南海泡沫事件の結末

「南海泡沫事件」イングランド人画家ウィリアム・ホガースによる1721年の作

暴落による怒りの矛先は、南海会社の幹部や賄賂を受けっとったイギリス議会の政治家に向かいました。

民衆は、宮殿やイングランド国教の一番大きな教会に集まって暴徒と化し、南海経営陣や政治家が得た利益を没収するように訴えました。

南海会社の帳簿(ちょうぼ)を調べてみると、経営陣が南海法設立のために政治家に贈った賄賂は、架空の南海株を含め125万4500ポンドにものぼる額でした。

その結果、南海の取締役でもあった下院議員は除名、大蔵大臣をはじめとする何人もの南海会社取締役が刑務所のロンドン塔に送られました。

さらに南海会社の取締役が南海株で儲けた利益を没収する南海被害者法も可決。

この処分の結果、ブラント社長は資産18万3000ポンド(約91.5億円)のうち、5000ポンド(2.5億円)を残し没収されました。他にも経営陣含め、合計200万ポンド(1000億円)以上が政府によって没収されました。

東インド会社の成立から始まる株式会社制度の発達は「南海バブル」という危機を表面化し、一般大衆からの資金調達による事業形態には公正な第三者による会計記録の評価が不可欠であることを示し、公認会計士制度、及び会計監査制度を誕生させるきっかけともなったのです。

 

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草の実堂編集部

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