鎌倉時代

プロは見られて上手くなる!『徒然草』が伝える芸能デビューと引退のタイミング

一昔ほど前のこと、お笑い芸人を目指していると言った者に対して「そういう学校に行くのもいいけど、路上ライブが一番の修行になるよ」と意見したことがありました。

(※しかるべき教育機関できちんと教育を受けることを否定している訳ではありません。念のため)

プロは(巧拙はともかく)人様に見てもらってナンボと考えているためですが、どうも乗り気ではない様子。

人に見せなきゃ、芸は伸びない(イメージ)。

曰く「もっと上手くなってからでないと、恥ずかしくて見せられない」との事でしたが、そういう手合いは往々にしてモノにならないものです。

人に見せるのは恥ずかしいですが、それが一番学びになるし、人に見せないということは世の役に立たせないのと同じであり、だったらそもそもプロになる必要がありません。

ともあれ、せっかく立てた志が果たされないのは、実にもったいない……鎌倉時代の随筆『徒然草(つれづれぐさ)』にも、そんな思いが綴られていました。

見られるプレッシャーこそ、最大の修行

能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふけれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほ(片秀。不完全)なるより、上手の中に交りて、毀(ののし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になずまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ(長け)、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

※『徒然草』第150段より。

【意訳】
プロを志す者の中には「下手なのを人に見られると恥ずかしいから、こっそり練習して、上手くなったらデビューしよう」などと考える者もいるが、そういう手合いに限ってモノにはならない。
未熟なうちから熟練者に交って、厳しい評価にもくじけることなく精進する者は、天性の才能がなくてもついには人々に認められるプロとなるものである。
そもそも天下に知られた名人たちだって、最初っから上手くいったわけではなく、ボロッカスな評価を受け、とんでもないミスもあった。それでも自棄を起こさず精進し続けたからこそ、後進の手本となるまでに成功したのだ。
これは、どんなジャンルや業界にも通用する原則である。

巧拙よりも、まずは舞台に立ち続けること(イメージ)。

最初から失敗しないことだけを考えて挑戦せず、それで成功が得られると思ったら大間違いと言うもので、下手でも何でも人前に出て全力で臨めば、少しずつでもファンがついてくれるものです。

「この絵は稚拙だけど、着想と構図に強い意志が感じられて、なぜか心惹かれる」

「この文章は偏屈だけど、言葉に宿る執念が胸を揺さぶり、鮮烈な印象が残っている」

「あの力士は弱いけど、土俵際でも諦めない闘志に感動して、いつも応援したくなる」

……などなど。もちろん、技量や結果がついてくるに越したことはありませんが、まず人前に出て、勝負に臨まなければ、そのチャンスすらつかめないのです。

見苦しくない引き際と、人生の期限

とは言うものの人間、引き際も大事。吉田兼好(よしだ けんこう。『徒然草』作者)は続けてこんなことも書いています。

或人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは止めて、暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり。

※『徒然草』第151段より。

「もう流石に引退しようぜ」「あぁ……」永年の志を諦めた二人(イメージ)。

【意訳】
ある人が言うには
「50歳になってもモノにならない芸なら、流石に見込みはないから諦めるべきだ。将来性が無い点では、老人と同じ(老人を笑えない)じゃないか」
「また(仮に成功していても)生涯現役にこだわり、人々とのつながりを求める姿は見苦しい。そもそも50歳にもなったら芸能も仕事もすべて身を引き、後進に道を譲るべきだ」
「新しいことに興味を持つのも、教養程度におさえて深入りしないこと。そもそも知的好奇心を含め、すべての欲から解き放たれることが最もよい」
……との事である。

セカンドライフ(老後の生きがいづくり)を全否定するような発言ですが、人生100年とも言われる現代とは違い、鎌倉時代の50歳と言えば人生も終盤、もうあくせくするのはやめて、穏やかな余生を望んでもよい時期でした。

いつまでも挑戦し続けたいと思う一方、人生には期限がある(そして、それがいつかは分からない)と自覚することで、今この瞬間を全力で生きるべき=したいことに挑戦すべきと教えてくれているのかも知れませんね。

※参考文献:
島内裕子 訳『徒然草 (ちくま学芸文庫)』ちくま学芸文庫、2010年4月

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角田晶生(つのだ あきお)

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