数々の伝説を持つ軍神
三国志には長年語り継がれる人物が多い。
どの伝説も興味深いものばかりで飽きないが、称号ではなく実際に神として崇められている関羽は伝説のネタに事欠かない。
今回は、1800年以上も人々を魅了する関羽の伝説を紹介する。
関羽のトレードマークの謎
唐突な自分語りになってしまうが、プロフィールに書いてある通り筆者が三国志で一番好きな登場人物は関羽である。
コーエーテクモゲームスの『三國無双』シリーズで真っ先に使うキャラクターは勿論関羽であり、同社のもう一つの名作『三國志』シリーズに於いても、劉備が戦死する事も捕縛(処刑)される事もないという隠し設定が作られるまでは単騎特攻でわざと劉備を殺して、関羽を君主にしてから天下統一を狙うという意味不明なルールを作って楽しんでいたレベルの関羽ファンである。
少々話が逸れたが、関羽のファンになった理由は「関羽雲長」という名前と文字の響きに惹かれた事と、トレードマークの髯が当時中学生だった自分の心に刺さったからだ。
趙雲や姜維のように美形に描かれた「イケメン武将」なら他にもいたのに、何故関羽の髯に魅了されたのかは自分でもよく分からない(むしろ自分は姜維アンチである)が、関羽の名前と容姿に纏わる面白い伝説が存在する。
故郷で殺人を犯した関羽は追手から逃げていたところ、川で洗濯をしていた老婆に出会う。
関羽が老婆に助けを求めると、老婆はいきなり関羽を殴って血塗れにした挙げ句、更には髪をむしり始める。
殺人犯相手でも暴行を働いたら傷害罪は成立するが、老婆はお構いなしにむしった髪を関羽の顔に付ける。
髪と血で別人になった関羽だが、どれだけ引っ張っても髯となった髪は抜けず、血塗れになった顔を何度洗っても元の色に戻らなかったという。(抜けた髪を顔や顎に付けようとしても出来ないが、あくまで伝説「創作」という事で楽しんでいただきたい)
「関羽」は偽名?
この伝説の背景をもう少し詳しく解説すると、関羽の出自には謎が多く、出身地の司隷河東郡解県は劉備と張飛の出身地である涿郡涿県から遠く離れている。
正史に確かな事は書かれていないので想像するしかないが、関羽の故郷には解池という塩湖があり、関羽は塩の密売に関わっていた、もしくは殺人(やはり塩絡みの事件だろうか)を犯して逃げて来たと考察する事が出来る。
涿郡涿県でも有名な「ヤクザの親分」だった劉備に近付いた時点で関羽も過去に色々あって逃げて来たのは想像に難くないが、この時代の殺人犯の「あるある」として、関羽という名前も実は「偽名」なのではないかという疑惑が生まれる。(関羽の元の字が「長生」だった事も更に疑惑を深める)
関羽の名前にも伝説があり、上記の伝説で別人となった長生は逃亡の道中で関を通ろうとしたところ、役人から名前を尋ねられる。
名前を明かしては折角別人になったのに意味がない。
ピンチを迎えた長生だが、自分が関を通ろうとしている事から「関だ」と答える。
続いて名前を聞かれると、長生の目の前に鳥の羽が落ちて来る。
「羽…関羽だ」という取って付けた名前だが、免許やマイナンバーカードといった身分証明書がないため役人は信じざるを得ない。
最後に字を聞かれるが、雲が流れていたから「雲長」と答え、関羽雲長が生まれた。
長生が雲長になった理由は正史で書かれていないため笑い話のような伝説が生まれた訳だが、関羽を殴って別人にした老婆は実は仙女だったという内容の話もあり、バージョンの違いの検証という観点からも非常に興味深い。
商売の神になった理由
これまで関羽に対して「軍神」と呼んで来たが、道教で崇められている関羽こと関聖帝君は「商売の神」として有名である。(道教よりも先に仏教で寺の守護を司る「伽藍神」となっているが、関帝聖君が有名すぎるためあまり知られていない)
関羽が商売の神となった由来は諸説あるが、演義に於いて義に生きた関羽の人生は義理と信頼によって成り立つ商売に通じるものがあり、決して裏切らないという「義の象徴」になっていた。
正史に書かれた劉備と関羽の関係を見ると両者の関係に疑問は残るが、演義の関羽を見ると商売の神になるのも納得である。
そろばん伝説の真相
関羽と商売といえば、そろばん(算盤)は関羽が発明したという伝説があるが、そろばんのルーツとなる計算アイテムは紀元前から世界各地で存在しており、中国でも算木を使って計算する籌算が紀元前からあった。
珠を使って計算する現在のそろばんは2世紀頃に作られたため確かに三国時代と重なるが、正史には関羽がそろばんの原型を作ったという文章は一切存在しない。
今回は関羽の伝説を紹介したが、後世の人間によって生まれた伝説の多さから関羽が三国志の中でも特に人気が高い事がわかる。
伝説の大半は笑い話のような民間伝承だが、背景を調べた上で考察すると当時の関羽が人々から尊敬されていた事が伝わる。
正史を読むと決して完璧な人間ではなかったが、死後生まれた伝説の数々はそれだけ関羽が慕われ、人々から愛されていた証明でもある。
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