源頼朝(みなもとの よりとも)の天下草創を支えた北条時政(ほうじょう ときまさ)の背中を追い駆け、武士の世を盤石のものとした北条義時(よしとき)と北条時房(ときふさ)兄弟。
その功績により鎌倉幕府の中枢を占め続けた北条一族は、本流の得宗家(とくそうけ)以外にさまざまな分家が繁栄しました。
今回はそんな北条一族の分家14流を紹介。もしかしたら、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも出てくるかも知れません。
目次
大仏流(おさらぎりゅう)北条氏
北条時房の四男(嫡男)の北条朝直(ともなお)を祖とするこの一族は、鎌倉郡深沢郷の大仏(現:高徳院)近くに住んでいたことからそう呼ばれました。
四男だけど時房の後継者となったのは、時の執権・北条泰時(得宗家)が後押ししたためと言われています。
長男の北条時盛(ときもり)との対立によって時房流の力は削がれ、得宗家の地位は保たれたのでした。
【大仏流北条氏・略系図】
時房-朝直-宣時-宗宣-維貞-高宣-家時(高宣の弟)
佐介流(さすけりゅう)北条氏
北条時房の長男・北条時盛を祖とするこちらは、鎌倉の佐介ガ谷(現:鎌倉市佐助)に館を構えていたことからそう呼ばれています。
異母弟・朝直との家督争いに敗れたため勢力争いでは引けをとっていましたが、子孫から評定衆・引付衆など幕府の要職を輩出。
大仏流との絶妙な力関係により、得宗家はその立場を脅かされずに済んだようです。
【佐助北条氏・略系図】
時房-時盛-政氏-盛房-宜房
名越流(なごえりゅう)北条氏
北条義時の次男・北条朝時(ともとき)を祖とし、鎌倉・名越にあった北条時政の館(名越亭)を受け継いだことからそう呼ばれました。
この家は反得宗家の急先鋒で、朝時は異母兄の泰時に対して「自分の方が嫡男なのに」というコンプレックスを持っています。
※泰時は長男だけど庶子(側室・阿波局の子)、朝時は次男だけど嫡男(正室・姫の前)。ただし姫の前の実家・比企一族は北条氏によって滅ぼされているため、その立場は微妙でした。
子孫たちも反得宗家の姿勢を崩さず、最大のライバルとして対立を続けていきます。
【名越流北条氏・略系図】
義時-朝時-時章-公時-時家-高家-高範
極楽寺流(ごくらくじりゅう)北条氏
北条義時の三男・北条重時(しげとき)を祖とするこの一族は、極楽寺(現:鎌倉市極楽寺)に館があったことからそう呼ばれました。
重時ははっちゃけ気味な兄・朝時(母も同じ)とは打って変わって慎み深い人格者で、やがて京都で六波羅探題を務める幕府の重鎮に成長します。
重時が子供たちに遺した人生訓「六波羅殿御家訓」「極楽寺殿御消息」は後世の御家人たちにも影響を与えました。
そんな流祖の薫陶を受けてか子孫たちも重く扱われ、その家格は得宗家に次ぐ名門とされています。
【極楽寺流北条氏・略系図】
義時-重時-長時(赤橋流へ)
政村流(まさむらりゅう)北条氏
こちらの一族は、北条義時の五男・北条政村(まさむら)を祖とします。政村は義時の後室・伊賀の方(いがのかた)との間に生まれた嫡男で、義時の死後に泰時と後継者の座を争いました。
尼御台・政子(まさこ)の後押しによって争いに敗れた政村でしたが、泰時の温情によって赦され、幕府の重鎮として活躍。後には政村自身も第7代執権となります。
【政村流北条氏・略系図】
義時-政村-時村-為時-熙時-茂時
金沢流(かねさわりゅう)北条氏
北条義時の六男・北条実泰(さねやす)を祖とする一族で、武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷(現:横浜市金沢区)に住んだのがその名の由来(ただしそう呼ばれるのは南北朝時代以降)。
初代の実泰は政村と同母兄弟(異説あり)ですが、後継者争いに敗れたためか心身を損ない、一時は切腹未遂を起こす騒ぎに。
早くして政界を退いたものの、子の北条実時(さねとき)は学問を究め、書籍を蒐集して金沢文庫を創設。学問に秀でた文人の家として知られるようになります。
【金沢流北条氏・略系図】
義時-実泰-実時-顕時-貞顕-貞将
伊具流(いぐりゅう)北条氏
北条義時の四男・北条有時(ありとき)に始まるこちらの一族は、陸奥国伊具郡(現:宮城県角田市・丸森町)を領したためそう呼ばれました。
有時は側室(伊佐朝政の娘)の子であったため兄弟内でも立場が弱く、おおむね不遇であったと言われます。
【伊具流北条氏・略系図】
義時-有時-兼時-時澄-定純
赤橋流(あかはしりゅう)北条氏
北条重時(義時三男)の嫡男・北条長時(ながとき)が祖。赤橋(現:鶴岡八幡宮の太鼓橋)近くに館を構えたことがその由来です。
長時が第6代執権となり、また第16代執権・北条守時(もりとき)も輩出するなど高い家格を誇りました。
赤橋守時の妹・登子(とうし)は足利尊氏(あしかが たかうじ)に嫁ぎ、鎌倉幕府滅亡後もその血脈を後世に受け継いでいます。
【赤橋流北条氏・略系図】
義時-重時-義宗-久時-守時-益時
常葉流(ときわりゅう)北条氏
北条重時(義時三男)の三男・北条時茂(ときもち)を祖とするこの一族は、鎌倉の常葉に館(現:北条氏常盤亭跡)を構えたことからそう呼ばれました。
時茂の娘は足利家時(あしかが いえとき)に嫁ぎ、その孫・足利尊氏が鎌倉幕府を攻め滅ぼすことになります。
一方で常葉流の血脈は足利氏に受け継がれました。
【常葉流北条氏・略系図】
義時-重時-時茂-時範-範貞-重高
塩田流(しおたりゅう)北条氏
北条重時の五男・北条義政(よしまさ。初名は時量)に始まるこの一族は、義政が隠棲した信州塩田荘(現:長野県上田市)の地名で呼ばれました。
義政は鎌倉幕府の連署(れんしょ。副執権)として北条時宗(ときむね。第8代執権)を支えるべき要職を投げ出して出家遁世。怒った時宗によって所領を没収され、家格は没落してしまいました。
しかし塩田荘に鎌倉の文化が根付き、やがて「信州の鎌倉」と呼ばれる繁栄を見せます。
そんなご縁があって昭和54年(1979年)、長野県上田市は神奈川県鎌倉市と姉妹都市になりました。義政のお陰ですね。
【塩田流北条氏・略系図】
義時-重時-義政-国時-俊時
普恩寺流(ふおんじりゅう)北条氏
北条重時の四男・北条業時(なりとき。重長)が鎌倉に普恩寺(現在は廃寺。詳細不明)を建立したことからそう呼ばれたと言います。
一族からは連署や引付衆・評定衆・六波羅探題を多く出し、北条基時(もととき)は第13代執権に就任するなど、赤橋流に次ぐ高い家格を誇りました。
【普恩寺流北条氏・略系図】
義時-重時-業時-時兼-基時-仲時-友時
宗政流(むねまさりゅう)北条氏
北条時頼(ときより。義時の曾孫)の三男・北条宗政(むねまさ)を祖とするため、このように呼ばれます。
宗政は若くして亡くなり、子の北条師時(もろとき)は第10代執権に就任しますが、政治の実権を得宗家の北条貞時(さだとき。第9代執権)に握られた状態でした。
得宗家の分流ということで家格は低くなかったものの、微妙な立ち位置であったことが察せられます。
【宗政流北条氏・略系図】
義時-泰時-時氏-時頼-宗政-師時-時茂(常葉流とは別人物)-貞規(時茂の弟)
阿蘇流(あそりゅう)北条氏
北条時定(ときさだ。泰時の孫、後に為時と改名)を祖とするこちらの一族は、肥後国阿蘇社領(現:熊本県阿蘇市)へ移住したことからそう呼ばれました。
次に紹介する桜田流北条氏から北条定宗(さだむね)を養子に迎え、その血脈を鎌倉幕府滅亡までつないでいきます。
【阿蘇流北条氏・略系図】
義時-泰時-時氏-時定=定宗-随時-治時
桜田流(さくらだりゅう)北条氏
北条時頼の子・時厳(じごん)が武蔵国荏原郡桜田郷(現:東京都千代田区)を領したことからそう呼ばれました。
一族は後に鎮西(九州地方)へ下向、阿蘇流北条氏と共に西国の守りを担っています。
【桜田流北条氏・略系図】
義時-泰時-時氏-時頼-時厳-貞国-時光
北条義時・時房の子孫まとめ
以上、北条義時と時房の子孫たちを紹介して来ました。もう最初の方を覚えてないかも知れないので、ざっくり一覧にまとめてみましょう。
【北条時房の子孫】
- 大仏流(おさらぎりゅう)…時房四男・北条朝直が祖。鎌倉大仏近くに住んでいた
- 佐介流(さすけりゅう)…時房長男・北条時盛が祖。鎌倉佐助に住んでいた
※互いにいがみ合っていたため、得宗家は地位を脅かされずに済んだ
【北条義時の子孫】
- 得宗家(とくそうけ)…義時家=北条氏嫡流。得宗は義時の追号(徳祟)に由来か
- 名越流(なごえりゅう)…義時次男・北条朝時が祖。鎌倉名越に住んでいた
- 極楽寺流(ごくらくじりゅう)…義時三男・北条重時が祖。極楽寺近くに住んでいた
- 政村流(まさむらりゅう)…義時五男・北条政村が祖。
- 金沢流(かねさわりゅう)…義時六男・北条実泰が祖。現:金沢文庫に住んでいた
- 伊具流(いぐりゅう)…義時四男・北条有時が祖。陸奥国伊具郡に住んでいた
【重時の子孫】※極楽寺流から分派
- 赤橋流(あかはしりゅう)…重時嫡男・北条長時が祖。八幡宮の太鼓橋近くに住んでいた
- 常葉流(ときわりゅう)…重時三男・北条時茂が祖。鎌倉常盤に住んでいた
- 塩田流(しおたりゅう)…重時五男・北条義政が祖。信州塩田荘に移住した
- 普恩寺流(ふおんじりゅう)…重時四男・北条業時が祖。鎌倉に普恩寺を建立
【北条時氏の子孫】
- 阿蘇流(あそりゅう)…時氏三男・北条時定が祖。肥後国阿蘇へ移住した
【北条時頼の子孫】
- 宗政流(むねまさりゅう)…時頼三男・北条宗政が祖。
- 桜田流(さくらだりゅう)…時頼の子・時厳が祖。武蔵国桜田郷を領した
……これでも十分に面倒ですが、それだけ北条一族が繁栄し、権勢を極めたことが実感できますね。
個々人にも興味深いエピソードがたくさんあるので、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 野口実『図説 鎌倉北条氏 鎌倉幕府を主導した一族の全歴史』戎光祥出版、2021年9月
- 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』吉川弘文館、1999年12月
- 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年6月
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