性感染症
かつて世界において「不治の病」と称され、人類に猛威を奮っていた病気が今回紹介する「梅毒」です。
この病気は性感染症の一つで、現在は医療の発展により容易に治療できます。
しかし、治療方法の確立までに約400年間もの歳月を要したため、その間、世界中の人々は梅毒がもたらす恐ろしい症状に苦しめられることとなります。
現代日本でも増加の一途を辿る、恐るべき梅毒の歴史にスポットを当てていきます。
梅毒とは?
細菌の一種である「梅毒トレポネーマ」と呼ばれる病原体です。
この病原体は低酸素状態でしか生きることが出来ないため、日常生活において感染することはほとんどありません。そのため感染の大部分は性行為によって引き起こされます。
また梅毒の徴候や症状は進行に応じた4段階に別けられるのですが、段階の途中に潜伏期間を設けるのがこの病原体の特徴です。
そのため潜伏期間を完治したと誤認する者が、より一層感染経路を広げる事態が現在も多く見られます。
一度感染すると自然治癒することは絶対にないので、投薬によって早期に治療しなければなりません。
梅毒の感染起源
残念ながら梅毒の感染起源については、現在も明らかになっていません。
有力な説としてはアメリカ大陸を発見したコロンブスとその乗組員らがアメリカ先住民と交わった際に感染し、それがヨーロッパに持ち込まれたという説です。
しかし、コロンブスが新大陸に渡る以前からヨーロッパ国内で発症していたとの主張もあり、今も議論が続けられています。
ヨーロッパ感染拡大
本格的にヨーロッパで梅毒の症状が確認されたのは、1495年にフランス王シャルル8世がイタリア・ナポリを包囲したころと言われています。
このフランス軍の傭兵の中に元コロンブスの船員だった者が参加し、ヨーロッパ各地で梅毒を広めてしまったのです。
実際、兵士たちの中で
膿疱(のうほう)が頭から膝までを覆っており、顔からは血がしたたり落ち、数ヶ月以内死亡した
と発症している記述が見られるので、既に梅毒が拡大していたことが分かります。
また、フランスでは梅毒を「イタリア病、ナポリ病」と呼び、逆にイタリア、ポーランド、ドイツは梅毒を「フランス病」と呼ぶなどして、国家間で対立を煽るプロパガンダとして利用されました。
他にも、梅毒に感染するのは美男子で女性との性交渉が多い者だったので「ヴィーナス病」と呼ばれ、感染した者は女神の罰を授かった者と蔑まれたと言います。
その後、梅毒は瞬く間にヨーロッパ中に広がり、約500万近くの命が失われます。
アジア・日本へと拡大
ヨーロッパで猛威を奮う梅毒は次にアジアへと感染を拡大させます。
当時のヨーロッパは大航海時代であり、梅毒は今までの疫病とは比べ物にならない速さでアジアへと感染を広げたのです。
1500年代、中国の明帝国の間で梅毒が見られ始め「楊梅瘡(ようばいそう)」と呼ばれます。
また記述によると
近年、好淫の人は多くこの病気にかかる
古くはこの病気はなかったが、嶺表(広東)から四方に広まった
と書かれているため、貿易港である広東に降りたった西洋人が梅毒を持ち込んだことが分かります。
こうして中国大陸で広がった梅毒は、あっという間に日本にも上陸。1512年には京都市中で流行したと竹田秀慶が書いた「月海録」には記載されています。
また、戦国時代の武将たちも梅毒によって苦しめられており、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長らが梅毒で亡くなったと見られています。
江戸時代になると幕府は吉原に公営遊郭を設けたため、梅毒はさらに広まり、なんと江戸の人間の50%が梅毒に感染していたと言います。
様々な治療法
ヨーロッパでの感染爆発後、梅毒治療のため様々な治療法が試されました。
有名な方法では「水銀」を使った治療法です。 当時のヨーロッパでは水銀はどんな病気にも効く万能薬と考えられていました。
ですので、水銀を混ぜた軟膏を患者に擦り込んだり、サウナルームのような部屋で水銀の蒸気を患者に浴びせたりして、汗と共に梅毒の菌を排出しようと考えていたのですが、効果があるはずもなく、水銀の有害性で死期を早めるのがほとんどでした。
他にもワインを用いた療法や、ユソウボクやサルトリイバラなどの薬草を利用した治療法が試されますが、梅毒治療の糸口は掴めませんでした。
一方、日本を含むアジア圏では「山帰来(サンキライ)」と呼ばれる漢方を服用し、治療に当たっていました。
しかし完治するわけではなかったため、重症者は放置せざるを得なかったようです。
治療法の確立
400年近くに渡って人類を苦しめる梅毒でしたが、遂に治療の糸口が見つかります。
1908年、ドイツ人細菌学者のパウル・エールリヒと日本人細菌学者の秦佐八郎(はたさはちろう)が梅毒特効薬となる「サルバルサン」の開発に成功。
さらに、1928年にアレクサンダー・フレミングによって「20世紀の偉大な発見」とも称される「ペニシリン」が発見されます。
ペニシリンの普及により、第二次世界大戦以降、梅毒は効果的かつ確実に治療されるようになり、かつての脅威は見られなくなりました。
最後に
医療の進歩により、もはや梅毒は過去の病気と見られがちですが、残念ながら日本、世界共に梅毒は再び急増しているという報告がなされています。
「治療薬があるから大丈夫」と楽観的に考えずに、かつては「不治の病」の一つであった歴史的背景を我々はもう一度知るべきなのかもしれません。
再び梅毒が姿を変えて我々に襲い掛かることがないとは断言できないのですから…。
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