元亀3年(1572年)12月22日、武田信玄(演:阿部寛)率いる三万騎の精兵を前に惨敗を喫した徳川家康(演:松本潤)。
大混乱の中で、何とか家康だけでも助けようと身代わりになった夏目広次(演:甲本雅裕)。NHK大河ドラマ「どうする家康」ではその熱演が視聴者の感動を呼びました。
しかし家康の影武者を買って出たのは、広次だけではなかったのです。
今回はそんな三河武士の一人、鈴木久三郎(すずき きゅうざぶろう)を紹介したいと思います。
家康の采配を引ったくる
……又御危急なりし時鈴木久三郎御麾賜りて討死せんと申す。 君汝一人を討せてわが落ち延むこと本意にあらずとて聞せたまはず。久三郎はしたゝかなるものなれば大に怒りて眼を見はり。さてさて愚なる事を宣ふものかなとて。強て御麾を奪取りて只一人引き返し奮戦す。御帰城の後あはれむべし久三定めて戦死しつらんと宣ふ所へ。久三郎つと帰りきて御前へ出ければ。殊に御けしきうるはしく。汝よく切り抜しと仰ければ。久三郎思ひしより手に立ざる敵の様に侍るはとさらぬ顔して座し居たり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康帰濱令開放」
「殿!」
三方ヶ原で窮地に陥った家康の元へ駆けつけた久三郎。家康が手にしている采配(麾)を渡すように言いました。
「それがしが三河守(家康)を名乗り、殿が逃げる時を稼ぎ申す」
采配は軍勢を指揮する道具。これを持っていれば、敵も「こいつが総大将の家康だ」と勘違いするでしょう。
「何を申すか。そなた一人を見捨てて逃げるなど、出来ようものか!」
渋る家康を、久三郎は叱りつけます。
「このどたぁけが!殿がご無事なればこそ、必ず捲土重来も叶いましょう」
「しかし……」
「えぇから寄越さんかい!」
家康から采配を引ったくり、久三郎は武田軍に向かって突撃しました。
「久三郎、必ず生きて戻れよ!」
「任せとけ!えぇからクソ漏らさんウチにとっとと帰れ、このどたぁけが!」
……かくして浜松城へ生還を果たした家康。今ごろ久三郎は、武田の精兵らによって膾(なます)切りでしょう。
「久三郎……」
籠城か、出撃か。血気に逸って判断を誤ったがために忠勇の将兵をあまた喪った家康。
「皆の者……相すまぬ」
深くうなだれ、悲しみにくれている家康の頭上から、聞き覚えのある声がします。
「……どたぁけ」
驚いて家康が顔を上げると、そこには全身ボロボロ傷だらけの久三郎が仁王立ちしています。
「すわっ、亡霊か!」
「どたぁけ。ちゃんと足はついとるわい。殿が下知したんじゃろ?『必ず生きて帰れ』とな」
あの後、家康の采配を持って武田軍に突入した久三郎。
思う存分暴れ回って気がすんだので、敵を蹴散らし帰還したのでした。
「そなた……よくぞ戻った!」
感涙にむせぶ家康に、久三郎は采配を突き出します。
「どたぁけ。あんな連中、大した事はないわい……それはそうと、これで『借り』は返したからな!」
家康が受け取った采配はこれまたボロボロ、久三郎のくぐり抜けた死闘を代弁しているようです。
「うむ。解っておる、解っておるぞ……」
久三郎の言う『借り』とは、岡崎時代の事でした……。
若き家康を叱りつける
「……うぬら、ここを殿のお鷹場と知っての狼藉か!」
今は昔し、家康が鷹狩に使っていた鷹場(たかば)で、鳥獣の密猟が相次いでいました。
密猟者の中には少なからず徳川家臣も含まれており、ことごとく投獄されてしまいます。
また、城のお堀で魚を獲った者についても、同じく獄につながれていました。
「まったく、暮らしの貧しさ故であろうに、不憫な事よ……」
見るに見かねた久三郎は、家康の館へ侵入。池の鯉や織田信長(演:岡田准一)から贈られた酒を盗み出します。
「そなたら、差し入れじゃぞ!」
獄卒(看守)らも手懐けて、久三郎は獄中の仲間たちに鯉料理と美酒をご馳走しました。
「おぉ、鈴木殿。これは忝(かたじけな)い!」
「なぁに構うな。これはすべて殿からの賜りもの、遠慮なく平らげよ!」
……なんて事がありまして。それを聞いた家康のさぁ怒るまいことか。
「何、久三郎めが?!……あンのどたぁけめ、手討ちにしてくれるから直ちに召し出せ!」
「……その必要はござらぬ。鈴木久三郎、逃げも隠れもするまいぞ!」
家康は怒髪天を衝かんばかり、かたわらの薙刀を久三郎の喉元へ突きつけます。
「おのれ久三郎、覚悟は出来ておろうな?この不届き者め……」
しかし久三郎は微塵も揺るがず、むしろ家康に怒鳴りつけました。
「不届き者は殿にござる!」
「何じゃと?もう一遍言うてみぃ!」
「解らぬような何度でも言ってやる、このどたぁけが!」
あまりの気魄にたじろぐ家康を前に、久三郎は語りつけます。
「家臣が密猟(密漁)をするのは、暮らしが貧しいからじゃ。みんな腹を空かせた一族郎党を養っておるんじゃ。それを省みもせず、やれ鷹場だお堀だと独り占めして、それで天下が獲れるのか!」
「それは……」
「殿をお支えするのは鳥や魚か?それとも我ら譜代の家臣か?どっちかハッキリ言うてみよ!」
もはや二の句が告げぬ家康は、密猟者たちの釈放を約束します。
「……さて。それはそうと、それがしは殿に不敬を働き申した。その咎につき、切腹なり斬首なり、ご随意になされませ」
今度は久三郎が平伏しますが、ここで自分を諌めた久三郎を罰したら、家康の面子は丸つぶれです。
「……もうよい。そなたの命、暫しそなたへ貸しておく」
「有難き仕合わせ。殿より『お借り』したこの命、惜しむことなく奉公に勉め、殿の御恩情に報いまする」
かくして久三郎も無罪放免、家臣一同は過ちを素直に改めた家康の度量にたいそう感服したのでした。
終わりに
……という逸話が『岩淵夜話別集』に伝わっており、鈴木久三郎は三方ヶ原で見事に『借り』を返したのでした。
その後、鈴木久三郎がどのような活躍を遂げたのかは分かりません。しかし家康の天下取りがこうした忠義の家臣たちに支えられたことは間違いないでしょう。
さて、三方ヶ原の苦難を乗り越えた「我らが神の君」が天下獲りを果たすまで、まだまだ長い道のりが続きます。
NHK大河ドラマ「どうする家康」、これからの展開も楽しみですね!
※参考文献:
- 澤宮優『殿様を叱る! 歴史を動かした戦国大名家臣たちの直言集』新人物往来社、2011年5月
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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