はじめに
三国志が好きな人にとって、当たり前のように染みついてしまったのが、それぞれの国のイメージカラーだ。
いわゆる『魏は青・呉は赤・蜀は緑』であり、シミュレーションゲームの『三国志』でも、アクションゲームの『三国無双』でも、このイメージカラー盛りだくさんの武将がたくさん登場する。
一部の海外メーカーが作っている三国志のゲームまで、この『魏は青・呉は赤・蜀は緑』となっている。
なぜ、このような事になってしまったのだろうか?
理由はやっぱりコーエーにあった
やはりこのイメージは、完全にコーエー(光栄)のゲームの影響である。
理由はシンプルで、シミュレーションゲームの『三国志』やアクションゲームの『三国無双』などで、統一してこのイメージカラーを使いまくった結果、『魏は青・呉は赤・蜀は緑』というイメージが強烈に定着してしまったからだ。
ゲームの『三国志』や『三国無双』よりも古い、横山光輝氏による漫画の三国志などでは色分けは存在せず、それ以前の色に関する情報をいくら探っても『魏は青・呉は赤・蜀は緑』にはたどり着かなかった。
むしろ『曹操は赤が好きだった』などの別の情報が見つかり、困惑する始末だ。
こういった状況から、やはりコーエーの影響で染みついてしまったイメージであると、改めて定義したい。
コーエーは、いつ頃からこのイメージカラーを使っていたのか?
実際にコーエーが、いつ頃からこの色を意識していったのかを見ていこう。
まずは、シミュレーションゲームの「三国志」から掘り下げてみたい。
シリーズ1作品目の『三国志』(1985年)はどういったカラーになっているのか、YouTubeの動画で実際にチェックしたが、武将によるカラーの強調はなさそうだった。
しかし、全体マップ画面をチェックすると、曹操が青で劉備が薄い緑、孫堅がピンク色になっていることが判明した。
なんと、この時からすでにイメージカラーにつながる色分けがされていたのだ。
次に、2作品目の『三国志2』(1989年)を調べてみたところ、全体マップでは同じように曹操が青で劉備が薄い緑、孫堅が赤になっていた。
さらに、武将の画像を探ってみたところ、イメージカラーとは全く関係ない衣装を着ていることがわかった。
同様に『三国志3』(1992年)や『三国志4』(1994年)に関しても、武将はイメージカラーに寄せてはいなかった。
しかし、『三国志5』(1995年)頃から、武将の衣装もイメージカラーに寄せ始めてきたようだ。
真・三國無双で完全定着した
『真・三國無双』が2000年頃にPS2で発売されると、全身の姿が見られる状態で、一人のキャラクターがフォーカスされることになった。
それぞれの国のキャラクターが、明確にイメージカラー通りに色分けされているのだ。
ここが分岐点だったのだろう。
これまでのシミュレーションゲームとしての「三国志」は、武将の全体像が見えるイラストが不要だったことから、イメージカラーを取り入れる必要はなかった。
しかし、全身が常に見られるアクションゲームの登場で、そうもいかなくなったのだ。
その結果、『魏は青・呉は赤・蜀は緑』は、さらに強いインパクトを与えることになった。
筆者の見解だが、「関羽は緑の服を着ていた」という言い伝えがあることから蜀は緑、孫堅は赤い頭巾がトレードマークで、赤壁や夷陵の戦いで火計が用いられたことから呉は赤、そして余った青を魏にあてたのではないだろうか?
実際のイメージカラーはあったのか?
コーエーのゲーム戦略によって『魏は青・呉は赤・蜀は緑』というイメージカラーになってしまったが、実際の三国時代にイメージカラーはあったのだろうか?
こちらを調べてみると、なんと『魏は黄・呉は黄・蜀は赤』となっていた。
ゲームで知ったイメージカラーとは全く異なっている。
この色になったのは明確な理由があり、その根底には五行思想が深く関わってくる。
五行思想の詳しい説明は割愛するが、ざっくりと説明すると万物は「火・水・木・金・土」からなる5種類の元素でできているという考え方だ。
そして上にある画像のように、『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』存在であり、『木:青 火:赤 土:黄 金:白 水:黒』と色分けされているのである。
ここでポイントとなってくるのが、王朝を五進数で数えると五行思想の『火』に該当する、後漢という存在だ。
その結果、後漢の正統な継承者を名乗った劉備率いる蜀は、必然的に赤になる。
そして魏と呉は、火徳の王朝たる漢王朝が滅んだ次の王朝として、五行思想の『火』の次にある『土』の黄色をイメージカラーに取り入れたのだ。
最終的に三国志を終わらせて中国統一を果たした晋は、さらに次の王朝という意味で、金徳の王朝である『白』がイメージカラーとなっている。
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