アメリカのスミソニアン自然史博物館には、不思議な光を放つ巨大な宝石が所蔵されている。
その宝石は「ホープダイヤモンド」という、45.52カラットという大きさを誇る世界最大のダイヤモンドだ。
このダイヤモンドが世界中で名を知られているのは、その大きさや美しさ以上に人々の興味を引く呪われた逸話を持っているからである。
今回は呪われた宝石ホープダイヤモンドについて、詳しく解説する。
ホープダイヤモンドの特徴
ダイヤモンドというと一般的には無色透明のイメージがあるが、ホープダイヤモンドは深い青色のダイヤモンドだ。ダイヤモンドでここまで濃い青を発するものはほとんど見られない。
その原因は不純物として含まれるホウ素が原因なのだが、ダイヤモンドが生まれる地層にはホウ素がほとんど存在しないため、なぜホープダイヤモンドにホウ素が含まれたのかについては今も理由がわかっていない。
またホープダイヤモンドに紫外線を当てると1分以上も赤い燐光を放つことが判明しているが、ダイヤモンドでその性質を持つ物はとても珍しく、その原理もいまだに解明されてはいないという。
そんな不可思議な謎が詰まったダイヤモンドなのだが、それ以上にオカルトなのはこのダイヤモンドの持ち主となった者が、軒並み「不幸な最期を迎えた」と言われていることだ。
ホープダイヤモンドの呪いの伝説
以下からはホープダイヤモンドを「ホープ」と記す。
「ホープ」が最初に発見されたのは9世紀のこと、インド南部のコーラルという町の農夫が見つけたといわれている。
この時点で「ホープ」は既に呪われており、農夫はインドに侵攻してきたペルシア軍に殺され、軍の司令官は手に入れたホープを自国の国王に献上した。だが司令官は親族のミスにより処刑され、国王は謀反に合い殺された。
「ホープ」は元々ヒンドゥー教の寺院にあった女神シータの像の目にはめられていた2つのうちの1つで、ある日何者かに盗まれてしまった。大切な女神の目が盗まれたことに気付いた僧侶が、「ホープ」を手にするすべての者に呪いをかけたといわれている。
そしてペルシアに渡った「ホープ」は、時を経てフランスの宝石商ジャン=バティスト・タヴェルニエの手に渡った。
フランスに渡ったホープ
1668年、「ホープ」はタヴェルニエを介してルイ14世の手に渡る。ルイ14世は112と3/16カラットあった「ホープ」を67と1/8カラットにカッティングし、「フレンチブルー」の名を与えて儀典用のスカーフに装着した。
しかしルイ14世が「ホープ」を手にした頃からフランスの衰退の兆しが見え始め、子のルイ・ド・フランスは父より早く亡くなり、孫のブルゴーニュ公ルイも天然痘で早世、ルイ16世と妻のマリー・アントワネットは断頭台の露と消え、アントワネットから「ホープ」を度々借りていたランバル公妃も革命軍に殺された。
1792年、フランス革命の最中で、「ホープ」は王室の宝物庫に入り込んだ窃盗団に盗まれる。窃盗団は「ホープ」の出所を隠すためにカッティングを施し、アムステルダムの宝石商に売り飛ばした。
しかしこの宝石商の息子が「ホープ」を横領したために、宝石商はショックで死に、息子もその後自殺した。
イギリスに渡ったホープ
その後イギリスに渡った「ホープ」は、ロンドンの銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープに競り落とされる。
この呪われたダイヤモンドの「ホープ」という名は、この持ち主の名前に由来するものだ。
ヘンリーが死去した後、「ホープ」はヘンリーの甥のトーマス、その妻アデル、そしてヘンリーとアデルの孫である第8代ニューカッスル侯爵フランシス・ホープへと相続されていったが、フランシスが破産して「ホープ」は売却されることになった。
売りに出された「ホープ」を買い取ったフランスの宝石ブローカーは発狂した挙句に自殺、その後「ホープ」を買い取ったパリの女優は愛人に射殺され、その愛人も革命家に殺されたという。
その後も「ホープ」は多くの人々の元を渡り歩くが、どの持ち主も不幸な最期を迎えた。そして1949年にアメリカの宝石商ハリー・ウィンストンに売却され、1958年にウィンストンによってスミソニアン協会に寄贈されたのだ。
ホープダイヤモンドの真実
多くの人間を不幸に陥れたという伝説で有名になった「ホープ」だが、実はここまでで紹介した噂のほとんどは脚色されたものだ。
ジャン=バティスト・タヴェルニエから、ルイ14世の手に青色の巨大なダイヤモンドが渡った事実は記録に残っていて、フランス王朝は確かに革命により断絶した。しかし、その要因は歴史的背景を鑑みれば「ホープ」だけがもたらしたものではない。
そしてフランス王室の宝物庫から盗まれ売りに出された宝飾品の中には、青いダイヤモンドに関する記録は残っていないという。そもそもかつての「フレンチ・ブルー」が「ホープ」である証拠がないのだ。
現在スミソニアン自然史博物館で観覧できるのは、ヘンリー・フィリップ・ホープの手に渡る直前の1812年に、イギリスの宝石商が所有していた記録が残っている青いダイヤモンドである。
その後、ホープ家が没落したのは事実であるが、ほとんどの持ち主が不幸な最期を迎えたというのは作り話で、最後に「ホープ」を所有していたハリー・ウィンストンは世界的な宝石商として成功を収め、「ホープ」を手放した20年後の1978年に82歳で亡くなった。
ダイヤモンドに呪いをかけた人物
「ホープ」が世界的に呪われた宝石として知られるようになったのはインドの僧侶の仕業ではなく、「ホープ」に付加価値をつけようと考えた持ち主たちの仕業だった。
特にフランシス・ホープの元妻で女優でもあったメイ・ヨーヘは、「ホープ」にまつわる著書を大幅な脚色を加えて書き上げ、さらには映画まで制作したという。
つまり「ホープ」の宝石としての価値や希少さは確かだが、「ホープ」にまつわる伝説は、その多くが「ホープ」の持ち主であった富裕層たちの思惑によって、後付けされたものである可能性が高いということだ。
世界的に名を馳せるほどの富裕層が没落するのは何も珍しいことではない。成功を手にしてもそれが永遠に続くわけではなく、それが盛者必衰の理というものである。しかしその没落を「ホープ」の呪いのせいにすると、一気にドラマチックなストーリーができあがる。
この多くの人々から呪いをかけられた青く輝くダイヤモンドが、人々の欲望を搔き立てる何かを秘めていることだけは間違いないのかもしれない。
そしてルイ14世がカットした「フレンチ・ブルー」の片割れは、今もまだ見つかってはいない。
参考文献
ナショナル ジオグラフィック『魅惑の財宝伝説 失われた黄金と宝石の謎 (ナショナル ジオグラフィック 別冊)』
ジェフリー・エドワード・ポスト著/甲斐 理恵子翻訳『スミソニアン宝石コレクション 世界の宝石文化史図鑑』
「ルイ15世は父親より早く天然痘で死亡し」
ルイ15世はルイ14世の曾孫です。
ルイ14世の崩御で、5歳のルイ15世が即位しました。
ご指摘ありがとうございます!修正させていただきました。