年始に神社や寺へ行くと、厄年の早見表を掲示しているのをよく見かけますね。
今年が厄年に当たる人は「何かしら悪いことが起こるかもしれない…」と不安に感じて厄払いに行く人も多いでしょう。
しかし、この「厄年」という概念は、実は少し意外なところが起源になっています。
今回は、厄年の起源や背景に迫りながら、その歴史と背後にある意味を探っていきたいと思います。
厄年の起源は平安時代の陰陽道
厄払いを神社や寺でやってくれるので「厄年は宗教的なもの」と思いがちですが、実は宗教とは関係がありません。
仏教の教えや神道の考えに「厄年」という概念は無いのです。
厄年の起源は平安時代の陰陽道と考えられています。
陰陽道とは日本古来の自然観に中国の儒教や道教、といった思想が混じって発展した呪術や占術の技術体系のことです。
そこには「暦を読む」という考えがあり、そこから「この年齢は気を付けよう」「その年には厄が降りかかるかもしれない」と警戒しなければいけない年が出来たのです。
ただしこの時代は現在とは違い、自分の干支の年が災難が降りかかる警戒すべき年、とされていました。
12年ごとに巡ってくる自分の干支の年に厄払いをしていたのです。
『源氏物語』には、紫の上が37歳の厄年で加持祈祷を受け、物忌みをするくだりが書かれています。
厄年の思想が貴族の間で一般的に浸透していたことが分かります。
厄年は江戸時代にできた語呂合わせだった
ではなぜ今、みんなが横並びで同じ年齢で厄年になるかというと、これは単なる語呂合わせ。
男性の大厄は42歳。つまり「死に」から来ているのです。
そして女性の大厄は33歳。「散々」から来ています。
江戸時代に入り「厄を払う」ことが庶民の間で大ブームになりました。
これは戦乱の世が終わり、社会が安定してきたことが影響しています。
「今は落ち着いて生活ができているけど、いつか災難が起こるかもしれない」
と考えて、あらかじめそれを防ごうとしたのです。
実際、男性の42歳は働き盛りです。
女性の33歳も多くの人は出産を終え、子育て真っ只中の主婦として家庭の中心人物になる年齢です。
こういった立場や役割が変わりやすい年齢は人生のターニングポイントになることが多いので、「事前に厄を祓っておこう」となるわけです。
とはいえ毎年厄払いにいくのは面倒だし、毎年のように厄が降ってくるとも思えない。
そこで33歳や42歳という仕事や体調などに不安を感じられる時期に、語呂合わせとして厄年を用意したというわけです。
何の宗教的意味もない語呂合わせで成立した厄年ですが、昔の人々が自らの体験を通して理由を後付けし、現在に至るまで語り継がれてきたのです。
ちなみに年末年始に厄払いを行う風習は歴史が浅く、戦後から始まったとされています。
1965年頃、栃木の惣宗官寺が「佐野厄よけ大師」と新たに命名され、厄除け・厄払いを全面的にプロモーションしました。
その後、埼玉から栃木まで高速道路が開通し、東京近郊在住者が参拝しやすくなくなりました。
加えてテレビCMが関東地方を中心に放送されたことで、「年末年始に厄年をする」という行事は全国的に普及することになりました。
おわりに
日本に古くから伝わる伝統や信仰の中には、数多くの教えや意味が隠されています。
厄年もその一つで、ユニークな背景と歴史を持つ魅力的なテーマと言えますね。
日常の中で感じる不安や迷いも、このような背景知識を知ることで、少し和らげられるのかもしれません。
参考 : 厄年|日本文化いろは事典 他
この記事へのコメントはありません。