中国史

謎の古代中国遺跡で発見された「イヌ型ロボット?」 三星堆遺跡の神獣

三星堆遺跡

画像 : 三星堆積遺跡戴冠立人像 T氏出典

三星堆遺跡(さんせいたいいせき)とは、中国の四川省広漢市、三星堆の鴨子河付近で発見された文化遺跡で、20世紀最大の発見とされている。

発掘された遺物は奇妙なものばかりで、最も古い年代のものはなんと4000年以上も昔であり、多くの歴史ファンの興味をひいている。

その高い技術や奇妙すぎる姿から「宇宙人が作った遺跡ではないか?」という説もあるくらいだ。

画像 : 三星堆遺跡で発掘された青銅縦目仮面

その発掘調査は長い月日をかけて行われている。
遺跡発見のきっかけは、1929年の春に現地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年にイギリス人牧師が発見した。

その後、何度か本格的な発掘調査が行われ、たびたび停止しながらも2020年に発掘調査が再開されている。2023年8月23日の発表によると、この時点までの発掘においても三星堆遺跡の発掘進度は何と千分の一にしか満たないと言う。

それほど大規模な遺跡であり、調査すればするほど逆に謎が深まるという前代未聞の遺跡なのだ。

今回は2020年に再開された発掘によって出土した「神獣」について掘り下げていきたい。

三星堆遺跡青銅神獣

画像 : 発掘途中の神獣

2020年8月24日の午後、三星堆遺跡の発掘現場(8号祭壇)において新たに大型の神獣が発掘された。

神獣は以前にも発掘されたことがある。1986年に発掘された神獣は約20から30センチほどのかわいい大きさで、リビングに飾るのにちょうど良いサイズ感であった。

今回発掘された神獣は、高さが約1メートルと非常に大きく重さは約150キロで、まるで「犬型ロボット」のようであった。

これまでに発見された神獣の中で、この大きさの神獣はこの一体だけである。

どんな姿をしていたのか

三星堆遺跡の神獣

画像 : 三星堆遺跡で新たに発掘された神獣 © 三星堆博物館

「神獣」は四つ足で立つ馬の様な姿をしていた。大きな目、口、耳を持っており、立て髪は首の部分でカールを描いている。

神獣の体は腰の部分でカーブを描いており、そこから生えた大きな尾っぽも美しいカーブを描いている。足は太くしっかりと大地を踏み締めている。

興味深い点は他にもある。

神獣の頭の上には1本の角が生えており、その上には一人の人間が立っている。
その人物は長い中華服を着ており、ほっそりとした体型をしていた。

研究者は「この人物は、神獣を飼い慣らしている人物ではないか」と推測している。

さらに神獣の胸の部分には「神樹」が彫刻されていた。

画像 : 青銅神樹 public domain

青銅神樹(せいどうしんじゅは、字のごとく「青銅器で作られた神の木」と呼ばれ、三星堆遺跡の二番坑から発掘された。

神獣の胸の部分にも「神樹」が彫刻されていたことから、三星堆の人々がこの神木を崇拝し、精神的な支柱としていたことへの、さらなる裏付けとなった。

神獣文化

古来より、動物を崇拝の対象とした文明は多い。
自然界に対する無知もあって、人々は動物を畏怖すべき対象として崇拝していたのである。

神という概念が誕生してからは、動物を人間と神との架け橋とする考え方が広まった。

三星堆遺跡では「神鳥」も発掘されており、「鳥」も神との架け橋として崇拝していたようだ。

三星堆遺跡の神獣

画像 : 神樹の鳥

しかし、発掘された動物たちは自然界ではあり得ない姿をしている。つまり架空の動物である。

中国には古来より多くの想像上の動物がいる。「麒麟、龍、鳳凰」などが代表的である。それらは、人々に吉祥の兆しをもたらすものであり、現在でも縁起の良い架空の動物として扱われている。

三星堆遺跡で見つかった神獣はどちらかと言うと「麒麟」に似ている。
麒麟は、あのキリンビールのラベルに描かれている架空の動物だ。

麒麟崇拝の起源は「鹿」の崇拝だとされている。そして三星堆遺跡で見つかった「青銅立人像」の帽子の上にも鹿の角があった。

鹿は縁起の良い動物で「吉兆を呼ぶ」とされる。その長く伸びる角は空へと達し、やがて神と人とを繋ぐ。角は太陽の動きと共に成長し、新しい生命の誕生と共に伸びるとされている。

今回、三星堆遺跡で見つかった「神獣」によって、三星堆遺跡と中華文化の類似点が見つかったといっても良いかもしれない。

更なる調査報告に期待したい。

参考 : 三星堆出土迄今最大青銅神獸 造型罕見此前從未出現

他の三星堆遺跡の記事一覧

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 則天武后の半生について調べてみた【中国唯一の女性皇帝】
  2. 『古代中国』夫婦の寝室に侍女がいた理由とは?~ただの世話係じゃな…
  3. 超古代文明の宇宙人統治説について調べてみた
  4. 【古代中国で高身長だった人物】 関羽、張飛、始皇帝、孔子…何セン…
  5. 『古代中国』なぜ宮女たちの多くは子を産めなくなったのか? 〜あま…
  6. 洗衣院(せんいいん) 【一万人の性奴隷を生んだ悲劇の売春宿】
  7. 古代エジプトのファッションについて調べてみた「ファラオの王冠は布…
  8. 古代中国の枕事情とは 「硬い陶器の枕が流行していた?」

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

チェスキー・クルムロフとは 【世界一美しい街】

東欧の街並みは歴史を感じさせると共に、日本人の私たちでもどこか懐かしさも感じます。そんな東欧…

『日本書紀』 が示す日本の国家形成における真実とは?

朝鮮半島で唐と新羅が激しく争っていた7世紀半ば、日本は先進国である唐に習いながら、中央集権国家を着々…

何度でも立ち上がる!諦めない将軍・第15代足利義昭の生涯

お互いに助け合った義昭と信長の関係1573(元亀4/天正元)年7月2日、室町幕府第15代…

江戸時代の肉食文化 について調べてみた【肉は薬?!】

江戸時代に肉食を禁じていた話は有名である。明治になり、文明開化の象徴として「牛鍋」がブームに…

【古代の日中関係】 白村江の戦いで完敗した日本 ~蘇我氏と仏教の台頭

古代日本と中国の関係古代の日本にとって、中国は現代のアメリカ以上に大きな存在でした。…

アーカイブ

PAGE TOP