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【最も美しい死刑囚】20歳で処刑された中国少女「陶靜」が選んだ愛と死
中国における死刑 犯罪や薬物問題は長年にわたって社会の深刻な課題であり、現在も変わらず大きな影響を及ぼしている。 日本でも薬物の問題は根強く、逮捕者が後を絶たない状況が続いている。 一方、中国では薬物犯罪に対する処罰が... -
【秦の始皇帝の娘】発掘された墓が物語る「恐ろしすぎる事実」とは?
秦の始皇帝 人気漫画「キングダム」でもお馴染みの秦の始皇帝(嬴政)は、古代中国史において最も有名な人物といっても過言ではないだろう。 始皇帝は秦国を強大な国家に変革し、中国を初めて統一した偉大な政治家として後世にその名を残し... -
【宮女たちに殺されかけた明の皇帝】13〜14歳の宮女から「ある物」を採取して怒りを買う
皇帝とは 東アジアにおいて「皇帝」という称号を初めて用いたのは、秦の初代皇帝である始皇帝である。 紀元前221年、彼が中国を統一した際、自ら「皇帝」という称号を採用した。 「皇」という字は、最も尊い存在や神聖な存在を意... -
【古代中国で高身長だった人物】 関羽、張飛、始皇帝、孔子…何センチだった?
背が高い中国の歴史上の人物 中国の歴史において、身長が高い人物として挙げられるのは、三国志の関羽や張飛などが代表的である。 彼らは大柄で力が強く、百戦錬磨のイメージである。 では、彼らの実際の身長がどの程度であったのか、歴史的... -
唐の皇帝が宮女を外出させたら⋯ なんと一晩で3000人が逃走!
宮廷での仕事 古代中国の封建社会において、宮廷は皇帝や后妃の他、多数の宮女や宦官が日常業務を担う場所であった。 衣食住に困ることはなく、一定の生活保障があったものの、宮女たちには「自由」が一切なく、厳しい日々を送っていたので... -
【明朝の冷血皇帝】 3人の美しい皇后が辿った悲劇的な最後
嘉靖帝とは 明朝の第12代皇帝である嘉靖帝(かせいてい)は、諱を厚熜(こうそう)といい、道教に深く傾倒し、長年にわたり政務を顧みずに修仙(仙人になる修行)に没頭したことで知られる。 即位当初は政治に対して熱心で、先代からの悪... -
娘は殺され妻は犯され…紫式部の異母弟・藤原惟通とは何者か 【光る君へ】
NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?筆者は毎週楽しみです。 劇中ではヒロイン・まひろ(紫式部)の兄弟姉妹は、弟の藤原惟規(のぶのり)しかいないような描かれ方をしています。 しかし実際には同母姉や異母弟妹がおりました... -
【光る君へ】実はハラスメントだらけだった平安貴族の宴
「無礼講」がまかり通っていた飲み会は過去のものとなり、近年は酒の席での嫌がらせ行為、アルコールハラスメント(アルハラ)への配慮が必要とされる時代です。 しかし、どんな時代でも酒に飲まれてしまう人はいるもの。 上品で雅なイメージの平安... -
『中国最後の死刑執行人』99人で引退の掟を破り、300人斬った処刑人の末路とは
大金を一瞬にして稼げる仕事 清朝時代の中国には、少ない労力で大金を得られる職業があった。 しかし、その職業に就ける者は限られていた。色々な意味で誰もが行える仕事ではなかったのだ。 その仕事とは「死刑執行人」である。 ... -
「清朝の宮女への恐ろしい刑罰」 墩鎖刑 ~キツキツの箱に入れて死まで閉じ込める
清朝時代の宮廷 中国の清朝時代、皇帝が暮らす華やかな宮廷には多くの女性や宦官が仕えていた。 女性たちは皇后の座を狙い、他人を蹴落とすなど策を講じた。 もし成功すれば皇帝の子供を産み皇后の座を手に入れることができる。だが... -
【古代中国の宮女たち】どのように寂しさを紛らわせていたのか? 驚きの方法
古代中国の宮廷は華やかさの象徴でありながら、そこに暮らす者たちには厳しい規律と孤独がつきまとった場所でもあった。 特に、皇帝やその家族に仕える宮女たちは、家族や自由を犠牲にして宮中に入る者が多かった。 宮女たちは一定の高... -
清朝における最も危険だった仕事 「皇帝の理髪師」 ~命がけだった
選ばれない仕事 現代において、仕事の選択は人生を左右する重要な決定である。 筆者が就職活動を行っていた時代は「3K」として「きつい」「汚い」「危険」な仕事は避けられる傾向にあった。 現代の若者も同様に、体力的だけでなく精神... -
中世ヨーロッパでもっとも忌み嫌われた「意外な色」とは
時代と共に移り変わるファッションと、それに伴う色の流行。 現代のようにマスメディアやSNSが無い時代は、一体どのような理由で、ある色が好まれたり、避けられたりしたのでしょうか。 今回はこの問いに迫るため、中世ヨーロッパの色彩に関... -
中国史上、最も悲惨な最後を迎えた宦官・劉瑾 【絶命するまで2日がかりで3,357刀 斬られる】
宦官とは 古代中国の歴史を語る上で 宦官 (かんがん)は欠かせない存在である。 宦官に付いて一言で解説すると、宮中で働く「去勢された官僚」を示す言葉であり、彼らは去勢を施されて宮中の女性と関係を持てないようにされていた。 ... -
13年間の虐待で野生児になってしまった美少女ジーニーの悲劇【禁断の研究】
1970年11月4日、カリフォルニア州テンプルシティで、13歳の少女ジーニーが過酷な環境から解放された。 この日、ジーニーの母ドロシーは、暴力的な夫クラークから逃れ、娘を連れて社会福祉局を訪れていた。 ドロシーは白内障と... -
中国の妃たちが恐れた冷宮送り 〜【罪を犯した后妃が生涯幽閉された地獄のような場所】
紫禁城 現在の北京にある紫禁城(しきんじょう)は、壮大な歴史的建造物である。 ここはかつての皇帝たちが暮らし、政治を取り行った場所でもある。 北京と藩陽の明・清王朝皇宮の一つとして、ユネスコの世界遺産となっている。 「紫禁城... -
伊勢神宮と出雲大社 どちらが格上なのか調べてみた
「無宗教だから」といいつつ、神社を訪れる日本人は多い。 観光はもちろんだが、初詣、帯祝い(戌の日参り)、七五三、それに色々な祈願。普段、神社とは距離がある人でも何かしらの形で接点はあるものだ。 そして、日本人なら多くが「特別な神... -
【平安の闇に潜む凶悪犯罪】身ぐるみ剥がされた女房たち、野犬に屠られた皇女
平安時代といえば、現在放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する、雅やかな貴族のイメージを思い浮かべる人も多いでしょう。 一見優雅にみえる平安時代ですが、実際の平安時代は決して穏やかな時代ではありませんでした。貴族から庶民まであら... -
『伊達政宗の顔が頭蓋骨から復元』 伊達政宗はイケメンだった?
伊達男とは 「伊達男(だておとこ)」とは、服装や振る舞いがお洒落で、色気や侠気(きょうき)のあるモテ男のことを指す。 伊達男の語源や由来は、戦国大名の伊達政宗からきていると言われている。 豊臣秀吉の惣無事令を無視して領... -
【驚愕!】天皇家は元々、天照大神を祀っていなかった? ~皇室本来の皇祖神とは
天皇家の皇祖神とされる天照大神 天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天皇家の皇祖神として伊勢神宮内宮に祀られているのは周知の通りだ。 『古事記』『日本書紀』には、多少の違いこそあるが、天照大神の誕生を、伊邪那岐命(いざなぎの... -
古代中国では女性はどのように扱われてきたのか? 「女帝、料理にされた妻、纏足の悪習」
男女平等 昔の日本は「男尊女卑」のイメージがとても強い。 「女性は男性の後ろに下がって歩く」「男性がまず食事に箸をつけてから女性は食事をとってもよい」 などの風潮や概念が、一定の世代に浸透していた。 現代の日本においても... -
【文豪たちをメロメロにさせた魔性の美人記者】波多野秋子 ~人気作家を虜にした心中事件
大正12年(1923)6月、人気作家の有島武郎が、軽井沢の別荘でひとりの女性と心中した。 約1ヶ月後、2人の遺体が発見されると、新聞各紙はこぞってこの衝撃的な事件を報じた。 後に、有島と共に命を絶った女性が、中央公論社の雑誌『婦人公... -
『日本一のモテ女』 江良加代 ~明治の偉人たちが次々と虜になった伝説の芸妓
世の中には信じられないほど男性からモテる女性がいる。 そういう女性はただ美人だからとか、経験豊富だからとかではなく、天性の才能として男性を魅了する何かを持っているのではないかと思う。 祇園の芸妓として働いていた江良加代(... -
7000年前の墓で発掘された少女が物語る恐ろしい事実とは?
新石器時代の墓 1995年、西安の東約49キロにある小さな村で、考古学者がある発見をした。 この古墓から発掘されたのはなんと「7000年以上前に生きていた女性の遺体」であった。 この女性は、発見された村の名前をとって「零口... -
日本一の美人芸妓・萬龍の波乱の生涯 「美しすぎて小学校が通学拒絶?」
明治時代の終わり頃、「日本一の美人」と称された萬龍(まんりゅう)という芸妓がいた。 その名は「酒は正宗、芸者は萬龍」という流行歌が生まれるほど、広く知られていたという。 彼女は雑誌『文芸倶楽部』が主催した芸妓の人気投票「日本百美... -
教科書に載らない大奥のスキャンダル ~禁断の「智泉院事件」とは
慶長8年(1603)初代将軍・徳川家康から、慶応4年(1868)第15代将軍・徳川慶喜まで続いた徳川幕府。 この約260年の間に、さまざまな歴史的な出来事がありましたが、実は教科書には載らない「スキャンダル」も数々あったのです... -
【平安の京No.1の絶世美女】 常盤御前 ~華やかな宮廷生活から悲劇の末路へ
昔から、絶世の美女のことを「傾国の美女」などと称します。 傾国の美女とは、一国の元首が、政治を疎かにして国家崩壊をもたらすほど惚れ込む美女のことです。 有名なところでは、古代中国四大美女といわれる楊貴妃・貂蝉・西施・王昭君が挙げられ... -
楊貴妃の悲劇的な最後【傾国の世界三大美女】
楊貴妃(719年~756年)は、中国の唐王朝第九代皇帝・玄宗の妃です。 絶世の美女として知られ、その美貌は、エジプト女王・クレオパトラ、スパルタ王妃・ヘレネと共に「世界三大美女」として称えられています。 一方で、その美し... -
【若く美しいカリスマ皇帝が豹変】 狂気に取り憑かれたカリギュラの最期
若く美しい皇帝が期待を背負いながら、ある瞬間を境に独裁者へと豹変したなら、民衆にとってはまさに悪夢の治世と言えるでしょう。 このような出来事が、ローマ帝国の歴史に実際に存在しました。 その主人公となったのが、第3代ローマ皇帝とし... -
【関ヶ原の戦い】 名将・大谷吉継の首はどこにいったのか? 「唯一自害した大名」
1600年の「関ヶ原の戦い」は、天下分け目の戦いとして知られている。 一般的には徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍の戦いとされる。(※正確には三成は西軍の総大将ではないが、中心人物であったのは確かである) この戦い...
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