西洋史

【気性が激しすぎた天才画家】 カラヴァッジオの生涯 「指名手配されながら名作を描く」

カラヴァッジオの生涯

画像:カラヴァッジョの肖像画(1621年頃、オッタヴィオ・レオーニ画) public domain

カラヴァッジョは、光と闇の大胆で鮮烈なコントラストと、写実的で精緻な描写を持つ独自の絵画技術で知られています。彼の作品は高い精神性を持ち、バロック絵画の形成に多大な影響を与えました。

盛期ルネサンスも過ぎた16世紀後半にイタリアで生まれた彼は、天恵ともいえる絵画の才能に溢れ、多くの有力なパトロンに愛されました。

しかし一方で、彼の激しい気性は傷害や恐喝といった粗暴な行為を繰り返し、ついには殺人という罪を犯すことになります。

光と闇が激しく織りなす彼の作品同様に、カラヴァッジョの生涯も波乱に満ちたものでした。

才能の萌芽

カラヴァッジオの生涯

画像:『果物籠を持つ少年』(1593年-1594年) public domain

1571年、ミラノに生まれたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは、13歳で画家の徒弟となるため家を離れます。彼はミラノで修行し、型にはまってしまったローマ風のマニエリスム様式ではなく、北方の自然主義的な絵画に関心を寄せます。

しかし1592年、21歳の時に喧嘩で役人を負傷させたカラヴァッジョは、ほぼ無一文でローマに逃亡します。

ローマで工房の助手として働き始め、徐々にその才能を表します。

この頃の代表作『果物籠を持つ少年』に見られる驚くほど精緻で写実的な描写力は、彼が天才と呼ばれるにふさわしいことを示しています。

風俗画で枢機卿の心を掴む

カラヴァッジオの生涯

画像:『トランプ詐欺師』(1594年頃) public domain

1594年、病により工房を解雇されたカラヴァッジョは独立を決意し、『トランプ詐欺師』を制作します。

この作品は、ローマ随一の美術鑑定家である枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテの心を捉え、彼の庇護を得ることに成功しました。

当時のイタリアでは主にキリスト教が絵画の主題であったところに、北方の風俗画の流れを持ち込んだカラヴァッジョの革新性は、多くの美術愛好家達に驚きをもって歓迎されたのです。

ローマでの大成功

画像:『キリストの埋葬』(1602年-1603年) public domain

1606年までに、カラヴァッジョはローマで最も名の知れた画家となります。

強烈な光と影のコントラストの中、劇的に物体や人物のフォルムを浮かび上がらせる彼の画法は、時に技法上の非難を受けつつも、追随する者を多く生み出しました。

カラヴァッジョの元には有力者達からの制作依頼が次々に舞い込むようになります。精密な静物だけでなく、真に迫る写実性を宿した彼の描く人物像は、聖人すらも生々しく、彼らの苦しみや内面の葛藤さえも見事に描き出していたのです。

凶暴なほどに激しい気性

画像:『ロレートの聖母』(1604年-1606年頃) public domain

しかし、カラヴァッジョの素行の悪さは次第に悪化しました。

1603年には敵対していた画家ジョヴァンニ・バリオーネに名誉棄損で訴えられ、投獄されます。
この時は過ちを繰り返さない旨の誓約書を書かされて釈放されますが「少しでも違反をすれば奴隷として船に送られる」という厳しい条件のついたものでした。

1604年には食堂の給仕の態度に腹を立て、熱いアーティチョークを盛り付けた皿を給仕の顔を目がけて投げつけた上、剣を使って脅迫した罪で訴えられます。しかも同じ年の年末には、警官を侮辱して再び逮捕されました。

翌1605年になってもカラヴァッジョが落ち着くことはなく、とある婦人と彼女の娘を脅迫して裁判沙汰になったかと思うと、家の家賃を支払わないばかりか家主の家に石を投げつけて告訴されます。

そして1606年5月28日、ラヌッチョ・トマッソーニという男とその仲間たちと口論の末に激しい乱闘騒ぎを起こしました。

しかもこの時、カラヴァッジョの振るった暴力が原因でラヌッチョは命を落としてしまったのです。原因は賭け事だとも女性を巡るトラブルだとも言われていますが、未だに真相は不明です。

ローマからの逃亡

画像:『ロザリオの聖母』(1607年) public domain

パトロンに有力者が多かったこともあり、それまでは素行の悪さも何とか見逃されてきたカラヴァッジョでしたが、人を殺めたとなっては事情が異なります。

遂には懸賞金をかけられ、殺人犯として指名手配されたのです。

追われる身となったカラヴァッジョはローマから逃亡、1606年10月までにはローマ教皇の司法権が及ばないナポリまで移動し、そこで有力貴族コロンナ家の元に身を寄せます。

そこでもカラヴァッジョの筆の勢いは衰えることなく、一年足らずの間に『ロザリオの聖母』『慈悲の七つの行い』『キリストの鞭打ち』といった大作を制作し、ローマに次いでナポリでも画家として成功を収めるのです。

殺人犯から騎士に

画像:『アロフ・ド・ヴィニャクールと小姓の肖像』(1607年-1608年) public domain

こうして一旦は落ち着きを取り戻したかのようなカラヴァッジョでしたが、教皇の恩赦も得られないままローマにも戻れず、しばらくするとナポリを出てマルタ島へと移りました。

そこでカラヴァッジョはマルタ騎士団の総長アロフ・ド・ウィニャクールのために肖像画を描き、その返礼として高い評価や金品といった報酬だけではなく、名誉ある騎士の称号まで与えられます。

彼はマルタ島では、他にも多くの肖像画や祭壇画を制作しました。

しかしここでも生来の放逸さから逃れる事はできませんでした。ある時、彼は自分よりも身分の高い騎士と喧嘩沙汰を起こして相手に重傷を負わせてしまいます。そしてそのかどで再び投獄されるのです。

脱獄から再び逃亡へ

画像:『ラザロの復活』(1609年頃) public domain

こうしたカラヴァッジョの所業に対する騎士団側の嘆き怒りは相当なものでした。

しかし彼は反省して罪を償うどころか、闇夜に紛れて脱獄してしまったのです。そこで騎士団はカラヴァッジョから一切の名誉を剝奪し、除名処分を下したのです。これはカラヴァッジョがマルタ島で騎士になってから、わずか半年後の事でした。

マルタ島から脱したカラヴァッジョは追跡を避けて知人を頼りに、シチリア島のシラクサ、メッシーナ、パレルモなどを転々としました。

しかし、行く先々でもカラヴァッジョの画家としての名声は高く、多額の報酬を伴う依頼を得て作品を制作し続けたのです。

こうして約9ヶ月の間カラヴァッジョはシチリアに滞在しますが、その間も常に敵対する相手から付け狙われていたため、再び庇護を求めてコロンナ家のいるナポリに戻りました。

襲撃、そして「ローマへの帰還の願い」空しく

画像:『ゴリアテの首を持つダビデ』(1609年-1610年) public domain

ナポリに戻ることで安全を手に入れたかのように思われたカラヴァッジョでしたが、1609年、何者かによって襲撃されました。

ローマでは「カラヴァッジョが殺されたらしい」という噂が広まりましたが、幸い命はとりとめていました。しかし彼の顔はひどく切り刻まれ、殆ど見分けがつかない程の重傷を負わされていました。

こんなカラヴァッジョのために、ローマでは彼の友人達や枢機卿フェルディナンド・ゴンザーガといった有力者が「カラヴァッジョの放免を得よう」と奔走します。この支援者の努力もあり、襲撃の翌年1610年夏、カラヴァッジョは恩赦が期待できると考え、ナポリを発って小さな船で北へと向かったのです。

しかし、ローマの北の港町ポルト・エルコレで上陸したカラヴァッジョを待ち受けていたのは、まさかの人違いによる逮捕でした。

結局カラヴァッジョは釈放されたものの、船は彼の荷物を積んだまま既に出航した後でした。

カラヴァッジョは怒り狂って船を追いかけようとしますが、旅の途中で熱病にかかり、それが元で38年の短くも激しい人生に幕を閉じたのです。

死してなお愛される天才

画像:カラヴァッジョの肖像がデザインされていた10万リラ紙幣 wiki c OneArmedMan

生前のカラヴァッジョの人気に反して、彼の死後その名声は急速に薄れていきました。

しかし20世紀に入ると美術史家によって彼は再び高く評価され、ルーベンス、レンブラント、フェルメールといった名だたる巨匠にカラヴァッジョの影響が認められるようになります。

そして1983年、イタリアでは当時の最高額の紙幣「10万リラ札」にカラヴァッジョの顔が採用されました。殺人を犯した人物の採用を非難する声もありましたが、時代背景を考慮した上で、彼が残した芸術と業績への評価が優先されたのです。

珠玉のごとき芸術家を数多く輩出したイタリアにあっても、カラヴァッジョほど波乱に富んだ逸話とともに素晴らしい作品を残し、そして後に至るまで人々に愛された画家はいないと言ってもよいでしょう。

参考文献:
デジタルで見る絵画 カラヴァッジョ
バロック美術の創始者 写実主義 傑作作品集
デジタル美術館シリーズ
ATP書房(著)
カラヴァッジョ画集 (世界の名画シリーズ)第8巻カラヴァッジョ
楽しく読む名作出版会(著)

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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