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紅茶の日本での歴史
紅茶は中国の雲南省からチベットにかけての山岳地帯で生まれた。
大航海時代にヨーロッパに渡って紅茶文化が花開き、のちにアメリカ独立戦争の遠因になった。
明治期に日本に伝わった頃、コーヒーは初めから嗜好品だったが、紅茶は輸出品としてスタートした。
紅茶の日本でのスタートから現在までについて、追ってみた。
紅茶は輸出品としてスタートする
紅茶を初めて飲んだ日本人は、ロシアに漂着した伊勢の商人の大黒屋光太夫である。
1791年(寛政3)11月1日にエカテリーナ2世の茶会に招かれたときのことで、この日が「紅茶の日」に制定されている。
日本に伝えられたのは、アメリカ総領事ハリスが紅茶を幕府に献上した1856年(安政3)である。
日米修好通商条約により1859年(安政6)に横浜が開港すると、日本はアメリカに緑茶を輸出した。
しかし緑茶は粗悪品が横行し、また当時アメリカでは紅茶の人気が高まっていたので、日本でも紅茶を製造して輸出することになった。
日本紅茶の祖・多田元吉
1875年(明治8)、勧業寮(現 農林水産省)の多田元吉は、清とインドで紅茶の製造技術を習得する。
帰国後、持ち帰ったインドの原木を栽培し、紅茶製造を始め、1878年(明治11)に「紅茶製法簒要」を著わし、全国各地で指導にあたった。
静岡市駿河区丸子は多田元吉の茶園があった場所で、多田元吉翁顕彰碑が建つ。
ここで品種改良を重ねられた「べにふうき」を緑茶として加工すると、抗アレルギー効果が期待される「メチル化カテキン」を非常に多く含有することが、産官学の研究機関「茶コンソーシアム」の研究により明らかになっている。※参考URL → https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/press/laboratory/vegetea/043605.html
日本初の喫茶店のメニューになる
1887年(明治20)に紅茶がイギリスから初めて輸入された。
1888年(明治21)、日本生まれの中国人の鄭 永慶が、東京下谷区西黒門町(現 台東区上野)に日本初の本格的な珈琲店「可否(カヒー)茶館」を開店させた。
彼は留学先のアメリカでの経験をもとに、鹿鳴館のような上流階級のためのサロンではなく、庶民が文化交流する場を作りたかったようだ。
もりそばとかけそばが8厘の時代に、紅茶は牛乳入りコーヒーと同じ2銭だった。時期尚早だったため、4年であえなく閉店した。
紅茶、やっと庶民にも広まる
鄭 永慶の志もむなしく、庶民が飲み慣れた緑茶と比べて高価で贅沢な紅茶は、鹿鳴館のような場所で飲まれるだけだった。
1906年(明治39)、明治屋がロンドンからリプトン紅茶を輸入する。日本初の銘柄紅茶の輸入である。ハイカラ好きに好まれたが、まだ高級舶来品だった。
1927年(昭和2)に三井(現三井農林)が、日本初の国産ブランド紅茶「三井紅茶」(現日東紅茶)を発売する。
三井は茶園と工場を保有し、大正時代から紅茶の製造に取り組んでいた。1938年(昭和13)には東京日比谷に「日東コーナーハウス」を開店して、紅茶のPRをした。
1930年(昭和5)福永兵蔵はイギリスのウォーカー商会のすすめで、京都の三条京極に日本初のティーハウス「リプトン本社直轄喫茶部」(現サー・トーマス・リプトン ティーハウス 三条本店)を開店する。はじめは男子学生ばかりだったが、じょじょに女性が来店し、客層が広がっていった。
昭和に入り紅茶は企業の努力で庶民に近づいたが、その後の太平洋戦争中は紅茶が手に入らず、また遠のいてしまった。
濃縮紅茶とティーバッグ登場で紅茶が大衆化する
終戦後、日東紅茶は直営の紅茶包装工場を次々に開設し、紅茶製造を再開する。
1951年(昭和26)頃から国内紅茶の需要が少しずつ増え始め、リプトン紅茶の輸入の第1船が神戸に入港する。
1958年(昭和33)、ジーエスフードが喫茶店・洋酒喫茶店・旅館・ホテル向けに、業務用濃縮紅茶「GSブラックティー(加糖)」の販売を始める。紅茶の需要増に合わせて販売量も増加した。
1961年(昭和36)神戸紅茶が日本で初めて、完全自動包装機コンスタンタを導入する。
同じ年にリプトンと日東紅茶も、西ドイツからコンスタンタを輸入した。これにより国内包装による現在の形のティーバッグが出回り、紅茶の大衆化が始まる。
ちょっとリッチな飲み方が始まる
1965年(昭和40)「ティーハウス リプトン」が日本で初めて、茶葉を牛乳で煮出す「ロイヤルミルクティ」を提供した。
イギリス風の名前だが和製英語で、本場イギリスのミルクティーは大きなカップにティーバッグで濃い紅茶を作り、牛乳をたっぷりと注ぐらしい。
大阪堂島に1952年(昭和27)、クラシック音楽を聴かせる喫茶店として開店した「ムジカ喫茶室」が、1969年(昭和44)に紅茶専門店「ティーハウスムジカ」として改装オープンした。ポットに紅茶を入れてカップとともに提供する「ポットサービス」を日本で初めて取り入れた店といわれる。
1971年(昭和46)紅茶の輸入が自由化され、安く気軽に紅茶を飲むことができるようになった。
ハーブティーも広まる
1969年(昭和44)、ドイツのティーカネン社のブランドのポンパドールが「フラワーティ」として紹介され、日本にハーブティーが入ってきた。
当初からずっと「カモミールフラワー」が売れ筋である。
ハーブティーの人気が高まったのは、1980年代の「ポプリブーム」からである。
ドライハーブをポットに入れて熱湯を注いで、お茶として楽しむ人が増えた。一番人気は精油やポプリでお馴染みのラベンダーティーである。
紅茶は健康面でも期待
紅茶は現在、紅茶ポリフェノール(テアフラビン)の抗インフルエンザ活性が注目され、インフルエンザ流行時にはティーバッグの売り上げが伸びている。
※参考URL → https://www.ssnp.co.jp/news/beverage/2018/12/2018-1206-1522-14.html
[「紅茶の抗インフルエンザ活性に注目集まる “テアフラビン”で感染拡大を阻止」食品産業新聞社ニュースWEB]
台湾発祥のタピオカミルクティー、チーズティーが若い女性に大人気。フルーツと紅茶を組み合わせたフルーツインティーの人気も高まりつつある。
フルーツインティーなどのアレンジに、濃縮紅茶「GSブラックティー」を用いると簡単でおいしいと、SNS発信でブームが起きている。
また健康志向の高まりからカフェインレス紅茶や、ノンカフェインのルイボスティーも人気が高い。
紅茶は嗜好品としてのスタート時に苦労したが、今後は健康のアシスト役として大きな期待を担っている。
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