給食とは、特定多数人のために専門の施設を用いて組織的、継続的に提供される食事のことである。
「給食」といえば、学校給食のことを指す場合が多く、日本人であればほぼ全員が食べてきたはずである。
主に小・中学校で提供されている給食であるが、いつどこから始まったのであろうか?
学校給食の始まり
学校で初めて給食が提供されたのは明治22年(1889年)である。
山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の私立忠愛小学校で初めて提供され、弁当を持ってこれない子どもたちのために無料で提供されたのがルーツとされている。
メニューは「おにぎり、焼き魚、漬物」など質素なものであったという。
昭和初期になると給食を取り入れる学校が増加していったが、戦争が始まると一旦停止。
戦後になると、アメリカを中心とした外国からの食料支援によって給食が再開。
しかしアメリカから過剰な小麦や余った乳製品を押しつけられ、脱脂粉乳やパン食など日本人の食文化が大きく変化する要因となった。
給食の始まりは富岡製糸場
それでは学校ではなく、給食というシステム自体はいつどこで始まったのだろうか?
それは現在世界遺産となっている、群馬県富岡市の富岡製糸場である。
明治5年(1872年)に設立された日本初の本格的な機械製糸である富岡製糸場は、常時500人以上の女工が働いていた。
それだけの数の女工にそれぞれ弁当を作らせるのは非効率であるとして、開業時から給食のシステムが導入されたのである。
しかも朝、昼、夜の3食であった。
メニューは「ご飯や味噌汁、漬物や煮物、干物」など決して豪華なものではなかったが、当時としては最新の管理システムであり給料も大変良かった。
現在の価格で言えば一等工女で月50万円ほどだったという。
労働時間は1日約8時間、週休1日、夏と冬に10日間の休暇、寮費は製糸場負担で3度の給食付きだったのである。つまり給料がまるまる収入となった。
そのため富岡製糸場は明治の女性にとってあこがれの職場で旧士族の娘が多く、女工たちは「富岡乙女」と呼ばれていたのである。
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