神秘的な自然と美しい街並みが混在することから、ヨーロッパ有数の『観光の国』というイメージが強い「クロアチア共和国(以下クロアチア)」。
バルカン半島西部に位置する「クロアチア」は、スロベニアやハンガリー、セルビアといった多くの国々と国境を接しているため、長距離バスや鉄道路線を利用すれば、日帰りでの国境横断も可能という旅好きには堪らない立地である。
活発的な観光業が目立つ「クロアチア」には、幾度となく繰り返された紛争と独立の歴史を乗り越えた過去も存在する。
1991年、「クロアチア」がユーゴスラビア連邦人民共和国からの独立を果たして間もなく、クロアチア政府とセルビア系民族の対立を機に内戦が開始された。
約4年間の紛争の末、「クロアチア」の完全なる独立を果たす結果となるが、その間に失われた命は計り知れない。
「クロアチア」の最大の人気は『ドゥブロヴニク』の世界観
多彩な歴史と文化が融合する「クロアチア」が注目されるようになった切っ掛けとして、『アドリア海の真珠』とも呼ばれている小さな港町『ドゥブロヴニク』の存在が大きい。
旅行雑誌で特集される「クロアチア」の魅力においても、中世時代へタイムスリップしたかのような城壁で囲まれた『ドゥブロヴニク』の街並みが記事の大半を占めている。
1979年に世界文化遺産にも登録された『ドゥブロヴニク』の人気は、子供から大人までが憧れる映画の世界観そのものだと話題になるほど、絶大なものだ。
オレンジ色の可愛らしい屋根に白い大理石、紺碧色の海で形成された『ドゥブロヴニク』の街並みは、ジブリ映画の名作『魔女の宅急便』や『紅の豚』のモデルになった場所ともいわれている。
また、街の散策の途中で気軽に休めるカフェや雑貨店、大聖堂といった観光スポットが凝縮されている所や、城壁の上から見渡せる中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせる建造物の素晴らしさが、「クロアチア」国内で群を抜いているとの評判も高い。
クロアチア観光業の火付け役『ドゥブロヴニク』に隠された傷跡
『ドゥブロヴニク』の街で、美しい絶景を楽しむ旅を体感している間にも、「クロアチア」で起きた内戦の歴史を物語る傷跡を目にする瞬間は訪れる。
『ドゥブロヴニク』では、内戦の影響で破壊され、修復作業がされず放棄されたままの建物もいくつか見受けられる。
ユネスコや地元の人々からの支援を受け、街の大部分は修復されたといわれているが、それでもまだ、外壁に残された不発弾による穴や、上部が倒壊した状態の建物が見え隠れしている。
『ドゥブロヴニク』の街の入り口に設置されている砲撃の被害を受けた場所を示す街の地図は、紛争の残虐さを風化させないために、独立戦争の苦しみを次世代へ、そして世界の人々へ伝えていくことを決めた「クロアチア」の人々の想いを象徴しているかのようだ。
「クロアチア」発祥のネクタイに秘められた想いと強い意志
ヨーロッパの国々で『クラヴァット(Cravat)/クラヴァッタ(Cravate)』との名前で親しまれている『ネクタイ』は、「クロアチア」で誕生した。
「クロアチア」の大手ネクタイ専門店『Croata(クロアタ)』では、裁断から縫製までの工程全てを手作業で行っており、クロアチア航空機の客室乗務員の『スカーフ』も手掛けている。
「クロアチア」でネクタイが発明された背景にも、やはり戦争が関係していた。
1618年から1648年にかけて戦われた『ヨーロッパ30年戦争』の時代に、「クロアチア」の兵士が軍服の一部として首元に身につけていた『スカーフ』がネクタイの始りだ。
これは、「クロアチア」の女性たちが、戦場へ出向く男性の首に「スカーフ」を結び、無事に帰還することを祈る習慣があったためだ。
『クラヴァット』という名称もフランス語で『スカーフを身につけているクロアチア人』を意味する『クラヴァッタ(Cravate)』という言葉から生まれた。
男性への贈り物に『ネクタイ』が選ばれることが多いのも、『ネクタイ』に大切な相手を想う気持ちを込める「クロアチア」の習慣が継承されている証拠だ。
『ネクタイ』は、高いファッション性からも注目されており、2007年10月18日には「クロアチア」の海辺の町『プーラ』にある巨大な円形競技場にて、大規模な『ネクタイ』の祭典が行われた。
それ以降「クロアチア」では、毎年10月18日を『クラヴァットの日(ネクタイの日)』と制定し、街の観光地同様に『ネクタイ』の歴史や文化を通し、戦争を乗り越えた過去を世界中に発信している。
長期化した紛争のために観光業が遅れたと考える人々が多い「クロアチア」からは、美しい絶景だけが全てではない「クロアチア」の歴史を観光業に取り入れることが重要視されていることと、それこそが国の使命であるという強い意志を感じ取ることができる。
この記事へのコメントはありません。