第一次世界大戦では、多くの新兵器が投入された。
戦車、航空機、毒ガス、火炎放射器などの登場は、騎兵による勇猛果敢な突撃を過去の戦い方に変えた。しかし、第一次世界大戦を通して犠牲者の約7割が大砲によって死亡している。大砲こそナポレオン以前の時代から存在していたが、なぜこの大戦においてそこまでの犠牲者を生むことになったのか。
塹壕を蹂躙せよ!
第一次世界大戦で大砲が重視されたのは、塹壕戦が主な戦い方だったためである。
塹壕に潜む敵に突撃をしようにも、幾重にも置かれた障害物や鉄条網により進行は阻止され、機銃で掃射されてしまう。そうなると、残るは大砲で塹壕ごと攻撃するしかなくなった。とはいっても、砲撃はそれほど簡単なものではない。当時の大砲は精度も低く、発射速度にも限界がある。
ならば、大砲を並べて一斉に砲撃し、敵の障害物から塹壕、機関銃座にいたるまで何もかも破壊してから、歩兵を進めればいい。強引とも思える結論だが、当時は他に戦術などなかったのだ。
そのため、開戦直後のフランスでは一部でナポレオン時代の臼砲(弾の自重により放物線状に射線を描く大砲)を使用していたが、すぐに「速射砲」に切り替えることになった。
M1897 75mm野砲
※M1897 75mm野砲
第一次世界大戦において有名な野砲が、フランスのM1897 75mm野砲である。
速射砲とは前世代の砲よりも早く次弾が発射できる大砲全般を指す用語であり、このM1897も速射砲であった。野砲とは車輪などにより移動することが出来る大砲のことである。
前世代の野砲は、発射の反動により砲そのものが後退してしまい、着弾地点がずれてしまう。そこで元の位置に砲を戻す必要があったのだが、「駐退復座機」を搭載したM1897は驚くべき連射速度を実現させた。
駐退復座機は、大砲の砲身だけを後退させることで発射時の反動を軽減、さらに液体と空気圧により再び砲身を前進させることができるシステムである。この設計思想は現代の大砲にまで受け継がれている。
その性能は、前世代の野砲の連射速度が1分間に2発だったのに対し、1分間に15発にまで引き上げられた。この砲の誕生により、各国も駐退復座機を搭載した大砲の開発を行うこととなる。
QF 18ポンド砲
※QF 18ポンド砲
南アフリカにおける第二次ボーア戦争でイギリス軍の主力野砲であった2種の野砲は、フランスのM1897が登場したことにより旧式となってしまった。
そこでイギリス軍も、ドイツより購入した野砲をQF 15ポンド砲の名称で制式採用しつつ、旧式の15ポンド野戦砲に駐退復座機を盛り込んだ新型砲の開発に力を注いだ。その結果誕生したのがQF 18ポンド砲である。QFとは「Quick Fireing」、つまり「速射」を意味する。
さらに随時、小改良を加えてMk-1(マークワン)からMk-5(マークファイブ)まで発展させた。「Mk」とは英軍伝統の改良型を表す表記である。第一次世界大戦においては、イギリス陸軍だけではなく、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドといった英連邦各国軍に供与され、各軍の砲兵隊の主力として活躍している。
ディッケ・ベルタ
※ディッケ・ベルタ
第一次世界大戦においてドイツ軍が使用した榴弾(りゅうだん)砲である。
榴弾とは、爆発するとその破片が広範囲に飛び散る弾のことであり、人間の手で投げるものは手榴弾と呼ぶ。ドイツ軍にも駐退復座機を搭載した野砲はあったが、敵と同程度の火力では意味がない。そこでより破壊力のあるディッケ・ベルタ(大きいベルタ)が開発された。
ラインメタルと双璧をなすドイツの重工業企業「クルップ社」が設計、製造を行い当時の社長夫人であるベルタの名を冠した巨大砲は誕生した。
開戦直後の1914年にはすでに実践投入されており、有名なヴェルダンの戦いにおいてもその凄まじい破壊力を見せている。口径は42cmもあり、まさに重砲であった。さらにその基本設計は第二次世界大戦で登場したカール自走臼砲へと引き継がれることになる。
観測班
第一次世界大戦における砲撃に欠かせない技術があった。
「間接照準」である。
それまでの大砲は口径も小さく、射程も短かった。しかし、第一次世界大戦で使用された大型の大砲では肉眼では見えないほど遠距離に着弾するまでになる。ディッケ・ベルタでは射程は12kmを超え、障害物を飛び越えて砲撃することも可能となった。
オーストリア=ハンガリー帝国軍とイタリア王国軍がアルプスの山を越えて砲撃を行ったこともあり、削り取られた山肌はいまでも残っている。
そうなると、必要になるのが「観測班」である。最初は「観測射」を着弾予測地点に向けて1発打ち、それを観測班が命中判定を行って、必要があれば砲兵に修正を伝える。当時はすでに無線が実戦で使用されており、目標が目視できない距離や位置にあっても正確な砲撃を加えることができた。
場合によっては観測用の気球により、上空から観測することもあったという。
最後に
第一次世界大戦では、新兵器の登場に注目しがちだが、一方でこのように既存の兵器が進化する場でもあった。特に大砲は、野砲、臼砲、榴弾砲などと枝分かれして、使用する砲弾もバリエーションが増えたのである。
その結果、砲撃により敵の陣地に毒ガスを叩き込むという悲惨な技術にまで発展したのも事実だ。
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