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スポーツと日本人
スポーツというと、やはり野球、サッカー、バスケ、テニスなど球技をイメージする人が多いだろう。
日本の球技というと「蹴鞠」が挙げられるだろうが、そのほかの日本のスポーツといえば相撲や弓術、剣道や柔道といったように、どちらかというと「実戦的」なものが多い。
球技が海外から日本に持ち込まれたタイミングは、日本がそれまでの鎖国政策から開国・貿易体制に移行してからである。
それぞれのスポーツはどのような歴史を持ち、そしてどのように日本に普及していったのだろうか。
「野球」の伝来は意外と早かった?
今日でも野球はテレビ中継や球場での観戦など人気スポーツの代表格である。
野球の日本への伝来は意外にも早く、1872年とされている。開成学校(現在の東京大学の前身)の米国人教師であったホーレス・ウィルソンが、母国のボールとバットを持ち込み学生に野球を教えたのが始まりである。
当時は「野球」という呼び名ではなく「打球鬼ごっこ」や「玉遊び」などと呼ばれており、1905年には早稲田大学の野球部が初めてアメリカへの遠征も果たしている。
「サッカー」も戦前からの歴史あり!
サッカーもまた子どもから大人まで広い人気をもつスポーツだ。今日のサッカーのルールが制定されたのは19世紀頃のイギリスだとされている。
日本にサッカーが持ち込まれたのは1872から1873年という説と1866年という説がある。1872年説では神戸の外国人居留地で行われた試合が最初であるとされ、1866年説は横浜市でイギリス軍が行った試合が最初であるとされている。
当時は「フートボール」と呼ばれており、1890年代から徐々に全国の師範学校でサッカーの授業が行われるようになった。
1921年には大日本蹴球協会が創立されている。また、1929年にはFIFA(国際サッカー連盟)に加盟している。
その後、第二次世界大戦の影響もありオリンピックへの参加は1964年が初出場、日本サッカーリーグ(JSL)が開幕したのは1965年のことであった。
「テニス」は高貴なスポーツだった!?
テニスの原型は紀元前にまで遡るという。エジプトでは1つの球を打ち合う競技を宗教的な行為として行っていたという。
今日のような球技としてのテニスが定着したのは16世紀以降のフランスで、当時は「jeu de paume(ジュ・ド・ポーム)」と呼ばれ、貴族の間で楽しまれてきた。
18~19世紀にはヨーロッパ各地の貴族の間でテニスが嗜まれ、イギリスでは「ロイヤル・テニス」や「コート・テニス(宮廷のテニス)」といった呼び方がなされたという。
日本にテニスが正式に伝わったのは1878年といわれる。当時の日本は富国強兵という国是があり学校教育の中に「体育」として、様々なスポーツを取り入れるという試みが行われている最中だった。日本にテニスを伝えたのは米国人のリーランドという教師であったとされている。
学校教育ではコストの低いゴムマリを使った軟式テニスが行われたが、一般庶民が楽しむには高額なテニス用具を揃える必要があった。「貴族のスポーツ」というヨーロッパでの実情はあったものの、それだけではなく用具のコストからも「裕福な家庭の者だけが楽しめるスポーツ」という位置づけであった。
本場アメリカの「バスケ」への初出場は1891年!?
バスケットボールはアメリカが本場であることはよく知られているが、バスケットボールという競技が当時のアメリカで国際YMCA(キリスト教青年会)トレーニングスクールの教官であった「ジェームズ・ネイスミス」と呼ばれる人物によって考え出されたことを知る人は少ないかもしれない。
これは1891年頃の出来事であり日本には1908年に伝わったとされている。
YMCAの訓練校の卒業生である大森平蔵が、東京YMCAでバスケットボールを紹介したのがそのはじまりであるというのが定説である。
比較的普及は早かったとみられ、1924年には早稲田・立教・東京商科大学で全日本学生籠球連合を結成され全国で対抗試合が行われていたようだ。
日本のプロバスケットボールリーグであるbjリーグは2005年に発足した。
現在ではプロバスケットボールの試合はインターネットやテレビでも中継されることがあるが、日本でバスケットボールが他のスポーツのように注目を集めるには、設備などの関連から時間がかかったようだ。
「スキー」を日本に紹介した「プロペラ髭!?」
現代では趣味としても競技としても、スキーやスノーボードは比較的身近なスポーツだ。
オリンピック競技でもスキーそのものやスキーと射撃を組み合わせた「バイアスロン」という競技もある。このバイアスロンという競技は、スウェーデン・ノルウェーといった雪深い国々でスキーで移動をしながら銃を撃つという、狩猟のためや雪中戦を行う森林警備隊といった人々の技術として確立されたものだ。
さて、日本にスキーが導入された経緯としては、当時新潟の第13師団長であった「長岡外史」という人物が訪欧した際にスキーの存在を学んだことから、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人を招いて軍人への普及を促進したのがはじまりといわれる。
長岡外史は、左右に細長く伸びた口ひげが特徴であり、「プロペラ髭」という渾名もつけられていたという。
長岡は新潟県の陸上自衛隊駐屯地で「がいし君」としてキャラクター化されたこともある。
おわりに
スポーツは単なる競技や趣味の域を超え、今日では教育の一貫としてやストレス解消などの健康目的で行われることも多い。
このように多くの人がスポーツに触れ楽しむことができるようになったのは、やはり海外からこれらのスポーツを持ち込んで日本国内にそれを普及させようとした人々がいたからこそであろう。
どのスポーツにも好悪があるものだがそれらの歴史をひもといてみると、それぞれの競技にこれまでとは少し異なる印象を持つことができるかもしれない。
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