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『山に捨てられた美しき皇后』清朝最後の皇后・婉容が迎えたあまりに惨い結末とは
「最後の皇后」婉容(えんよう)の生い立ち 婉容(えんよう)は、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の正室として名を残した女性である。 彼女は1906年11月13日、満洲の名門・郭布羅(グオブロー)氏の家に生ま... -
「一日30時間ほしい」やなせたかしの妻・暢さん、創作を支えた過酷な日々 ※あんぱん
昭和28年(1953年)、34歳で三越を退社し、漫画家として独立したやなせたかし氏。 漫画だけでなくラジオやテレビなど多彩な分野で活躍し、経済的な余裕ができたことから、妻の暢さんは仕事をやめて専業主婦となっています。 「奥さんの... -
『中国史』女性囚人の護送が、なぜ下役人に大人気だったのか?
なぜ「地獄の任務」が取り合いになったのか? 寒風吹きすさぶ山あいの古道。雪に覆われたその細い道を、足に鎖をつけた女囚たちが、血のにじむ足跡を残しながら一歩一歩進んでいく。そのすぐ脇を、腰に膨れた銭袋をぶら下げた官差が、頬を紅潮させ... -
2200年前の兵馬俑、発見当時は色鮮やかだった!掘り当てた農民・楊志発
楊志発とは? 楊志発(ヤン・ジーファ)という人物をご存じだろうか その名は中国国内では広く知られており、中国の百科事典サイト「百度百科」にも独立した項目があるほどである。 楊志発は、1974年に世界を驚かせた兵馬俑(へ... -
『古代中国』なぜ妃たちの多くは子を産めなかったのか?あまりにも厳しい現実とは
華やかな後宮の裏側 ― 妃たちの実態とは 絢爛たる宮殿、絹に包まれた美しい衣装、音楽や詩が絶えない庭園――そんな後宮のイメージとは裏腹に、そこは「選ばれた女たち」が身動きもできず閉じ込められた空間でもあった。 古代中国の皇帝... -
【べらぼう】恋川春町(演 岡山天音)の悲劇的な最期とは ~『鸚鵡返文武二道』が絶版
下々の者は何の楽しみも戯れも許されず、分相応に死ぬまで働け……そんな具合に幕を開けた寛政の改革。 野暮な「ふんどし野郎」こと松平定信(演 井上祐貴)が、厳しい思想統制・出版規制を行う中、蔦重(演 横浜流星)たちは書を以て抗いました。 ... -
『古代中国』妃が入浴する際、付き添う宦官はなぜ怯えていたのか?
古代中国の宮廷で、宦官(かんがん)は特異な存在であった。 彼らは去勢を施されることで後宮における「安全な存在」とされ、妃や側室の身の回りの世話を任されていた。 『後漢書』宦者列伝には以下の記述がある。 「寺人掌王宮之內... -
やなせたかし氏と小松暢さんのなれそめ「一目ぼれだった、突然のキス」※あんぱん
朝ドラ「あんぱん」で、幼なじみとして描かれている“たかし”と“のぶ”。 しかし、モデルとなったやなせたかし氏と小松暢さんが実際に出会ったのは、高知新聞社の編集部でした。 真正面の席に座る暢さんに、思わず一目ぼれしてしまったやなせ... -
【宮女たちに殺されかけた明の皇帝】13〜14歳の宮女から「ある物」を採取して怒りを買う
皇帝とは 東アジアにおいて「皇帝」という称号を初めて用いたのは、秦の初代皇帝である始皇帝である。 紀元前221年、彼が中国を統一した際、自ら「皇帝」という称号を採用した。 「皇」という字は、最も尊い存在や神聖な存在を意... -
中国の妃たちが恐れた冷宮送り 〜【罪を犯した后妃が生涯幽閉された地獄のような場所】
紫禁城 現在の北京にある紫禁城(しきんじょう)は、壮大な歴史的建造物である。 ここはかつての皇帝たちが暮らし、政治を取り行った場所でもある。 北京と藩陽の明・清王朝皇宮の一つとして、ユネスコの世界遺産となっている。 「紫禁城... -
やなせたかし氏に「ずるくなれ」と説いた母・柳瀬登喜子 〜史実でも気高く美しかった
子どもたちの「お母さん」の声に呼応するように、くるくると回りながら遠ざかる白いパラソル。 朝ドラ『あんぱん』で描かれた幼い兄弟と母親の別れは、やなせたかし氏の実体験を忠実に再現したシーンです。 松嶋菜々子さん演じる柳井登美子は、... -
わずか15歳で処刑された「東国一の美女」駒姫の最期と父・最上義光の苦悩
「東国一の美少女」と称えられた駒姫(こまひめ)は、安土桃山時代に生きた女性です。 出羽国(現在の山形県)に生まれ、その美しさと気品は都にまで伝わったとされています。 やがて、天下人・豊臣秀吉の甥で、関白を務めていた豊臣秀次(ひで... -
『ラストエンペラー溥儀』なぜ異例の火葬に?清朝最後の皇帝の終焉とは
ラストエンペラー 清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)。 その本名よりも、「ラストエンペラー」という呼び名のほうが、世界では広く知られているだろう。 幼くして皇位に就きながら、時代の激流に翻弄され、最後... -
中国史上「最も惨めな辱め」を受けた絶世の美人皇后
絶世の美女 6世紀の中国北朝。隋が約300年ぶりに中華を再統一するおよそ40年ほど前、戦乱の中から興った短命の王朝・北斉に、一人の皇后がいた。 彼女の名は、李祖娥(り そが)。 趙郡平棘県(現在の河北省趙県)に... -
『中国3大悪女』呂后の死後、なぜわずか3ヶ月で呂一族は皆殺しにされたのか?
呂后が死んだ日から始まった「権力争いのカウントダウン」 紀元前206年、秦が滅亡し、中国大陸は再び群雄割拠の時代へと突入した。 項羽と劉邦による楚漢戦争が勃発し、数年にわたる激しい戦いの末、最終的に勝利を収めたのは劉邦だった... -
『古代中国』なぜ宮女たちの多くは子を産めなくなったのか? 〜あまりにも切ない真相
時代で変わる宮女の制度 古代中国における「宮女」は、時代とともに制度も役割も大きく変化した存在である。 表向きは皇帝や妃に仕える「後宮の侍女」として扱われていたが、その実態は、政治・軍事・経済の背景と深く結びついていた。 ... -
『死刑より過酷?』清朝の囚人たちが最も恐れた流刑地「寧古塔」とは
清朝最大の流刑地「寧古塔」とは 寧古塔(ねいことう/ニングタ)とは、清朝時代における代表的な流刑地の一つであり、当時の中国で「この世の地獄」とまで恐れられた土地である。 その名前から、荘厳な塔や建造物を想像する者もいるかもし... -
『古代中国』夫婦の寝室に侍女がいた理由とは?~ただの世話係じゃなかった
夫婦の寝室に侍女 奇妙な風習の理由 現代の感覚では理解しがたいが、古代の中国において、夫婦の寝室に侍女が付き添うことは珍しいことではなかった。 特に富裕層や貴族の家庭では、家族と召使いの関係は単なる雇用関係ではなく、主従関係... -
【中国で処刑された伝説の美人スパイ】川島芳子とは ~東洋のマタ・ハリ
20世紀初頭、激動する東アジアの舞台に現れ、その美貌と謀略で人々を魅了し恐れさせた一人の女性がいました。 彼女の名は川島芳子(かわしま よしこ)。 中国と日本の間で複雑な役割を果たし、最終的にその人生を処刑台の上で終えま... -
やなせたかし氏と小松暢さんのおかしな同棲生活 ~「お化けボロアパート」※あんぱん
1947年(昭和22年)6月、高知から上京したやなせたかし氏は、恋人の小松暢さんと同棲生活をはじめました。 住まいは知人宅の子ども部屋で、3歳の男の子と一緒の生活。 二人だけの時間を求めて貯金を続け、ようやく引っ越した先は、住め... -
【花魁から夜鷹まで】 春を売った女性たちの値段はいくらだったのか?
幕府公認の吉原遊郭は、格式高く洗練された美女が多いことで有名で、最盛期には6000人を超える遊女がいたと言います。 そんな吉原でトップに君臨する花魁は、江戸時代の人々にとってアイドルのような存在でした。 吉原の高級遊女・花魁と遊... -
やなせたかしが語った、手塚治虫の「圧倒的天才っぷり」
長編アニメ『千夜一夜物語』の制作現場で、初めて手塚治虫氏と机を並べ、「天才的な仕事ぶりに驚愕した」というやなせたかし氏。 自伝『人生なんて夢だけど』では、手塚氏と自身について、「神様と毛虫、月とスッポン」と書いています。 一緒に... -
【秦の始皇帝の娘】発掘された墓が物語る「恐ろしすぎる事実」とは?
秦の始皇帝 人気漫画「キングダム」でもお馴染みの秦の始皇帝(嬴政)は、古代中国史において最も有名な人物といっても過言ではないだろう。 始皇帝は秦国を強大な国家に変革し、中国を初めて統一した偉大な政治家として後世にその名を残し... -
【69歳でアンパンマン大ヒット】やなせたかしが語った成功の秘訣「運・鈍・根」とは?
国民的キャラクター「アンパンマン」を生み出した漫画家・やなせたかし氏。 晩年に差し掛かる頃、「アンパンマン」の大ヒットで一躍有名人になったやなせ氏ですが、遅咲きの成功をつかんだ背景には、「うどんこ」という独自の人生哲学がありました。 ... -
【中国最後の宦官が告白】皇后の「手を使わない入浴」を世話した屈辱の日々
20世紀初頭、中国は激動の時代を迎えていた。 辛亥革命によって清朝は滅び、1912年には中華民国が誕生する。 しかし、北京の紫禁城だけは別世界だった。 優待条件によって皇室の生活は維持され、宮殿の奥では依然として、旧時... -
古代中国の女性にとって最も屈辱的だった「恥ずかしい」刑罰とは
古代中国の女性たちは、現代の私たちが想像するよりもはるかに厳しい社会的制約の中で生きていた。 特に漢〜三国時代頃から儒教の影響が色濃くなり、徐々に女性への束縛が厳しくなっていった。 男性中心の封建社会では、女性の役割は家族の名誉... -
『古代中国』皇帝が死んだ後、後宮の妃たちはどうなった?悲しき8つの運命
「佳麗三千(3千人の美女がいる)」と称された古代中国の後宮。 華やかな衣装、贅を尽くした宮殿、そして皇帝の寵愛を受けた妃たちの姿は、しばしば絢爛なイメージとともに語られてきた。 だが皇帝の死後、後宮の女性たちの運命は大き... -
やなせたかし氏の妻・小松暢は高知新聞社の「伝説の婦人記者」だった
闇市で安酒を飲んでいた東海林(演・津田健次郎)との出会いをきっかけに、新聞社に入社したのぶ(演・今田美桜)。 史実でも、のぶのモデル・小松暢さんは、高知新聞社で戦後初の女性記者として活躍しています。 美容、手芸といった女性ならで... -
喜多川歌麿の妻は何人いた?“きよ(藤間爽子)”ら三人の女たちを紹介!【大河べらぼう】
きよ とある場所で、喜多川歌麿(染谷将太)と出会い、妻となる女性。 歌麿の画風にも、大きな影響を与える存在となる。 やがて、激動の時代の中で、二人の運命も変化していく。 ※NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」公式サイト... -
「日本最古の遊女とは?」古代から江戸までの遊女の役割と歴史を辿る
遊女(ゆうじょ)とは、娼婦や売春婦を指す古い呼称である。 とりわけ江戸時代には、幕府により公認された遊廓(ゆうかく)と呼ばれる特定の区域で働く女性たちをそう呼んだ。 では、遊女は日本においていつ頃から存在し、時代とともに...
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