ホラースポット

石北峠の通称「バケトン」について調べてみた

「北海道のホラースポット」といえばどこを思い浮かべるだろう。

広大で、いろんな場所が浮かぶかもしれない。通称「Jトンネル」と言われるトンネルを真っ先に思い浮かべた方も多いのではないだろうか? 今回は、地元では有名なスポットをご案内しよう。

石北峠のバケトン
出典 wiki

石北峠という峠がある。旭川市から北見市をつなぐ国道39号線のちょうど真ん中あたりに位置し、シカやキツネなどなら昼間でも見ることができる峠だ。大雪山国立公園内にもあることから、少しなかに入ってしまえばクマとご対面してしまう場所でもある。

標高は1,050mであるが、植生環境から見れば3,000m級の環境となっており走行条件の厳しい峠となっている。峠の頂上部から上川側延長19.2kmは雨量が100mmで通行規制(交通規制)される区間となっており、さらに峠の頂上部から北見側にかけての延長9.9kmと上川側(層雲峡付近)の延長6.9kmは危険が予測される場合に事前に通行規制が行える特殊通行規制区間となっている。

ちなみに、本州に生息するツキノワグマと違い、北海道のヒグマは圧倒的に大きい。

筆者はツキノワグマを初めて見たとき「ヒグマの仔?」とつぶやいたことがあるくらいだ。グリズリーよりは小さいがやはり大きい。北海道で出会いたくない動物№1に君臨するだろう。

件のトンネルはそんな峠の頂上にあった。今ではすぐ横に新トンネルが開通しているが、近寄りたくないオーラを放っている。主要幹線道路で、大型トラックやトレーラーもたくさん通るのに、そのトンネルは小さく、トレーラーを入れたら対向車は入れないというほどの小ささだった。今では片側1車線の大きなトンネルが活躍している。

このトンネルがどのようにして怖いのかを語る前に北海道開拓史を少し話さねばならない。

 

北海道開拓使と屯田兵

屯田兵」という言葉をご存じだろうか。北海道を開拓するために日本各地から集まってきた入植者たちである。

「兵」といいつつも、実は農家の二男坊や三男坊などの、「土地を継げない」者たちである。東北地方はもちろん、九州からも来たというのだから驚きだ。「血も凍る寒さだよ」と親に諭されても、「ここにいれば家族みな飢えるだけだ、なら入植し、開拓して土地を得た方がいい」と答え、海を渡ってきたのである。

屯田兵は家族を連れて、入地前にあらかじめ用意された家「兵屋」と、未開拓の土地とを割り当てられた。兵屋は一戸建てで村ごとに定まった規格で作られた。板壁の柾屋根(薄く割った板で葺いた屋根)の木造建築で、広さは畳敷きの部屋が2部屋、炉を据えた板の間、土間、便所からなり、流し前は板の間あるいは土間におかれた。けして贅沢な間取りではないが、当時の一般庶民の住宅よりは良かったというから驚きである。

もっとも、高温多湿の気候に向いた高床式の日本建築ゆえ、冬季には寒さで非常な苦痛を強いられた。さらに、1901年(明治34年)頃の深川村(現在の深川市)の兵屋では、7, 8月に、室内で、50~60匹のハマダラカ(マラリア原虫を媒介する蚊)を 容易に捕獲できた。つまり、夜間、多数のハマダラカが侵入するような大変不衛生な兵屋であった。

兵村は形式においては一般の村と並ぶものではないが、集団で入って一つの規律に服したので、実際には村の中の独立した村として機能した。兵村には、週番所(1886年(明治18年)に中隊本部と改称)、練兵場、射的場が付属した。兵村は他に広大な共有地も持っていた。見渡す限りの原生林だ。土地だけはあっただろう。

屯田兵の生活規則は厳しかったという記録がある。起床と就業の時間が定められ、村を遠く離れる際には上官への申告を要した。今まで農家だったのに、いきなり軍事訓練を家族も伴って受けるのだ。慣れぬ環境でそのようなことでは戸惑うことも多かっただろう。それでも開拓した彼らに心から感謝と尊敬の意を表したい。軍事訓練と農事のほかに、道路や水路などの開発工事、街路や特定建物の警備、災害救援に携わった。また、国内外の様々な作物を育てる試験農場の役目も兼ねた。平時は徒歩憲兵に編制されるものと規定されていた(屯田兵例則)。昼間は兵隊としての訓練を受け、それ以外の時間を開拓に使っていた。

もちろん、見たこともない巨大なクマも出た。「クマと遭遇したら死んだフリしろ」というのはこのころの北海道で起こった事件での噂であるので、実際にやってはいけない。
そうやって屯田兵として広大な北海道を開拓していくのとは別に、開拓していた者たちがいた。「送られたら死刑も同じ」といわれた現在の網走監獄に収監されていた者たちである。今では博物館として残っている。

オホーツク海側という寒い地域なのに、防寒設備がない。ちなみに、日本において過去に脱獄を最も多く行った事で知られた、いわゆる脱獄魔の西川寅吉(五寸釘寅吉)もここに収監されていたことがある。ここでも彼は脱獄を目論んだ。
なぜそのような場所に刑務所を作ったかというと、ロシアから肥沃な大地である北海道を守るためでもある。

広大で肥沃な大地北海道、ロシアからの北の守りを進めるうえでも北海道開拓は重要な懸案事項であった。北海道に集治監(刑務所)を設置し、廉価な労働力として囚人を使役させ、北海道の防衛と開拓が進み、人口希薄な北海道に彼らが刑を終えたのち住み着いてくれたら一挙両得であるという苦役本分論のもとに道内各所に刑務所が作られたのである。

不凍港を求め南下政策をとるロシアの脅威から、日本を守るという軍事上の理由から北海道の開拓は大至急行わなければならず、そのためにはまず、人を運び物を運ぶための道路を作らなければならなかった。しかし、国の財政にそんな余裕はない。明治に変わり、天皇制に代わったばかりで国にそんなお金はなかったのだ。そこで考え出されたのが、増える一方の囚人を労働力として使うことだった。開拓のために道を作るといってもこの原始林では民間に頼めばとんでもない賃金となるだろう、だが囚人を使えば費用は半分以下ですむし、悪人なのだから作業で死んでも悲しむ者もない、囚人の数が減れば監獄費の節約にもなる、まさに一挙両得であり今後も困難な作業は、囚人を使うべきだ。

というわけで開拓のために北海道各地に監獄を作る計画はどんどん進められていったのだった。最初「網走囚徒外役所」と呼ばれ中央道路開削工事のため明治23年1200人もの囚人が送り込まれた。道なき道を進む囚人の旅は険しい地形と熊との戦いだったといわれている。

たしかに、地図もない原生林を切り開くのは途方もないことだっただろう。しかも、「早急に道を作れ」といわれているのだ。道央とオホーツク沿岸を結ぶ道路の開削工事が、千人を超える囚人により昼夜兼行で強行された。逃亡を防ぐため囚人は、「連鎖」といって二人ずつ鉄の鎖でつながれながらの重労働だったといわれている。工事現場が山中深く移動するにつれ食料運搬がうまく行かなくなり栄養失調やケガなどで死亡者が続出困難を極める難工という記録がある。 あまりの苦痛に耐え切れず逃亡を企てて看守に抵抗しようとした者は、その場であっさり斬り殺された。

明治のころ、女性の人権すら認められていないのに、囚人の人権など叫ばれようもない。看守たちには「どうせ囚人だから」という考えがあったという。たとえ運よく逃げられたとしても食料もなにもない山の中のこと、結局、戻って来るしかなかった。
死んだ囚人たちは、現場に埋葬され目印に鎖を墓標のそばに置いたと言い伝えられ、「鎖塚」と呼ぶようになった。

看守たちがひどいように思えるが、看守も人間である。冬は-20℃ほどまで冷える中、24時間体制で囚人たちを管理し続けるのである。当時の食糧事情により、囚人よりはややマシ程度で刑者に恨まれ、傷を負わされた者も多い。絶えず緊張を強いられ、過酷で、時として命がけの、それでいながら、報われることの少ない、地味な仕事であった。
常紋トンネルも近くにあり、峠全体がホラースポットなのである。

石北峠のバケトン

そうやってできた石北峠。このような話がまことしやかに語られる。

ある昼間、カップルがドライブデートをしていた。彼氏の運転で、石北峠に入ったところで異変は起こった。足元を、誰かが触っている。最初、その彼氏は彼女のいたずらだと思った。しかし彼女は助手席でシートベルトをしている。しかも、一人分の手ではない。数人が足元、ふくらはぎなどをさわさわと触っている。助手席にいた彼女にはそれはできない。がんばって走って街に入るとそれはなくなった。

そのような話がごろごろしていており、「霊感がある」というタイプの人は昼夜問わずそのような体験をする。
足元を触られなくとも、いきなりゾクッと悪寒がしたりという体験談はあとを絶たない。

主要道路で長いトレーラーも走るというのに、街灯はやけに少ない印象を受ける。この峠をよく走るトラックなどのドライバーは

走らなくたっていいなら通りたくないよ。絶対怖い思いするから

と口をそろえて言う。

だが、旭川市から北見市に抜けるには石北峠を通るのが最も最短ルートであり、旭川市側から走ったとしたら峠を抜けてすぐに道の駅があり、北見市から走って峠を抜ければ層雲峡なのである。怖いのを我慢して走り抜ければ、少なからず人はいるのである。走るという選択肢しかないのだ。今は高速道路もあるが、肝心の峠のあたりまでしか開通していない。

 

筆者の父が、この石北峠の道路工事に携わったことがある。用を足しに少し離れたところへいったのだが、そこでどうも人間の足のモノらしき骨を発見し絶叫したことがある。警察に届けると、シカの骨と鑑定されたが、この峠のことを詳しく知っている父は「あれは人骨といわれても納得がいく」とずっと言っていた。

ほかにも、トンネル内に人影を見たという証言もある。そういう話は浮島トンネルが有名だが、それは近くにある別の峠である。ただ、似たような作られ方をしたため、似たような証言が集まってくるのである。

夏になればごくまれにテントなどを携えた自転車の旅をする人を見かけなくもない石北峠だが、人が登るような場所ではない。国道にありながら、きついカーブが多いのだ。それに、ガードレールから1mだけで崖というスポットも多いため、山菜取りに入った人がたまに滑落することがある。夢中になって気づかずに崖に行ってしまったのか、はたまた「見えないだれか」に呼ばれたのか……。
きついカーブではドリフトでもしたのか、タイヤ跡がある峠でもあり、いろんな意味で危ない。街灯が少なすぎる上に深夜に運んでしまおうという大型トラックたちもいるのだから、おとなしく走っていただきたい。

このトンネルのそばに、ドライブインのようなレストランがある。昔は本当にボロく、「営業しているの?」と思っていたが、焼失したのちに再開しているようである。昼間でも心霊現象といいたくなるような体験ができる峠で食事をとるなど、肝試し以外何物でもないであろう。旭川から走って峠を越えたところにある道の駅にはコンビニが隣接している。道の駅でも軽食やソフトクリーム程度なら食べることができる上に、牛乳飲み放題の店もある。牛乳でお腹を下さない体質の方にはチャレンジしていただきたい。

北見から走っても峠を抜ければ層雲峡。ホテルのレストランやコンビニなどがある。もう少しだけ旭川方面に走れば観光バスも数台駐車できるほどの広い駐車場のあるレストラン併設の施設があるのでわざわざその食堂で食べる必要はない。
過酷道路」などと呼ばれた石北峠。夏休みなどの長期休暇でレンタカーを借り、道内各所を巡ったりする方もいるだろう。
その際には念のためお守りを持っていくといい。前述したカップルの話に近い証言に、「ふくらはぎを多数の手に触られた。掴むのではなくさわさわ触っている感じであった。ひとりで乗っていたためパニックになりダッシュボードにあるものを何でもいいから投げつけようと思ったところ偶然にもお守りが落ちた。すると、その手は消え、峠を走り抜けるまで何も起こらなかった」というのもあるの。
シカの群れも道路を横断しているのでスピードには気をつけていただきたい。奈良公園の市価より1.5倍は大きいシカである。ぶつかると対人事故並のダメージが来るので、バイクの方も気をつけていただきたい。
怖いスポットではあるが、晴れた日は遠くまで見える見晴らしのいい場所でもある。

 

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