太宰治といえば「走れメロス」や「人間失格」といった作品を執筆した文豪として有名です。
流行作家として名を馳せた一方で、盗用したり、何度も自殺を図ったり、ヤク中になったり…と私生活はかなり荒れていたと言われています。
彼の生きざまはまさに「リアル人間失格」と言えるでしょう。
今回は、そんな太宰の弱さや心の闇について詳しく見ていきます。
太宰治の生い立ち
太宰治は青森県津軽の大地主の家に生まれました。本名は津島修治。
東京帝国大学仏文科に入学した後、金持ちの地主出身という自分の生い立ちに引け目を感じて共産主義運動に参加しますが、兄からの経済的援助が打ち切りになり、まもなく脱落。
地主階級出身であること、共産主義運動から脱落したことを負い目に感じ、自虐的な生活を送るようになります。
1938年~終戦までの間は明るい作品が多く「走れメロス」や「津軽」といった作品を残しました。
終戦後は「斜陽」「人間失格」などで比較的退廃的な作品を多く執筆し、流行作家となりますが、行き詰まりを感じ1948年に玉川上水にて入水自殺をしました。
「刺す!」ヤク中が原因で落選
太宰は26歳のとき、急性盲腸炎のため腹膜炎となってしまいます。
その際、麻薬性鎮静剤を使用したことをきっかけに、「薬物中毒」になってしまったと言われています。
この頃、第一回芥川賞の最終候補に選ばれていましたが、残念なことに落選。
その原因は、太宰の薬物中毒だったとされています。
選考委員だった川端康成は、太宰の薬物中毒など私生活の乱れを指摘し批判しました。
そんな川端に対し、太宰はなんと文芸誌上で「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。」と大暴言を残しました。
しかし、第三回芥川賞の選考の際には、前回の暴言から一転。
川端に対して涙ながらに「芥川賞をください」と懇願する手紙を出します。
しかし第三回芥川賞では、過去に候補作となった小説家は選考対象から外すという規定が設けられたことで候補にすらならず、その後受賞することはありませんでした。
ちなみに太宰は芥川龍之介が好きすぎるあまり、同じポーズをした写真を何枚も残したり、中学や高校時代に使っていたノートの余白に、芥川の名前を何度も書いていたそうです。
そんな熱烈なファンだったこともあり、芥川賞に落選した失望感は計り知れないものだったことが想像できます。
自殺未遂は計5回
太宰は最後の心中を含めて、5回ほど自殺未遂をしたと言われています。
芥川龍之介の自殺にショックを受け、花柳界に出入りはじめていた頃、左翼思想に染まっていった太宰は、己が資産家の息子であることを恥じ、薬物自殺を図りました。
次は芸者の小山初代と入籍した時です。
名家の息子が芸者と結婚することを好まなかった兄により、津島家から除籍を迫られたことにショックを受け、いきつけのカフェの女給だった田部シメ子と心中を図りました。※シメ子だけ死亡。
3回目は、太宰は大学5年目になった頃です。なかなか卒業できず就職試験に挑戦するも不合格。
仕送りの中止を恐れ、首吊り自殺を図りました。
4回目は、太宰が薬物中毒で入院中だった頃です。妻の初代が不倫をしていたことを知り、太宰は初代を連れて水上村の谷川温泉で心中しようとしました。
そして5回目で、ついに本当に亡くなってしまいます。
愛人、山崎富栄と玉川上水で心中してしまったのです。「小説を書くのがいやになつたから死ぬのです」という内容の遺書が残されていました。
遺体は偶然にも、太宰の39歳の誕生日6月19日に発見されました。
これは、大好きだった芥川が自殺したことの影響も少なからずあると言われています。
太宰は、芥川が自殺したことを受け「作家はこのように(自殺)して死ぬのが本当だ…」と言っていたそうです。
芥川と同じく鋭く繊細な感性を持っていた太宰は、その感受性の高さゆえに生きづらさを感じていたのかもしれません。
「生まれて、すみません」は盗用!?
太宰治の有名なフレーズといえば「生まれて、すみません」
これは「二十一世紀旗手」という小説の副題で、作品を読んだことがない人も聞いたことがあるでしょう。
このフレーズ、実は盗用だと言われています。
この言葉を最初に考えたのは当時、詩人として創作活動をしていた寺内寿太郎(てらうちじゅたろう)。
「遺言(かきおき)」と題する一行詩をいとこの山岸外史に披露したところ、山岸とも交流があった太宰にも伝わり、使われてしまったのです。
その後「二十世紀旗手」を読んだ寺内は、山岸のもとに駆けつけ「自分の生命を盗られたようなものだ」と叫び、途方に暮れたとされています。
太宰を有名たらしめたフレーズが、まさかの盗用とは驚きです。
まさに「盗用して、すみません」ですね。
おわりに
太宰の作品には、人としての弱さを隠さない作風のものが多く見られます。
こうした人間としての弱さに「私と一緒だ…」と共感され、太宰は愛されてきました。
今後も太宰の作品は多くの人に愛され続けていくのでしょう。
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