ギガス写本とは、13世紀にヨーロッパのボヘミア(現在のチェコ共和国)で作られたとされる、現存する世界最大の大きさを誇る写本である。
写本自体の大きさが高さ92cm、幅50cm、厚さ22cm、重さ75kgであり、320枚の羊皮紙が使用されている。
内容としては、聖書や様々な歴史的文書が記録されており、全てラテン語によって記載されている。
この巨大さに加えて、写本の中の挿絵である悪魔の絵が人々の印象に強く焼きつき「悪魔の聖書」 とも呼ばれている。
この写本はなんと1人の修道士によって書かれたという伝説がある。
何故そのような事が出来たのか、悪魔の挿絵の意味とは?
今回はこの不気味なギガス写本について解説する。
ギガス写本が書かれた時代背景
ギガス写本は13世紀初め、ボヘミア(現在のチェコ)のベネディクト会の修道院で作られたと見られている。
当時のヨーロッパはカトリックの権力がとても強い時代であり、聖職者は貴族の次に位が高かった。
その当時、現在の様な印刷機はなく本の製作は修道院の仕事の1つであった。
装飾写本は一文字一文字手書きであり、大変な労力が必要であった。
紙も現在の様な木を素材にした物ではなく、羊の皮を素材にした羊皮紙が使用されていた。
本は非常に高級品だったのである。
ギガス写本の歴史
この写本は、ベネディクト会修道院にて修道僧のへルマンが作ったと信じられてきた。
修道院はフス戦争で、15世紀に破壊された。
写本に記録されている最後の年号は1229年である。その後シトー会の修道院に渡ったが、ベネディクト会修道院が買い戻した。
1477年から1593年までブロウモフ(チェコの町)の修道院の図書館に保管されていたが、1594年にプラハに持ち去られ、ルドルフ2世のコレクションの一部となった。
三十年戦争末期の1648年、そのコレクション全体をスウェーデン軍が戦利品として確保。1649年から2007年までこの写本はストックホルムのスウェーデン王立図書館に保管されていた。
ギガス写本の内容
ギガス写本の内容は
・新約聖書
・旧約聖書
・ユダヤ古代誌
・ユダヤ戦記
・古代ギリシャやローマの医学書
・ボヘミア年代記
・ポドラジツェの修道僧一覧
・命日入りのカレンダー
・魔法の作法
・地元の記録
などであり、全体を通してラテン語で書かれている(最初のページだけヘブライ語、ギリシア語、スラブ語のアルファベットがある)
1人の力で書ける物なのか
ギガス写本を同様の方法で記述する実験では、テキスト部分だけで5年の時間を要することが分かっている。
この本には豪華な装飾と複雑なイラストがふんだんに描かれており、それらを全て再現するには20年の歳月を要するだろうと言われている。
しかし奇妙なことに、20年もの歳月を費やしたにしては羊皮紙の質は一定であり、筆致に加齢による変化が見られないということもわかっている。
悪魔のページの謎
290枚目のフォリオの右ページは通常なら空きページだが、約50cmの高さの独特な悪魔の絵が描かれている。
この前のページはやや黒ずんだ羊皮紙に薄暗い文字で書かれており、このページだけ異なる発色になっている。
色が異なるのは、数世紀に渡って陳列され、最も頻繁にめくられたページでもあるため、羊皮紙が日焼けしたものと見られている。
ギガス写本の伝説
中世期に語られていたある伝説によると、この写本を書いたのは修道僧としての誓いを破り監禁された修道僧だという。
この厳しい刑罰を耐えるため、彼は修道院を永遠に称え全ての人類の知識を集めるべく、一晩で本を写本することを誓った。
しかし真夜中ごろになり誓いを守れそうにないことを悟ると、彼は神ではなく堕天使ルシファーに語りかけ、自身の魂と引き換えに本を完成させてほしいと願った。
悪魔は写本を完成させ、その修道僧は感謝の意を表すために悪魔の絵を追加したという。
最後に
ギガス写本の悪魔の絵の真相は未だによくはわかっていない。
だが研究の結果、一人の人間の筆跡によって書かれたことは間違いなく、当時の写本作成は苦行と言われるほどに過酷であったことから「この本の作者は悪魔に魂を売った」と思われてしまうほどの忍耐力と集中力でこの写本を書いたことは間違いないのである。
巨大でありながら正確に書かれており、一人で書いたこの本の魅力は700年以上たった今でも人々に興味を抱かせる本である。
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