封印を解き放たれた百八星の悪霊が好漢として生まれ変わり、内憂外患に苦しむ祖国(北宋王朝)を救う……中国四大伝奇の一つ『水滸伝(すいこでん)』は、壮大なスケールと好漢たちの冒険活劇が人気を集めています。
主人公が108人もいるとそれぞれ覚えるのが大変に思えるかも知れませんが、そのほとんどはキャラが立っているので、ポケモンやAKB48グループのアイドルたちをすべて覚えるよりは簡単なんじゃないかと思っています(筆者比)。
さて、これらの主人公は多くの物語と同じく順番に登場して来ては、次の主人公にバトンタッチしながら次第に梁山泊(りょうざんぱく)のアジトへ集結していきます。
そこで今回は、梁山泊に集う好漢の栄えあるトップバッター・史進(し しん)+αについて紹介したいと思います。
目次
武芸オタクの道楽息子、武芸十八般を叩きこまれる
時は北宋王朝(建隆元960年~靖康1127年)末期、華陰県の史家村(現:陝西省渭南市)に史進という若者(登場時点で18~19歳)がおりました。
※『水滸伝』に限らず「~家村」という地名が多いのは、そこの住民がみんな「~さん」だからで、現代の日本でも田舎にいくと「大体みんなナントカさん」という集落がある感覚です。
この史進、筋骨たくましいイケメンなのはいいのですが、保正(ほせい。日本で言う庄屋)の家に生まれながら家業を顧みず武芸にのめり込み、心労のあまり母を亡くすという親不孝者。
母を亡くして少しは反省するかと思ったら「邪魔者がいなくなって清々したぜ」とばかりにエスカレート、極めつけには背中にびっしりと龍の刺青を九頭も入れたため、九紋龍(くもんりゅう。紋は刺青の意)とあだ名されました。
そんなある日、庭先で稽古に励む史進を見て、声をかける者があります。
「なかなか鍛錬されているが、まだ隙が多いな」
カチンと来た史進が振り向くと、数日前から老母を連れて逗留している張(ちょう)某という旅人でした。
「何だとこの野郎!自慢じゃないが、俺はこれまで七、八人の師匠について武芸十八般を叩きこまれたんだ。その偉そうな口をへし曲げてやろうじゃないか!」
と、立ち合いを挑んだところ、何度やっても見事に完敗。「アンタ、只者じゃないな!」そう問い詰めた史進に対して、張某は素性を明かします。
実はこの男、東京開封府(北宋の首都。現:河南省開封市)で八十万禁軍の武術師範を務めていた王進(おう しん)という達人で、かつて懲らしめた小悪党(※)が大出世して自分の上官になってしまったため、報復されぬよう落ち延びてきたのでした。
(※)ちなみに、この小悪党こそ梁山泊にとって最大のライバルとなる奸臣・高俅(こう きゅう)。おべっかと蹴鞠(けまり)の技で皇帝に取り入り、人民から搾取して贅を尽くす、絵に描いたような悪役です。
「……そんな事があったんですか。ところで、王師父さえ良かったら、もう少しここで武芸を教えては頂けないでしょうか?」
元から行くあてのなかった王進はこれを受け入れ、半年の月日をかけて武芸十八般(ぶげいじゅうはっぱん)を叩きこみます。
ちなみに武芸十八般の内訳は国や時代によって違いますが、『水滸伝』では以下の通り。
一、矛(ぼう/てぼこ)
一、錘(すい/なげつち)
一、弓(きゅう/ゆみ)
一、弩(ど/いしゆみ)
一、銃(じゅう/鉄砲ではなく斧の一種)
一、鞭(べん/節のついた鉄棒)
一、鐧(かん/鉄の角材に柄をつけたもの)
一、剣(けん/つるぎ)
一、鏈(れん/くさり)
一、撾(か/なげほこ)
一、斧(ふ/おの)
一、鉞(えつ/まさかり)
一、戈(か/かぎほこ)
一、戟(げき/えだほこ)
一、牌(はい/たて)
一、棒(ぼう)
一、槍(そう/やり)
一、叉(さ/さすまた)
「これで免許皆伝、もうそなたに教えることは何もない」
そう言い残すと、王進は老母を連れて更に西の延安府(現:陝西省延安市)へと旅立って行きました。
「師父……いつかまた、どこかで……」
父親ともども、涙ながらに見送った史進ですが、残念すぎることに王進の出番はこれでおしまいです。
「えっ!王進が高俅を懲らしめるシーンが見たかったのに!」「そもそもこんな豪傑が梁山泊入りしないなんて!」きっと、少なからぬ読者はそう思うでしょうが、出ないものは仕方ありません。
……が、諦め切れなかった読者の思いは『水滸伝』の後日談となる『水滸後伝(すいここうでん)』に結晶され、王進が梁山泊の残党と共に活躍することになりますが、それはまた別の話。
少華山に立て籠もった三人の盗賊たち
さて、王進が立ち去って暫くすると父親が亡くなり、それでも家業に身の入らない史進がムシャクシャと過ごしていたある日。庭先に、怪しい人影を発見しました。
「誰だ、そこにいるのは!」
捕まえてみれば李吉(り きつ)。史進の家に出入りする狩人だが熊や猪と言った大物は狙う度胸はなく、ウサギ(orたまに獐鹿ノロジカ)くらいしか獲れないことから摽兎(ひょうと。ウサギ捕り)とあだ名されています。
「何だ……李吉じゃないか。そんなところで何やってンだよ」
「へぃ。最近ヒマなモンでして、今晩あたりお宅の丘乙郎(きゅう いつろう。下男)と一杯やろうかと誘いに来たんでさァ」
「ヒマだと……そう言えば貴様、近ごろウチに獲物を売りに来ないな。決して安値で買い叩いてはいない筈だが?」
「いやぁ、旦那に買ってもらいてェのはやまやまなンですが、近ごろ少華山(しょうかざん)に盗賊が立て籠もっているもンで、怖くて猟に出られず商売あがったりなンでさァ」
李吉から聞くところによれば、少華山の賊徒は朱武(しゅ ぶ)を筆頭に、陳達(ちん たつ)、楊春(よう しゅん)という三人が率いており、いずれも三千貫の懸賞金がかけられているそうです。
「ほぅ……そいつァ面白い。今度出向いて行って退治してやろう」
と、やる気満々な史進に対して、一方の少華山では作戦会議が開かれていました。
「次は華陰県庁を襲撃してやろうぜ」
口火を切った陳達に対して、朱武が異議を申し立てます。
「待て。県庁への道中には史家村を通らねばならず、あの村には九紋龍がいる。攻略に手こずれば退路を断たれるリスクも高く、まだ時期尚早だろう」
神機軍師(しんきぐんし。神がかった軍師)と二つ名をとる知恵者・朱武の意見に楊春は賛同しましたが、陳達は引き下がりません。
「だったら『手出しはせぬから村を通過させろ』と言えばいいだろう」
「いや、あの血気盛んな九紋龍が、我らを黙って見逃すとは思えんし、仮に通して貰ったところで、村内に罠がないとも限らない。何より、拒否されたら戦わざるを得なくなる」
一度「退いた」と噂が立てばメンツは丸つぶれ、今後どこに対しても睨みが効かなくなってしまいます(アウトローはハッタリが命)。楊春からも反対された陳達は、怒り狂って席を立ちます。
「うるせぇ!だったら村ごと焼き払ってやらァ!アイツが龍ならこっちは虎だ、どっちが強ぇか勝負して来るぜ!」
陳達は跳澗虎(ちょうかんこ。谷間を飛び跳ねる虎)の二つ名をもって恐れられた豪傑、腕には覚えがありました。さっそく手下を率いて史家村へと出撃していきました。
「……陳達が心配だ。ついて行ってやってくれ」
「おぅ」
楊春も手下を率いて陳達の後を追って行きました。ちなみに、楊春は白蛇のようにヌルリと青白い顔をしていたことから白花蛇(はっかだ)という二つ名があります。
※『水滸伝』は主人公をはじめ様々な人物に二つ名があり、キャラクターの個性を引き立てているのが魅力の一つです。
さて、古来「龍吟雲起 虎嘯風生(意:龍が咆えれば雲が起こり、虎が吼えれば風が吹く)」と言うように、陳達と史進の激突は、まさに風雲をもたらすこととなるのでした。
史進との一騎討ちと神機軍師の『奥の手』
……という訳で、やって来ました史家村。
「やい史進!俺様は少華山の第二頭領・人呼んで『跳澗虎の陳達』、いざ尋常に勝負しやがれ!」
史家村をスムーズに通過して、県庁を襲撃するという当初の目的はどこへやら。すっかり頭に血が上っている陳達は、得物の点鋼槍(てんこうそう)をしごいて史進に躍りかかりました。
ちなみに点鋼槍とは柄が鋼(穂先が鋼なのは当たり前なので、要するにすべて鋼)で出来ている槍で、当然ながら頑丈な代わりに重たく、陳達が力自慢の豪傑であることが判ります。
「望むところ……まずはお前を血祭りに上げて、懸賞金をゲットだぜ!」
対する史進は三尖両刃刀(さんせんりょうじんとう)を奮い舞わして応戦。アッと言う間に陳達を生け捕りにしてしまいました。
※三尖両刃刀とは三つに分かれた尖端の両面に刃がつけられた得物で、かの『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では、袁術(えんじゅつ)の部将・紀霊(き れい)なんかが使っていますね。
「そら言わんこっちゃない……者ども、退け、退け!」
あの陳達を子猫でも抱えるように生け捕ってしまった史進の腕前には太刀打ち出来ないと楊春は手下をまとめて山寨(とりで)へ退却、朱武と善後策を協議します。
「やはりな……あの陳達が敵わない以上、我らが力押しで勝てる相手ではない……ならば、イチかバチか『奥の手』を……」
話し合った結果、朱武と楊春は二人だけで少華山を下りて、史進の前に自首して来ました。
「あ?一体お前ら、どういう風の吹き回しだ?」
丸腰で平伏しながら、朱武は史進に懇願しました。
「……お願いにございます。どうかそれがしと楊春も、陳達と共に捕らえて下され」
どんな奇策を繰り出して来るかと思えば……流石の神機軍師も打つ手なしと観念したのか……やや拍子抜けした史進に、朱武は続けます。
「それがしと陳達、そしてこの楊春の三人は、かの劉備(りゅう び)三兄弟に倣(なら)って『生まれる日は違っても、死ぬ日は共に』と誓った義兄弟……史進殿に力で敵わぬと思い知らされ、陳達の奪還も叶わぬとなれば、我ら揃って死ぬことだけが望みにございまする……」
これは「窮鳥も懐に入れば射られぬ」の古言に倣い、史進の義侠心をくすぐって陳達の解放を図る『奥の手』でしたが、こんな猿芝居でも、ウブな史進のハートを見事に射抜いたのでした。
天下に志を語る喜び……史進が得たもの、失ったもの
「そうだったのか……何て仲間思いのいいヤツらなんだ……うぐっ(感涙)」
(ふふっ、いくら豪傑でもまだまだ若造……チョロいぜ)
すっかり騙さr……もとい感銘を受けた史進は陳達を解放したばかりか、三人を手厚くもてなして意気投合します。
「ふぅむ……貴公らは悪い役人に騙されて身代を失い、やむなく賊徒に身を落としながら、弱きを助けて強きを挫く好漢だったのか!」
史進は虚実も定かならぬ朱武たちの身の上話をすっかり信じ込んだのでした。それでも、三人が本来天下に志を持っていることには違いなかったようで、やがて心から意気投合しました。
「そういう熱い漢(おとこ)が、俺は大好きなんだ!俺も今でこそこんな片田舎に埋もれているが、いつかは王師父に叩き込まれた武芸を、天下のお役に立てたいものだ!」
♪兄弟相逢 三碗酒(兄弟と会えば まずは駆けつけ三杯)
兄弟論道 兩杯茶(道≒天下の志を語り合えば 茶を二杯≒胸がスッとする)
兄弟投縁 四海情(意気投合して 四海狭しと惹かれ合い)
兄弟交心 五車話(心を交わそう 車五台分にも積もる話を)……♪
※「新水滸伝」テーマソング「兄弟无数」より。
能力があり、天下に志を高く持ちながら、誰ひとりとして解ってくれる者はいなかった……そんな鬱屈した「孤独」を抱えていた史進は、水を得たように活き活きとした事でしょう。
しかし、そんな楽しい交流の日々も、あまり長くは続きませんでした。例の「ウサギ捕り」李吉が、懸賞金欲しさに史進と三人との関係を役人に密告(さ)しやがったのです。
「このゲス野郎、漢の友情をカネで売り渡すとは……俺はそういう人間が一番嫌いだ!」
怒り狂った史進は李吉を斬り殺すと、朱武らと共に役人たちを蹴散らし、血路を斬り開いて史家村より脱出しました。
「史進殿、すまない……我らがために……」
「もし、史進殿さえよければ、少華山で我らが頭領となってはくれまいか?」
義侠心ゆえに、先祖代々の土地も財産も失くしてしまった史進を慰める朱武たちでしたが、とりあえず「延安府に行った王師父の後を追ってみる」と、独り旅立っていったのでした。
その後、史進や朱武たちがどうなっていくのか、続きはまたのお楽しみに。
まだ始まったばかり!愛すべき好漢たちの冒険活劇
……と言うところで一旦話を切りますが、ここまで読んでみて、ワクワクして来ませんか?続きが気にはなりませんか?
どこか不器用な者たちが、大真面目に生きていながら失敗して、あるいは陥れられて賊となりながら、それでも心の奥底では「天下の役に立ちたい」「誰かに喜ばれる人生を送りたい」と希(こいねが)って苦闘する様子が、たまらなく読者の胸を打つ『水滸伝』。
そんな純粋な思いを抱えて(例外もいますが)梁山泊へと集まり、やがて朝廷も認めざるを得ないほど強大な勢力に膨れ上がるも、結局は都合よく利用され、滅び去っていく好漢たち。
彼(女)らがどのように生きて、死んでいったか……決してお行儀がよく、褒められた言動ばかりでもありませんが、だからこそより親近感が湧き、数百年の歳月を経てもなお生々しく、私たちに訴えかけるのではないでしょうか。
「後悔なく生きようぜ」と。
※参考文献:
駒田信二 訳『水滸伝 上 (奇書シリーズ 3)』平凡社、1967年10月
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