古代中国の埋葬文化
中国は、記録上では5000年ほどの歴史がある。(民族や王朝は変わっているため、中国大陸という意味合い)
その長い時間の中で多くの文化が歴史となってきた。古代人自らが経験したことを応用し、実践を繰り返し結果を導き出してきた。
科学や技術は発達していなかったが多くの研究がなされた。
古代中国の埋葬には特別な「礼儀」と「文化」があった。現代人でも同様だが古代人にとっても「死」は最も不可思議で奇妙な事であったに違いない。
当時の中国では「人は死んでも存在はなくならず、違う場所へ行く」と考えられていた。
そして生前の行いが死後の人生を決定し、「生」は一瞬であり「死」こそが永遠とされていた。
別の場所に行く時に、食べる物や着る物に困ることがないように多くの物を埋葬し、儀式を行った。
埋葬品
埋葬品には故人の愛用品も含めて、多くの金銀財宝が含まれていた。
「物」だけでなく「人」も生きたまま埋葬された。死者と共に別の場所で暮らすためである。
歴史上全ての王朝ではないが、殷・周王朝、春秋時代、戦国時代、秦王朝、明・清王朝にかけて、断続的に生きた人々が埋葬されていた。
一つの例を挙げると清朝では皇帝と共に妃が埋葬されていた。妃は共に埋葬される事を望もうが望むまいが、強制的に皇帝とともに生きたまま埋葬された。
逃げる事もできず、その運命に服すしかなかったのである。
これは「殉葬」と呼ばれ、殉死のように名誉あることとされた。
妃を埋葬する時、肛門には宝石が詰められ完全に塞がれたという。
これは死者への名誉として「宝石=褒美を授ける」という意味があったが、他にも大きな理由があった。
人が死ぬと呼吸が止まり血液は流れなくなる。そして高温と湿気で腐敗が始まる。
特に殉葬の女性は墓の中で横たわり空気が流れないので、腐敗は早くなる。
さらに体内から体液が流れ出す事で微生物の働きが活発になり腐敗が進む。そこで女性の体の穴という穴を塞ぐことで水分が流れ出る事を防いだのである。
そして「別の場所へ行っても身体は完全で美しいまま次の人生を送ることができる」とも信じられていた。
「身体をなるべく腐敗させない」ということは、中国の伝統的な考え方に基づいている。
それは「生前も死後も自分の身体を大切にしなければならない。髪も皮膚も全て親から授かったもの」という考え方である。
肛門に詰める宝石
女性の位によって、肛門に詰める宝石の種類も違っていたようだ。
位が高ければ高いほど高価な宝石が詰められた。これには前述した「腐敗を遅らせる」以外にも意味があった。
宝石は主に翡翠(ヒスイ)が使われたが、翡翠は悪魔避けにも使われていた。つまり「皇帝にも吉兆をもたらす」という意味合いもあったのである。
墓の内部には多くの女性が皇帝と共に眠っていた。
その遺体は、一般的な遺体と比べるとはるかに保存状態が良かったという。
「殉葬」が行われたのは王朝ごとに断続的ではあったが、康熙帝の時代(清朝四代目皇帝)の時代に終わっている。
古代人の知恵の多くは迷信や不確定な知識に基づいていたとはいえ、現代でも有効な場合が多い。
先人の知恵から学ぶことは今も多くある。
「望ままいが」と書いてる部分ですが「~まい」をつけるなら終止形になるので「望むまい」です。
誤字がありました。修正させていただきました。ご指摘ありがとうございますm(_ _)m
興味深い記事、有り難うございました。‼️。☺️