中国と台湾のゴミ処理に対する概念
筆者が現在住んでいる台湾では、「ゴミのリサイクルに対する意識」が非常に高い。
ゴミ収集車は、ほぼ毎日やってくる。
回収できるゴミは、音楽を流しながらやってくるゴミ収集車が回収する。その他、リサイクルできるゴミはリサイクルセンターに持って行くと、わずかの金額だが買い取ってくれる。家電や鉄などは、割と高値で買取してもらえる。
生ゴミは、ゴミ収集車の後ろに乗せてあるドラム缶に入れると、家畜の飼料として再利用される。
筆者が暮らしているマンションにはゴミ回収の場所があり、分類されているので、それに従って分けると業者がやってきて持ち帰るという仕組みだ。
では、中国はどうだろうか?
5年ほど前に筆者が中国に住んでいた時は、なんでもかんでも一緒に捨てていた。ビンも缶も生ゴミも全て一緒だった。マンションの入り口に大きなゴミ箱が設置されており、いつでもゴミを捨てることができた。
何か分けるというような事はなかった。ゴミの多くは埋められて処理されると聞いたことがある。
中国大陸は広大だ。土地はいくらでもあるのだろう。
では、古代中国人は「ゴミ」についてどのような意識を持っていたのだろうか?
現代のゴミ処理で問題になっているのは、土に還らないゴミの処理だ。プラスチックや発泡スチロール、鉄やアルミ、ガラスといったものは、リサイクルで再生するしかない。
古代にはこういった厄介なゴミは存在していなかったであろうから、単純に「古代中国人の廃棄物に対する衛生感覚は、どのようなものだったのか?」と定義しても良いだろう。
ゴミの違法投棄は、いつの時代も悪いこと!?
やはり古代中国人も、「ゴミを適当に捨ててはいけない」という概念があったようだ。
商朝(殷)の時代には、ゴミを道に捨てている者がいた場合、役人に捕まり手を切断されたという。
秦の時代には、平民百姓がゴミを不法投棄していた場合、顔に刺青を彫られた。
これは黥刑(げいけい)と言って、頬や額に刺青を彫られる刑であった。この場合は顔に「不法投棄者」という文字を彫られる。
このような厳しい刑が執行されたということは、よほどの事情があったに違いない。
古代中国においてゴミの違法投棄が問題となったのは、人々の生活に直接影響を及ぼしたからである。
特に問題になったのは「家庭から出る糞便や、残飯などのゴミ」だったようで、それを溝に勝手に捨てたり、川に流されたりすると後々大変だったようである。
日本から遣隋使が渡った隋朝の時代には、既に大きな道の両側に排水溝があり、大きな集落には「排水渠」という、排水専用の溝や水路があった。
ところがそのシステムも完全なものではなく、その溝にゴミや糞尿を捨てたり流したりすると詰まってしまい、汚染された水が地下に溜まってしまう。すると強烈な悪臭となり、その臭いに誘われてやってくる害虫やネズミなどの繁殖の問題もあった。
こういった理由で、ゴミは古代においても人々の生活に大きな影響を及ぼしたとみられる。
かといってゴミを土に埋めたり、家の横に放置し続けた場合も問題が起こった。そのゴミから出る液体が土に染み込み、地下へと流れ、井戸水に影響を及ばすのだ。
そうなると井戸水が飲めなくなってしまい、大きな問題となった。
当時、井戸水は命に直結したであろうから、ある意味現代よりもシビアだったかもしれない。
そういった背景もあって、不法投棄は罪に問われたのであった。
家から外へゴミを投棄した者、汚水を流した者は、60回の鞭打ちの刑に処された例もあったという。
唐朝時代のゴミに対する意識
唐の時代、人々は「噦厥(フェイチェ)」と呼ばれる袋を腰に携帯していた。これは「小さな携帯ゴミ袋」である。
「新唐書」では、唐人の服装を表現した記述の中に、一般的に身につけるものの一つとして「噦厥」が含まれている。
唐人は外で食事をした時に、ミカンの皮や桃の種などのゴミを、この袋の中に入れて持ち帰っていたのである。
当時、長安には100万人以上が住んでいた。その一人一人が衛生について習慣的に気をつけていたのだ。
唐の時代にも日本との交流があった。日本から唐に渡った遣唐使は、道にゴミが一つも落ちていなかったことに驚いたという。
このように、古代中国人はゴミの衛生観念が非常に高かったのである。
参考 : 每日頭條 唐朝長安城是如何做到垃圾不落地的
関連記事 :台湾はリサイクル大国だった 【台湾のゴミ収集事情と環境保護活動】
この記事へのコメントはありません。