商売脳
何事にも傑出した能力を持った人物はいるものだ。
そして、古来よりビジネスチャンスを見つけるのが得意な人物もいる。
日本でも、事の始まりを扱った番組が人気を集めていた。創始者は突出したアイディアと持ち前の行動力で一つの大事業をやってのける。そして後代に富と名声を残すのだ。
どんな小さなものや事にも「始まりの物語」があり、私たちはその始まりを知るとなんだかワクワクする。
今回は、唐朝の時代に実際にいた「リサイクル王」について解説したい。
唐のリサクル王
唐に斐明禮(フェイ・ミンリー)という人物がいた。彼こそが唐のリサイクル王だ。
当時の河東(現在の山西省)の出身である。山西の人は商売脳の人が多く、ビジネスチャンスを見つけるのに長けていたという。
斐明禮もその一人だった。だが彼は普通の農家の家に育ち、幼い頃少しばかりの教養を身につけた様だが、これといった学歴は持ち合わせていなかった。
その後、実家の農家を継ぐでもなく、科挙(高級官僚を登用するための超難関試験)に合格するでもなく、目立った人生を送ることもなかった。
さらに当時の斐明禮は金もなく、自分で新しい商売を始める力もなかった。
その後、斐明禮は賑やかな場所を求めて、唐朝の中心「長安」に流れ着いた。
唐の首都であった長安は、人口およそ100万人でアジアの各国とも交流があり、国際都市として栄えていた。
唐に流れついた斐明禮は、なにかビジネスチャンスは転がっていないかと、街を散策し始めた。
そして、あることに気がついたのだ。
多くの人々は裕福で、まだ使えそうなものまで、どんどん捨てていたのである。
長安の住民が毎日出すゴミは、当然誰かが処理しなければならない。朝廷はゴミの処理にも頭を悩ませていた。
ゴミの処理は一般的に格好の良い仕事ではないが、背に腹は変えられない。
斐明禮は「不要な物を安く買って高く売る」という商売を考えついたのである。
家具などは解体して木材にして、燃やすための薪にして売った。また、いらなくなった古い本は回収し、中古品として販売した。
中古品はそのまま売るのではなく、きちんと分類して価値あるものとして販売した。
こうして斐明禮は、リサイクル業で資金を増やしていったのである。
リサイクル王のその後
斐明禮は稼いだお金で、ある土地を購入した。その土地は長安の門の外で、人々が捨てた瓦礫などが沢山つまれていた。
誰も手をつけない荒れ果てた土地だったので、破格の値段で手に入れることができた。
さて、購入したは良いが、どう処理したものか。
そこで斐明禮は考えた。
まず竹籠を置き、こんな立札を立てたのである。
「この竹籠の中に瓦礫を入れた者には、賞金を出す」
ところが竹籠のかかっている柱は高く、さらに籠は小さかった。人々は瓦礫を竹籠の中に投げ入れようと次々とやってきた。
運動会の「玉入れの」ようなイメージである。
ご想像の通り、難易度は高く、誰一人竹籠に瓦礫を入れたものはいなかった。
そして、多くの人が瓦礫を拾って投げ入れようとしたため、広い土地に散らばっていた瓦礫は一箇所に集まっていた。結果的に人件費をかけずに土地を綺麗にすることができたのである。
こうして、荒れ果てていた土地は新地になった。
そして次の一手だ。斐明禮はこの新地を使って牧場レンタルを始めた。この土地で無料でヤギを飼って良いと宣伝したのである。
そしてヤギが次々とやってきて、土地に生える雑草を食べてはフンをした。そのフンは肥料となり、次第に土は肥えていった。
その後、斐明禮はそこに果物の木を植え始めた。土地がとても肥えていたので、果物は大豊作となった。
次はその果物の収入で、豪邸を建て始めた。そして、その庭で養蜂を始めてさらに一稼ぎしたのである。
農家出身の学歴もない若者が、急に大富豪に成り上がったという噂は、瞬く間に宮廷にまで届いた。
唐朝の第二皇帝・太宗は、この成り上がった若者に興味を持った。そして、斐明禮を宮廷に招き、朝廷の中でも位の高い「九卿」という政治の中心を担う役人の一人に任命した。
唐のリサイクル王は、その着眼点とアイデアで、平民から政府の高官役人へとのしあがったのである。
参考 : 大唐第一“收废品人” 官至九卿之一 | 捜狐
人件費ではないでしょうか?
ご指摘ありがとうございます。
修正させていただきました!