三國志

【古代中国で高身長だった人物】 関羽、張飛、始皇帝、孔子…何センチだった?

背が高い中国の歴史上の人物

中国の歴史において、身長が高い人物として挙げられるのは、三国志の関羽張飛などが代表的である。

彼らは大柄で力が強く、百戦錬磨のイメージである。

では、彼らの実際の身長がどの程度であったのか、歴史的な記録や考古学的な調査結果を基に探ってみよう。

山東省は大柄な男性が多い

画像 : 山東省の位置 public domain

筆者は以前、山東省に住んでいたことがあり、山東人は男性も女性も身長が高く、がっちりした体格の人が多かった。

実際に山東省は、古くから「山東大漢」という言葉があり、大柄な男性が多い地域として知られている。山東省の人々が高身長なことは、単なる言い伝えではなく、歴史的な事実である。

2017年に山東省済南で行われた考古学的調査では、約5000年前の遺骨が発掘され、その中には身長が190cmに達するものもあった。また、180cmを超える遺骨も多数発見されており、この地域の古代人が高身長であったことが示されている。

山東省出身で有名な歴史上の人物といえば、孔子である。

画像 : 孔子 public domain

『史記』によれば、孔子の身長は約190cmであったとされている。

山東省の人々が高身長である理由については、東部沿岸地帯で夏季には日照時間が長く、カルシウム吸収が促進されていたことが一因とされている。

また、食料状況も比較的良好で、必要な栄養を十分に摂取できたことも一因とされている。

三国志の英雄たち

三国志に登場する英雄たちは、その身長について『正史三国志』に多くの記録が残っている。

また、『正史』に記述のない人物は、伝説や憶測として小説『三国志演義』の記述から紹介する。

画像 : 劉備 public domain

まず、劉備玄徳は標準的な身長であり、7尺5寸であったようだ。

劉備が生きていた後漢時代の尺度では約173cmほど、『正史』が書かれた西晋時代の尺度では約181cmとなる。

劉備の身長に関しては『正史』に記述があるので信憑性が高い。

「耳たぶが肩まで垂れ、手が膝まで達していた」という描写もあるが、これは当時の美的感覚や権威を象徴するための誇張表現であったと考えられる。

ここでは後漢時代の尺度(一尺約23cm)で、以降も紹介する。

正定県趙雲故里にある趙雲像 wiki c Morio

趙雲の身長は八尺で、185cmほどだったとされている。

趙雲も『正史』に記述があるので、信憑性は高い。

画像 : 諸葛亮 イメージ

また軍師として有名な諸葛亮も大柄で、趙雲と同じ八尺で、185cm。

こちらも『正史』の記述である。

画像 : 許褚 public domain

魏の曹操の親衛だった許褚(きょちょ)も『正史』に記述があり、八尺餘(185cm以上)である。

【古代中国で高身長だった人物】

画像 : 関羽雲長 public domain

関羽は207cmと非常に大柄であり、長い顎髭や赤みがかった顔、切れ長の目など、その外見は非常に威厳に満ちていたとされる。

ただし『三国志演義』の記述なので、伝説の域を出ないであろう。

画像 : 張飛 public domain

張飛は185cmで、豹のような顔つきと轟くような声が特徴であった。

張飛に関しても『三国志演義』の記述である。

関羽と張飛の身長に関しては『正史』に記録はないが、記録のある趙雲や許褚を上回る武名であることから、本当に大男だった可能性は高いのではないだろうか。
『正史』での八尺以上の人物は他にも、劉表(八尺餘)、程昱(八尺三寸)、馬騰(八尺餘)、満寵(八尺)らが挙げられる。

三国時代の人物で最も大きいのは、諸葛亮の南蛮遠征時に登場する烏戈国の主・兀突骨(ごつとつこつ、277cm)であるが、兀突骨は『三国志演義』のみに登場する架空の人物である。

秦の始皇帝

画像 : 高身長の兵馬俑たち public domain

始皇帝陵から発掘された兵馬俑は、秦の兵士を実寸大で表現しているとされ、その多くは170cmから200cmの間であり、当時の兵士たちの平均身長をある程度反映していると考えられる。

近年の発掘調査では、2.5メートルを超える巨人兵馬俑も発見されている。

当時の一般市民の身長は兵士よりやや低かったと考えられる。これは、兵士がより良い栄養を摂取し、厳しい訓練によって鍛えられていたためであろう。また、身長や体格は兵士にとって重要な資質とされていた。

画像 : 始皇帝像 publicdomain

始皇帝自身の身長については、具体的な記録は残されていないが、伝説や後世の推測(北宋時代に編纂された『太平広記』)などによると、198cmに達したとされる。

しかし、この数値はあくまで後世の憶測であり伝説の域を出ない。

最後に

中国の歴史上の人物たちの身長について見てきたが、その実態と伝説との間には隔たりがあることもあるだろう。

歴史的な記録や考古学的発見は、これらの人物像をより現実的に理解する手がかりを与えてくれるが、一方で、後世に伝えられた誇張や神格化されたイメージもまた、彼らの人物像と言える。

歴史の中で彼らがどのように記憶され、語り継がれてきたのかを知ることで、より深い歴史の理解が得られるはずである。

参考 : 『正史三国志』『三国志演義』他
文 / 草の実堂編集部

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 8月 20日 4:28pm

    記事の一部に張飛が超飛となる誤字を見つけましたのでご報告させていただきます。

    1
    1
    • アバター
      • 草の実堂編集部
      • 2024年 8月 20日 6:07pm

      ご報告、まことにありがとうございます。
      修正させていただきました。大変助かりましたm(_ _)m

      1
      0
  2. アバター
    • 170cm以下は人権がない?(T_T)
    • 2024年 10月 27日 1:32am

    逆に小さいのは何㎝位だったのでしょうかね。
    個人的に龐統とか劉善とか小さいようなイメージがあります。

    0
    0
  3. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 11月 12日 5:56am

    関羽はデカいから、矢に当たるんだな。

    0
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 浅井長政は、なぜ織田信長を裏切ったのか? 信長を窮地に陥れた「盟…
  2. 『パンドラの箱』から飛び出した、災厄の神々たち
  3. 賄賂を要求した役人を滅多打ち!『三国志』の名場面、その犯人は?
  4. テレビ時代劇『鬼平犯科帳』歴代鬼平のエピソード 「初代・松本白鸚…
  5. 夏侯惇の生涯 「戦下手だが人格者だった」
  6. 野心的だった青年が「神の声」を聞いて人生が一変 【聖フランチェス…
  7. 「偉かったのはどっち?」日本では『神と仏』 どちらが上位とされた…
  8. 中国の人身売買が無くならない理由 「8人の子供の母親事件」

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

足利直義について調べてみた【室町幕府の副将軍と呼ばれた弟】

南北朝時代に新たに作った武家政権である室町幕府とそれを創設した足利尊氏。尊氏には最も重宝していた…

月の裏側で「熱を発する巨大な塊」が発見される

月は常に同じ方向を向けて、我々の夜空に輝いている存在だが、その裏側には未だに解明されていない…

新婚旅行の歴史と現代事情【人気のハネムーン トップ10】

新婚旅行の語源日本語で新婚旅行というと、いわゆる結婚式後に新婚カップルが2人で出かける旅…

ソ連に行くはずが…?数奇な運命を辿り南極への道を作った船「宗谷」

南極は、「地球最後の秘境」とも言われる。地図や地球儀ではしばしば目にするため、それほど異世界…

吉川元春について調べてみた【生涯不敗伝説】

吉川元春の生い立ち吉川元春(きっかわもとはる)は、享禄3年(1530年)に戦国大名・毛利…

アーカイブ

PAGE TOP