身分階級制度
どの時代にも、権力を持つ者と支配される者が存在する。現代における身分制度と聞くと、ヒンドゥー教のカースト制を思い出す人も多いだろう。
では、古代中国ではどのような階級制度があったのだろうか?古代中国では、皇帝が絶対的な権威を持っていたことは言うまでもない。宮廷で仕える者たちだけでなく、多くの者が皇帝のために一生を捧げた。
皇帝が社会の頂点に君臨していたことは周知の事実であるが、一般市民の階級はどうなっていたのだろうか。
今回は、古代中国の階級制度「三六九等」について探ってみよう。
三六九等
この階級制度は、今では故事成語となり、「ピンからキリまで」という意味で使われている。
後漢の歴史家・班固(西暦32年~92年)は『漢書』の中で、この階級について言及している。
トップはあくまで皇帝であり、ここでは皇帝を除いた階級として解説する。
一番高い位
言うまでもなく、一番高い位は王家である。
王家は100以上の家族から構成され、国の中心を成していた。彼らは国の基盤であり、最高の権威を持っていた。
二番目の位
二番目の位は地方の豪族である。数多くの家族から構成されており、各地方の権力を握り、一定の財産を所有していた。
彼らは地方行政を支配し、その地域の経済的な繁栄を維持する役割を担っていた。
三番目の位
三番目の位は国家公務員である。国家公務員にはさまざまな職務があり、官僚制度の一部として機能していた。
彼らは行政や司法、軍事などの分野で重要な役割を果たし、国家の運営を支えた。
平民の階級
ここからは、一般民衆の階級である。
四番目の位
生活が安定していた一般民衆である。
彼らは比較的裕福な生活をしていたが、上位の貴族や国家公務員ほどの地位や影響力はなかった。
それでも、地域社会において一定の影響力を持っていた。
五番目の位
平民である。彼らは毎日の生活に困らない程度の生活をしていた。農村で生活していた農民がこの中に含まれる。
農業は国の基盤であり、農民はその重要な支え手であった。
六番目の位
困窮していた人々である。彼らは毎日の生活すら困難で、財産や土地を持っていなかった。
彼らは、日雇い労働や零細農業などで生計を立てていた。
七番目の位
財産のない非常に困窮していた民衆である。彼らは極度の貧困に苦しんでいた。
飢餓や病気に見舞われることも多く、生存自体が困難な状況であった。
八番目の位
非常に困窮していた民衆だが、これは災害やその他の理由で究極の困窮状態にあった者たちである。難民や孤児もこの階級に属していた。彼らは社会的なセーフティネットからも外れ、極限の貧困に陥っていた。
各階級の中でも、上の上、上の中、上の下、中の上、中の中、中の下、下の上、下の中、下の下と分かれており、この九つの区別が「三六九等」の語源となったとされている。
九流
仕事別のランク付けもあり、「九流」と呼ばれ、九つの区別が存在した。
1:皇帝 言わずもがな、最も高位の存在である。
2:文士 科挙に合格した知識人や学者である。彼らは政治や文化の発展に寄与した。
3:高官 国家の高位官僚である。政治的な決定を行い、国の運営を担った。
4:医者 病気を治す者だけでなく、占いや吉凶を見る者も含まれる。彼らは医療だけでなく、精神的な支えともなった。
5:僧侶 宗教的な指導者であり、社会の精神的な指導を行った。
6:兵士 古代中国には兵役制度があり、男は国を守るために自分を犠牲にした。彼らは国家の防衛と治安維持に貢献した。
7:農民 農耕が国を支えていたため、重要な存在であった。農民は食糧生産の基盤を支えた。
8:職人 機械や金工、木工などの技術者である。彼らは工業や手工業の発展に寄与した。
9:商人 商業活動を行う者である。彼らは経済活動を活発化させ、物資の流通を支えた。
このように、九流というランク付けは、職業ごとの社会的な重要性を反映していた。
最後に
古代中国の封建社会における「三六九等」という身分階級制度は、皇帝を頂点とし、その下に豪族、公務員、一般民衆が位置していた。また、九流と呼ばれる職業別のランク付けも存在し、社会の各層が明確に区別されていた。
現代では偏見や差別につながるため、身分階級自体の概念が薄れてきている。しかし、古代の身分階級を見てみると当時の社会が何を重視し、どのように構築されていたかを知る手がかりとなり、現代に生きる我々に多くの示唆を与えてくれる。
参考 : 『漢書』『中日辞典 第3版』
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