三國志

三国時代の食事について調べてみた

画像 : 桃園の誓いを描いた磁器(頤和園)public domain

三国時代とは、中国の一つの時代です。ゲームや小説で人気の三国志に出てくる時代が三国時代です。

そんな三国時代、今と同じような中華料理を食べていたのか、どのようなものを飲んでいたのか調べてみました。

三国時代から出てきた食べ物

杏仁豆腐 wikiより

三国時代から出てきた食べ物は、今の中国でも食べられている物が多いです。

例えばデザートで人気の杏仁豆腐はこの時代に出来た食べ物です。董奉(とうほう)という有名な医者がいました。山の中に住んでいて、来る日も来る日も患者さんのために働いた名医でした。治療費の代わりにもらっていたものが杏の木でした。そして董奉は杏の畑を作り、その入り口に看板を作りました。

もしも、杏の実がほしい者があれば、私に断りを入れずとも持っていて構わない。同じ量の穀物を置いていてくれれば

ある日、村人が咳を止めるために、杏の種を食べようとしましたが、苦くて無理でした。そこで生まれたのが、現在の杏仁豆腐の原型でした。苦い杏の種を美味しく食べるために砂糖や牛乳を入れました。清代の時代には、宮廷料理の中でも最高潮の料理として食べていたようです。薬膳のデザートなのに食べやすいのは、最初に作った人の愛情のおかげかもしれません。

三国時代の主食

この時代の中国は、日本とは少し異なり各方面で取れた穀物を食べていたようです。主な穀物はこの当時は(アワ)でした。

米は南では、貴重品ではありませんでした。当時の飯という字は蒸した穀物の事を表していました。今のように炊いた物はなかったです。一般的にお米も食べてはいたようですが、主に南の地方の人が食べていたようです。南しか食べられなかったのは、一説では北方面ではお米を育てる事が困難だったためと言われています。

次は小麦についてです。小麦を食べる文化は北で繁栄しました。この時代の中国では、まだ小麦をパンとして食べる文化はありませんでした。なので小麦を練って蒸した物が多かったようです。現在の中華まんの原型もありました。

三国時代の飲み物

この時代の飲み物はすでに色々な種類があったようですが今とは凄く異なるようです。あまり聞いた事がない飲み物ばかりです。

まず、お茶ですが、この時代のお茶には、生姜等の色々な食品が加えられていました。喉を潤すために飲んではいないようです。現在で言うとお茶というよりスープに近い飲み物でした。嗜好品として、主に上流階級の人が好んで飲んでいました。

今はあまり聞いた事がないような飲み物も飲んでいたようです。その一つが 漿(ショウ)と呼ばれる飲み物です。現在の台湾でも米漿という物があります。同じものか定かではありませんがこちらはライスミルクのようなものです。昔の物は、重湯に近いものでした。

同じ飲み物ですが、次はお酒についてです。この時代にもお酒に近い飲み物はありました。蒸留酒という物はなかったようです。今よりアルコール度数が少ない物が多かったのにも関わらず、何故か酔っ払いがたくさんいたようです。昔のお酒はあまり賞味期限が長い物はありませんでした。なので長時間置いておくと酸味が出てくる事が多かったようです。現在の世の中では、お酒が腐るという感覚はあまり無いので凄く不思議に感じますよね。

お酒とは違いますが、この時代、(こざけ)という飲み物もよく飲まれていました。他の飲み物とは違い、この時代にしては珍しい甘い飲み物だったようです。少しアルコールが入っている物です。この時代の人は今の人達よりもアルコールや甘い物が好きだったのかもしれません。

という飲み物は夏に特に人気がありました。その理由は涼とは、氷水だからです。氷入りの飲み物は全て涼と言っていたみたいです。

冷蔵庫がない時代にどうやって氷を保存していたのか不思議ですが、紀元前の秦の時代には既に、王侯やお金持ちは氷室(ひむろ)を地下に作って氷を保存していたそうです。冬に氷を氷室に保存して夏に取り出すわけです。他に冷やす物が少なかった時代なので、よく飲んでいたようです。

三国時代のお菓子

 三国時代の代表的お菓子は饅頭です。

現在の饅頭は、主に餡や甘い物を入れた菓子の方が代表的ですが、当時の物は中華饅頭に近い物でした。おかず系の饅頭が一番合う表現だと思います。

この時代、結構スイーツが食べられていたようです。その背景にあるのは、曹丕(そうひ)という人です。曹操の息子で冷酷な人でしたが、甘い物が好きだったようです。特に好きだった物は葡萄だったようです。

四川凉糕 ※参考 https://www.xiachufang.com/

この時代からあるスイーツでもっとも有名なのが、凉糕(ピンイン)という物です。主な材料は玄米のヘルシースイーツで、今の中国でもよく食べられている夏のデザートのようです。

他に甘い物で言うと、もうこの時代には蜂蜜もあったようですが、高級品だったようです。

他に食べられていた物はやはり果物です。桃や琵琶、梨や梅がよく食べられていました。品種改良がされていない時代なので、もしかしたら今より酸味が強かったかもしれませんね。

まとめると、この時代には既に氷やお酒や甘い物もあって、意外と現在と近い物を食べていたようです。

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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コメント

    • 潁川
    • 2024年 10月 23日 4:07pm

    小さい頃、たぶん醴を食べたことがある。杭州で「甜酒酿」(ティエン・ジョ・ニャアン)って呼びます。でもただの飲み物じゃなくて原料の米もう残っていっしょに食べられるみたいです。
    三国時代で既におなじものを食べていた、不思議な感じ

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