最高傑作から4年の時を経て発売されたシリーズ14作目
コーエーテクモゲームスの看板作品である『三國志』シリーズで、2022年現在の最新作となっているのが『三國志14』である。
全ての武将を主人公に出来た『三國志13』から再び君主プレイに戻った今作は、どのような進化を遂げたのだろうか。
今回は、最高傑作である『三國志13』から4年の時を経て発売された『三國志14』を、異民族、外交編と戦闘編、そして感想とシステム編の3編に分けて紹介する。
異民族との接し方
三国志に限らず、中国の歴史は異民族との戦いの歴史でもあるが、それはゲームの世代でも同じである。
なお、異民族の扱いは13と14で大きく違い、13に登場する異民族は、賊として都市にちょっかいを掛けて来るお邪魔キャラという立ち位置だった。(軻比能、蹋頓、呼廚泉、孟獲、士燮、沙摩柯といった異民族武将と劉備の戦いを描いたifシナリオも13に存在はするが、こういう特殊なシナリオを除いて異民族武将を主人公にしなければストーリーに絡む事はほとんどない)
一方14では烏桓、鮮卑、羌族、山越、南蛮といった独立勢力として登場するようになり、シナリオを攻略する際に異民族との接し方は避けては通れない存在になった。
そういう意味で、異民族はお邪魔キャラから自分達の拠点を持つ立派な勢力になる大出世を果たしたが、異民族は滅ぼす事が出来ず、外交で協力関係になるか、30万の大勢力を全滅させて力で従わせるしかないという、色々な意味で君主としての考え方や接し方が試される。(クリアのために異民族を従属させる必要はないが、エンディングの条件の一つとして異民族の従属が必要なルートがある)
従属させるまで
外交が得意ではない(高難易度ならともかく、低難易度でわざわざお金を払って仲良くしたり軍を出して貰う価値を見出だせない)筆者は当然戦う選択肢しかないのだが、移動に1ヶ月以上必要な遠方かつ悪路と、30万の大軍を殲滅させる必要があるため、無駄に長引く戦闘と10日おきに起きるターン経過の強制ストップによって従属させるまで30分も掛かった。
異民族を従属させると味方として戦ってくれるのだが、世の趨勢が決した終盤に従属させると彼らの出番はほとんどなく、倒す必要のない勢力を無駄に時間を掛けて攻めているだけという疲労感だけが残った。
また、他の地域で戦闘が起きている訳でもなかったのでターン経過で強制的に止めずに、そのまま戦闘に集中させて欲しかった。
消えた兵の行方
そして、軍を解散させるには一旦何処かの都市に入らなければならず、進軍に時間の掛かった悪路をまた進まなければならないのは現実の辛さを思い知らされた。(解散すれば最短時間で所属都市に帰れる13に慣らされてしまっているので不便に感じるが、普通は生き残った兵士達と一緒に帰るものであり、ゲームくらいは楽させて欲しいというのはユーザーのわがままだろう)
余談だが、帰還した兵が都市が抱えられる兵数を超えてしまうと、強制的に消える仕様がある。
例えば、都市の規模が「大」だと10万人まで兵を抱えられるが、出陣や輸送で残った兵数が9万人の都市に1万5千人の部隊が入ると5千人の兵は何処かに消えてしまう。
これは1強状態になって兵が余るようになった終盤に起きる現象で、兵士が消えても特に問題はないのだが、役目を終えて暇になった兵士は家に帰って家族との時間を過ごしていると想像する。
何もかもが快適だった13の仕様が個人的に神すぎたので、どうしてもリアルに寄せた故の不便さが気になってしまうが、異民族を従属させると味方として戦ってくれるようになる(しかも軒並みステータスが優秀である)のは大きなメリットであるため、攻略する時間を短縮させる事を考えると異民族を上手く使うのも君主としての腕の見せどころである。
インドからローマまで!世界各国と交易
三国志ファンの自分には2世紀、3世紀の歴史は三国時代という認識でいるが、中国の外に目を向けると、ヨーロッパにはローマ帝国が、アジアではインドにクシャーナ朝、日本には邪馬台国と中国以外にも多くの国家が存在した。
『三國志14』では領地が広がり地の利を得ると「大秦国(ローマ)」「安息国(パルティア=イラン)」「貴霜国(クシャーナ=イラン及びインド)」「天竺国(インド)」の4国と交易が出来るようになった。
向かわせてから帰って来るまで半年近く掛かるが、配下武将を5人まで使節として向かわせ、歓待を受けるとともに海外の技術(部隊へのバフや悪路の移動短縮)を受けられるのはありがたい。
思えば三国時代の海外との交易に注目した事がなく、インドやイランはともかく遠すぎて接点がない(少なくとも記録には残っていない)ローマと自分の国が交流を持てたのは歴史書にはない時代を作っている、ifの世界を楽しめた。
これまで戦闘と人事(探索、登用)しかやらない人間だったが、自分だけの三国時代を生きる新たな楽しみ方を教えてくれた意味では大きな価値のある作品だった。
次回は戦闘編を紹介する。
関連記事 : 『三國志14』をクリアしてみた ~戦闘編~ レビュー
Wikipediaの「孫権」のページで226年にローマ商人の秦論という人物と会見したという記述がありますよ
また166年に当時のローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの使者が洛陽に訪れたと事も
Wikipediaの「大秦」のページで書かれていますよ