安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、京都の祇園・花見小路のほど近くに位置し、縁切り・縁結びの神社として知られている。
主祭神は、崇徳天皇・大物主神・源頼政である。
安井金比羅宮の歴史

画像 : 安井金比羅宮 wiki c 663highland
その起源は天智天皇(在位668~671年)の時代にさかのぼり、藤原鎌足が藤を植え、寺院を創建したことに始まる。
境内には紫藤が繁り、「藤寺」と称された。
平安時代後期には、崇徳天皇が藤を愛でるために度々訪れたという伝承がある。
後に、応仁の乱(1467年~1477年)によって衰退したが、江戸時代中期に太秦(うずまさ)安井から蓮華光院が移され、鎮守として崇徳天皇に加え、讃岐・金刀比羅宮から勧請した大物主神や、源頼政が祀られることとなった。
明治維新後の廃仏毀釈により蓮華光院は廃寺となったが、その名称を「安井神社」と改め、更に「安井金比羅宮」に社名を改め現在に至る。
以上のように、京都にありながら“金比羅”の名を冠しているのは、讃岐(今の香川)から大物主神を勧請(かんじょう…神仏の分霊を迎えること)したことに由来している。
縁切り縁結び碑(いし)

画像 : 縁切り縁結び碑 wiki c KOKOKU-m1ne10
安井金比羅宮の境内で最も目をひくのは、社務所前にある縁切り縁結び碑(いし)である。
この碑は高さ1.5メートル、幅3メートルの巨石で、穴をくぐることで悪縁を切り、良縁を結ぶとされている。
本来この碑は絵馬の形をしているらしいのだが、碑の表面には願い事が書かれたおびただしい数のお札が貼られており、こんもりとした丸い形に見える。
とにかくいつ訪れても、多くの参拝者がこの碑をくぐっている姿を見ることができる。
祈願の方法は、まずご本殿に参拝し、次に、切りたい縁・結びたい縁などの願い事を記したお札(形代)を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐる。これで悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結び、最後にお札を碑に貼りつける。
観光客たちが苦心しながら碑をくぐっている姿はほほえましいが、そのお札にはどんな願いが込められているのだろうか。
境内に設置された無数の絵馬を見ると、参拝者たちの強い「縁切り願望」がひしひしと伝わってくる。
例えば、『誰々と誰々の縁が切れて、私と結ばれますように』『職場の上司と一刻も早く縁を切ることができますように』『夫と無事離婚できますように』などの願いが綴られている。
また、小さな文字でびっしりと書かれた、まるで怨念とも言えるような言葉で埋め尽くされた絵馬も多く見受けられる。
安井金比羅宮は「縁切り・縁結び」の神社であるが、「縁切り」の方を願って訪れる参拝者が多いようである。
主な祭事
春季金比羅大祭
「春季金比羅大祭」は、例年5月10日に行われる安井金比羅宮の行事の一つである。
この祭りでは火焚神事が行われ、境内には白い煙が立ちこめる。
神事では氏子などの願いが書かれた護摩木が、縁切り碑の前に設置された護摩壇で焚き上げられ、祈願の成就が祈られる。
櫛まつり

画像 : 久志塚 wiki c mariemon – mariemon
毎年9月の第4月曜日に行われる「櫛まつり」も有名な行事である。
使い古した櫛や、かんざしなどを供養するお祭りで、伝統の髪型や風俗衣装の時代風俗行列が神社周辺を練り歩く。
境内北側には久志塚(櫛塚)があり、美容美顔美髪にご利益があるとされている。
終い金比羅祭
一年を締めくくる最後の金比羅大神様の御縁日。
12月10日から新年の初金比羅祭までの間、授与所にて縁起物である「稲宝来(いねほうらい)」の授与が行われる。
周辺の観光名所
安井金比羅宮の周辺には、先に述べた祇園・花見小路の他にも、京都最古の禅寺である建仁寺、祇園さんの名で親しまれている八坂神社、豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)が、秀吉を弔うため創建した高台寺、清水の舞台で有名な清水寺、などの京都随一の観光名所が点在している。
それらの観光名所を訪れる際には是非、安井金比羅宮も訪ねて見て欲しい。
そして「切りたい縁」が無かったとしても、縁結びを願って「縁切り・縁結び碑」をくぐってみることをおすすめする。
参考 : 『安井金比羅宮公式ページ』他
文 / 草の実堂編集部
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